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第九話「悪鬼は獅子と戯れる」(4)

 ――ありえない、ありえない、ありえないっ!


 江名府公、砂道木金は理知の人である。

 沈着冷静で、智にて一輪を支える秀才児である。


 その彼の叡智は、もはや全うに働いてはいなかった。

 敗兵を引きずるようにして山の一本道に逃走しながら、


 ――何故、こうなったのか。


 という問いに、答えさえ見出せずにいる。


 事の始まりは、喊声と混乱と悲鳴が、奏でられた戦場に、


「我らが事は成った! 上社一党の生命我らが掌中にありっ!」


 と、悦に入っていた。まさにその最中に起きた。

 クヌギ林を縫うようにして現れた正体不明の一団が、江名勢の背後に回り、存分に切り立てる。

 その有様を、彼はしばし呆然と見守っているほかなかった。


 ようやく放った一言が、

「ありえない!」

 ……という、何の解決もしなければ、問題の提議さえできていないものであった。

 この時点で、彼の理は衝撃によって根底からひっくり返され、彼の知は、二五〇〇の組下同様にズタズタに切り裂かれていた。


 ――猛将であり我が友人朧陽神がこうもたやすく負けるはずがない! 我が友の万全の策略が破れるはずがないっ! さ、されば敵の新手か……っ! やはり迎撃軍が五〇〇〇のみというのは、合点がいかなかったんだ!


 その考察は決して正確なものではなかったが、何も考えず棒立ちのまま死ぬよりはマシ、ではあった。

 そして彼は一縷の光明を見出した心地で、落ち着きを取り戻した。


「山を、のぼる……天童雪新であれば、あの黒獅子と合流さえしてしまえば、後はどうとでもなる! 将兵の質量ともに我らが上なんだからな!」


 後背の散々な被害は、それを想像させる阿鼻叫喚(あびきょうかん)はあえて無視して、彼は先頭を切って山の一路へ退避する。

 だがそこでも、彼は愕然とした。


 目の前に広がるは、無数の篝火。その灯りにぼんやりと照らし出されるのは、高くそびえた旗。

 交わし剣に、第五の紋。


 ――か、上社勢……っ!


 背後の伏兵と挟撃するつもりか、そうはさせない。見たところ三〇〇〇、打ち破れる数ではないか。それより天童。黒獅子に仔細を伝えなければ。

 その思考と決断は早く、若き将は馬上、剣先を正面へと向けた。

 果断即決、常ならぬ彼の選択の早さに、配下は一瞬の同様と躊躇を見せたが、主による厳命と、背後より迫り来る危機は、彼らに他の選択を許さなかった。


 ……そう、常ならぬ、決断の早さ。

 四散させられた彼の脳には、常の深慮はなかった。


 彼らは錐のように陣形を鋭くさせて、五の旗の下へと突っ込んでいった。


~~~


 ――なんですか、これは。


 異変を本能的に察知した西の方面司令官、雲木八角は、当初の予定よりも少し早く、山へ攻めのぼっていた。

 だが、それよりも早く、事は終わり、多大な死体が首も取られず残っているだけであった。


 戦闘は、上社信守と朧陽神の殺し合いは、確かに行われていたはずだ。

 そこにどちらかの屍が残されるのは、当然のこと。


 ――だけど、なんなんですか。これは。


 鮮血で紅く染まった坂道。これも不可思議ではない。

 おそらくは……信じられないことながら敗北し、逃散(ちょうさん)したであろう、朧陽神の軍旗がうち捨てられている。これも仕方ないこと。

 だが、地に突き立ったままの旗……しかも篝火で照らしだして見てみれば、上社勢の交わし剣の五の紋。

 一体どういう意図があってのことか。


 これが朧のそれ同様に、泥土にまみれて放り出されているのならば、まだ分かる。

 旗持ちが無様に投げ出し、逃走したのだろう。

 だが激しい戦闘の中、わざわざ旗を突き立て、しかも盛った土に固定してまで、そうする意図とはなんだ?


 雲木八角はひとまず、この怪なる事象を盟主に告げることにした。天童の鬼才なくして、彼の諜報は活かされない。

 それを判断するのは、偉大なる天童の黒獅子一人である。


「と、殿ォ! あれを!」


 山の中腹で棒立ちしていた彼に、危急の時は冷静さを許してはくれなかった。

 黒々とした正体不明の一団が、南より攻め上る。

 報告よりも先、馬蹄(ばてい)の音に反応した彼が振り返って見れば、盟友砂道木金である。


 一体何事か。知恵者なる彼の才知をもってすれば、この謎が解けるのではないか。

 そう気を許し、手を挙げた雲木であったが、


「かかれぇ!」


 ……彼の軍勢は主将の一喝と同時に、友の兵へと斬りかかった。

 互いの制止を命じる前に、敵味方……否、味方と味方が相乱れて殺し合いを始めた。


 かつて同じ釜の飯を食った仲間が互いの刃で刺し殺し合う。

 若く偉大な盟主の下、旧弊打倒、奸臣排除の理想を抱いて参集した同志たちは、首を斬り合っていた。


「し、静まれ! 静まれぇ!」


 一気に狂乱の渦中に放り出された雲木は、そう呼ばわりながら信守の真意を一歩遅れて察していた。


 ――父祖伝来より受け継いだ旗印までも……利用しますかっ!? 上社信守ッ!


 まっとうな武門であれば、自らの家紋をこのような策略に用いるなど、まして敵の手に委ねるなど決してしない。

 まして上社家は、三十万石をかつて賜り、帝の傍へ侍ること、朝議への参加も許された、誰しも(うらや)む名門中の名門ではないか。 


 その象徴を、こんなことに用いる将など、天地あまねく探してもあの男ぐらいなものだろう。

 だから、誰も考えもしなかった。この旗にいるのが、天童雪新の盟友であるなどとは。


 もはや、この場にいる誰もが、本来の目的を見失っていた。

 互いに故なき戦いに身を投じていた。蛇が自らの尾を食いきるかのように、全身を食いきり死にきるまで、そうし続けているかのように。

 だが鳥が俯瞰すれば、あたかもそれは当初の予定どおり、上社勢を隘路あいろに封じ込め、黒獅子の爪牙で存分に切り裂いているようにも見えただろう。


 ――あたかも、当初の予定どおり。


 雲木の全身が、声も出ないほどに凍り付いた。

 早く情報を、早く現況を待機している天童雪新に報せなければ。そう思っていても、信守の幻術に惑乱させられた者たちに阻まれて、思うように動けない。


~~~


 ……そして、山砦の門扉は開かれた。


 先んじて切り込んだのは、他ならぬ天童雪新本人。

 その異名にそぐわぬ、漆塗りの黒胴が夜闇に溶け込むようであった。


 刀を抜いて敏捷に強襲を行う姿はまさしく、牙を研いで飛びかかる漆黒の神獣の化身と言うべきであった。

 ……ただしそれは、味方の死を招いた。


 正面の雑兵が、驚き馬上の大将に雪新の来襲を伝える。

 身振り手振りで制止を求める彼らに、フ、と彼は笑顔を手向けた。

 長さ三尺(およそ一メートル)にもおよぶ長剣が、天童雪新の愛刀であった。

 勢いをつけたそれが、瞬く間に狼狽する将兵を斬り捨てる。

 ……ただしそれは、味方の肉体であった。


 優越感と勝利の確信を得た一斬は、さらなる狂乱を招く。

 ……ただしそれは、味方の狂乱であった。


 切り裂かれた兵たちを恐怖と絶望のどん底に突き落とした。

 ……ただしそれは、味方の恐怖と絶望であった。


 そして、わずか一夜にして、上社信守と天童雪新の将としての優劣は決したのであった。

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