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第十話「水の手」(1)

 さかのぼって数日前……信守が自らの標的を表明した、軍議の席でのことであった。


「……ま、敵もこちらの触里狙いに気づくだろうがな」


 上社信守は、山砦への強襲を発表した時点で既に、敵の看破を、さらに看破していた。


「それでは、むざむざ敵の術中にはまるということではありませんかッ」


 元禁軍第四軍の一将が、そう吠えた。

 彼に面を向けた信守は、


「だからよ」


 人の心をいちいち逆撫でするような、嫌な笑みを向けた。


「砦を餌に、奴らの本隊をおびき寄せる。いちいちこちらから方々に出向いて戦ってやるのも面倒でな」


 それを聞いて、新参の将は慌てふためき、ざわめいた。

 そんな彼らとて、決して小胆(しょうたん)なわけではない。

 むしろ猛将佐古直成に従って歴戦し、彼が独立した際には流されることなく決別の意を示した剛の者ばかりである。

 だが悲しいかな、その彼らの新たな主は、旧主以上の異常者であった。


 彼らを無視するように「水樹陶次」と、信守は末席に居る客将の姓名を呼ばわった。


「この辺りの地理には明るいか?」

「散々迷いましたからね。泥土の味さえ知っております」


 陶次は自虐か自慢か分からない言い回しをした。


「触里山の周辺はどういう按配だ」

 問われた青年参謀は、しずしずと(かしず)いた。


 それから筆と紙とを所望して、それによって略図を描く。

 要点を確実に記した即席地図を、その白い指で示す。


「砦の正門に至るのは、南よりの一路のみ。その両面は傾斜が守っております」

「なだらかなのはどちらだ?」

「東側の方が登りやすいでしょう」

「では第一陣はそこから横槍を仕掛けてくるか。もっともこらえ性がなく、もっとも勇猛な者を大将に据えて」


 とあっさりと信守が言うと、陣中ではまた一波乱が起きた。


「次いで、態勢が整わぬうちに、足の速い軍勢が西より攻め、逃げ場を喪う我らの退路を、堅実な手腕の大将が閉ざす。城に隠れた伏兵が、止めを刺すべく出撃。まぁそんなところよな」

「……何故、敵軍の動きから布陣までがお分かりに?」


 うすら寒そうな表情と共に大将を見返す彼らに、信守は妖怪のように見られるのは心外、とばかりに鼻を鳴らした。


「必勝だとか万全だとかというものは、えてして手段は限られている。そして完全を期せば期すほどに、思惑が外れた時の立て直しは難しい」


 信守の声は低く、諸将の浮ついた心をなだめていく。言っていることは正論だった。

 だが、『完全を打ち崩す』ことそれ自体が矛盾している。それこそ、実行できる者は限られてくる正論であった。


「この戦法はなるほど完璧よ。理屈では、机上ではな。……不規則的な地形、一本化されていない指揮系統、性質も練度もまるで異なる将兵の分散。……その包囲には時間差という名の綻びは必ず生まれる」


 ――まるで詐欺だな。


 副将、貴船我聞は人知れず嘆息した。

 先ほどまでは傲岸と思われていたであろう信守の言霊は、その理を備えると一転して頼もしいものへと変わった。

 さらに性質の悪いことは、彼の主がそれを自覚しつつ、あえて諸将を煽っていたことだった。


 その我聞にだけ見えるように、信守の指は招くような、思惑ありげに上下運動を繰り返していた。


~~~


 軍議の終わり、床几に腰を下ろしたままの貴船我聞に上社信守は「おや?」と言った感じでわざとらしく右眉を吊り上げた。


「何か言いたげだな。我聞」

「……お人が悪い。呼び止めたのは殿でしょうに」


 肯定もせず、否定もせず、床几を揺らして信守は笑う。


「そうかそうか。では、お前に秘策を授けてやる」

「秘策?」

「それと、そこに隠れた奴にも頼もうか」


 信守は言葉を石のように陣幕の裏へと投げつけた。

 そこから手が伸び、分厚い布地をまくり上げる。涼しい微笑を称えた青年が、そこには立っていた。


「失礼いたしました。何か腹案がお有りと見受け、つい立ち聞きなどとはしたない真似を」

「口上は良い。とっとと入れ」

 つっけんどんな答えに彼、水樹陶次は苦笑を浮かべつつ、再び陣中へと入り込んだ。


 我聞と陶次、思慮深さを匂わせる二人の面を交互に眺めながら、彼らが命運を託したその男は、


「あれではまだ致命傷には遠い」


 と、言葉少なに切り出した。

 我聞は一度隣の青年と顔を見合わせ、おずおずと言った。


「あれ、とは時間差につけ込んでの各個撃破と同士討ちでしょうか」


 信守は嘲笑の色を薄めて、唇をやや引き締めた。

「流石、流石」と感心した風にて、何度も頷いてみせる。


「天童雪新は愚鈍な父に似ず、ある程度の聡明さを持っている。どんな弱兵ともいえ、数で上回る禁軍を打ち破った。これは事実よ。故に、時間をかければ立て直してくるだけの器量は備わっているだろうさ」

 我聞も陶次も、同意を目で示した。


「故に、連中の心は根から折らねばならぬ。混乱に次ぐ混乱に叩き込み、真っ当な思考など持たせない。これに尽きる」


 我聞は主に聞こえないよう、小さくため息をこぼした。


 ――まったくこのお方は……

 平素人を見下すような言動を繰り返すくせに、実際にはまったく慢心もしていなければ、敵を過小評価もしていない。

 彼があえて挑発的な言動をくり返すのは、本人の趣味嗜好(しこう)であり、あるいはあえて煽ることによって、相手から冷静さを奪い、自らの流れへ引き込む思惑があるのかもしれない。


 本当に、仕えにくい主君であった。


「それで、具体的には何を?」

 真意の開帳を求める彼に、「おやおや」と、信守。肩を大仰にそびやかし、クツクツと喉の奥で低い笑声を遊ばせた。


「俺はこの戦の目的は既に皆の前で公表したのだがな」


 我聞は軽く指を噛んで押し黙った。

 信守は敵味方を煽りはするが、意味のないことやつまらない嘘は吐かない男ではあった。

とすれば事実、主はそれを言った。


 どの時機で? と自問する我聞が、軍議冒頭の言葉を思い出すまで時間はかからなかった。


 まさか、と顔を上げる我聞の隣の青年の名を、信守は言った。


「お前言ったな? あの一帯ならば、地泥の味まで知っている、と」

「……はい」

「今さら掌返しは許さんぞ?」

「言質を取られたからには、非才の限りを尽くして事にあたります」


 信守の目的を予測したかのような言い回しで、水樹陶次は答えて見せた。

 緊張で、あるいは責任感から背筋を伸ばした両者に、信守は声を弾ませ命じた。


「お前に貸してやった手勢一〇〇。それに加えて我聞も貸してやる。それで正門以外の攻め口を探り、天童勢の空けた触里山砦を落とせ」

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