第1話 炎
オキシジェン帝国第77輸送部隊隊長であるジョゼフ・ラザフォードは困惑していた。
オキシジェン帝国は西にある隣国のハイドロジェン王国から攻め込まれていた。
既に国境の砦が二つおとされており、現在はハイドロジェン王国の軍隊を迎え撃つべく、国境からかなり国内に入ったところにある砦に軍が集結していた。
ジョゼフはそこに物資を輸送してきたというわけである。
なお、北西部にはハイドロジェン王国の軍隊が数万人規模で展開しており、そこにはギフトを持ったオリヴァー・エリオット将軍が指揮官としてやってきていた。
オキシジェン帝国としてはそちらに軍を向けていたため、奇襲を許す結果となったのだ。
そんな彼に、砦の責任者であるアッテンボロー大佐が守備を任せると言い出したのである。
二人は対照的な外見をしていた。若くて細いジョセフに対し、アッテンボロー大佐は中年で腹が出ている。経歴も全く違い、ジョセフは軍学校を卒業して少尉となったが、アッテンボローが大佐になったのは実家の子爵家が軍に金を渡して地位を買ったからである。
貴族の子供であっても軍学校を卒業するものはいるが、本人が甘やかされていたりすると、軍学校の厳しさに堪えられないのがわかっているため、最初から入学はしないのだが、親が権力を使って軍にねじ込むというのが多々あった。
アッテンボロー大佐もそれである。
これでもまだ、本人に素質資質があれば救いもあるが、そんなものが頻繁にいるはずもなく、例にもれずに無能であった。
そんな無能でも危機を察知する能力だけはあり、戦場から逃げ出そうとしていたのだ。
「ラザフォード少尉、敵はあのギーレン将軍だ。ここにいる部隊だけでは心もとない。だから、増援を送るように上を説得してくる。それまでの間指揮を頼む」
「しかし、自分には戦闘経験がありません」
ジョセフはそう答えた。
「時間を稼いでくれたらそれでいい。敵の指揮官はアルフォンス・ギーレン将軍だ。何としても増援を承認してもらう必要があるのだ」
アッテンボロー大佐が言うアルフォンス・ギーレン将軍とはハイドロジェン王国の将軍であり、ギフト持ちである。
この世界にはギフトと呼ばれる特殊能力を持った人間が存在する。
ギフトを持っていれば、人間離れした身体能力を発揮することや、とてつもない威力の魔法を使うことができる。
なお、魔法も存在しており、一般人でも訓練を積めば魔法が使えるようになることもある。適性ともっている魔力量次第ではあるが、魔法使いによって戦場では魔法が飛び交うこともあるのだ。
火薬が発明されておらず銃がない世界なので、そうしたギフトを持った人間が戦況を左右するのだ。
そして、ギーレン将軍のギフトは身体強化。地球で例えるならオリンピックでメダルを獲得するアスリートよりも、力が強くて動きが素早くなる。
とはいっても、魔力を消費してその能力を使うので、ずっとその効果が発揮されているわけではない。今ジョセフがいる砦を落とすには十分ではあるが。
つまり、敵がギーレン将軍であるので砦の陥落は確実なため、アッテンボロー大佐は逃げ出したかったわけである。
単なる敵前逃亡は軍法会議ものであるが、増援の要請のためという理由があるならばそれもなく、なのでそうした理由をつけて後方に移動したかったのだ。
そして、防衛の責任者にと言われたジョセフには、戦場で指揮を執った経験がない。なのに、経験者のサポートもなくいきなりそう命じられれば、困惑するのも当然であった。
彼は輸送部隊しか経験がないのだ。それも、敵に襲われたことなど一度もない。
「自分には指揮官としての経験がないのですが」
そう言ってアッテンボロー大佐を見た。
「誰もが最初は未経験だ。しかし、多くの優秀な兵士がここにはいる」
アッテンボロー大佐は後方を指さした。
砦の防衛戦力はおよそ三千。対するハイドロジェン王国の戦力は五千である。防衛側が有利なことから考えれば十分ではあるが、敵の指揮官がギーレン将軍ということで、戦力が同数であっても防衛できるかは疑問であった。
「はあ」
とジョセフは気のない返事をした。
その返事を了承ととらえ、アッテンボロー大佐はにっこりとほほ笑む。
「それでは任せたぞ」
そういうと彼はどこかへと去ってしまった。
そして、その日の夕暮れまでにおよそ二千五百人の兵士が大佐と一緒に砦から退却した。
すべて人間の兵士であり、「デミ」と蔑まされる亜人たちが五百人残ったのである。
アッテンボロー大佐は人間の兵士を連れて後方へと下がった。砦を諦めて残った兵士である程度時間稼ぎをしている間に、後方で防衛ラインを構築するつもりだったのだ。
捨て駒にするには亜人は丁度よかった。
そして、輸送部隊が一つ無くなったところで、帝国としてはそれほどダメージはない。
人間たちが撤退した状況を見た輸送部隊の副官であるマルチが慌ててジョセフのところに来た。
マルチは犬人の若い女性である。体格は人間と変わりないが、耳は犬の特徴を持っている。彼女の場合はマルチーズのような垂れた耳が人間とは違った。
それと、外見ではわからないが、犬のように嗅覚は人間よりも優れている。
ただし、亜人は教育を受けている者がほとんどおらず、読み書き計算ができるものは稀であった。
マルチはその稀な存在であり、輸送部隊という読み書き計算が必要な部隊の副官をつとめていたのである。
マルチは焦って早口で報告する。
「隊長、アッテンボロー大佐と一緒に人間の兵士たちが砦から出ていきました。残ったのは我々と人間以外の種族の兵士だけです」
「予想通りだね」
ジョセフは驚かずにそうこたえた。
その態度にマルチは、自分の部隊の隊長はことの重大さを理解していないのではないかと思った。
「ギフトを持った敵に対して、こちらは十分の一の兵力ですよ!どうするんですか!それにしても、アッテンボロー大佐の無責任さといったら。だから、貴族は嫌いなんです。国を守るという矜持も気概もないんだから」
「貴族批判は死罪になるよ」
ジョセフは苦笑した。
「どうせここで死ぬじゃないですか。なら、最期に言いたいことを言いますよ。貴族なんて大っ嫌いです」
「困ったねえ。僕も貴族の出なんだけど」
「初耳です」
マルチは初めて聞くジョセフの話にバツが悪くなった。
「ラザフォード公爵家の三男なんだよ。もっとも、母は平民で父の屋敷で働いていたところ、お手付きになったんだけどね。認知されただけでもましで、家を継ぐことはできないけど」
ラザフォード公爵家は古くからオキシジェン帝国にある名家である。
はるか昔に王家から別れたため、王位継承権は持っていないが、伝統と血筋を重んじる貴族社会において、上位に位置していた。
そこに平民の血を入れるわけにはいかないということで、ジョセフには相続権が与えられなかったが、父親のラザフォード公爵が自分の血を受けた子供を雑に扱うつもりがなかったので、認知されたのである。
それは愛情というよりも、体面を気にしてという意味合いが大きかったが。
それと、マルチや他の軍人がジョセフが公爵家の本家の者だと気付かなかったのは、名家であるラザフォード公爵家は多くの分家が存在しており、貴族ではなくなった者たちもラザフォードの姓を名乗っているので、比較的よく聞く姓だったためである。
「では、隊長もここから逃げ出しても処罰されることはないのではないですか」
「どうかな。父はとにかく家の名前を気にするからね。軍が処罰しなくても、父が厳罰を下すと思うよ。それに、ここには部下がいるから。いや、それは言い訳だな。実はこの状況を楽しんでいる自分がいるんだ」
ジョセフがほほ笑む。
マルチはその意味が分からなかった。絶望的な戦力差がある状況で、笑える気持ちが理解できなかったのである。
「隊長が笑う意味が分かりません」
「ごめん。実は戦略をひっくり返す戦術があるんじゃないかっていうのが、軍学校時代の研究テーマでね。今まさしくそれを実践できる状況になったなと」
ジョセフは軍学校では決して優秀な成績ではなかった。彼の体格は戦闘に向かず、魔法は適性がないため使えない。
そんな彼は軍学校の変わり者である教師に師事して、戦術を学んでいた。
その教師が戦略を上回る戦術を研究していたのだった。
基本的に戦術は戦略の下位にあたる。
適切な戦略に基づいて行動する軍は、個々の戦場での勝敗に影響されることなく勝利へと進む。
豊臣秀吉の小田原征伐において、石田三成が忍城を落城させられなかったが、それが北条氏の勝利へつながらなかったのが好例である。
が、このような正しい戦略をとった相手に対しても、戦術ですべてをひっくり返すことが出来るのではないかというのが、軍学校時代の研究テーマだったのだ。
ただし、当時小型の戦術核兵器でもあれば、それは可能だったかもしれないというレベルのものであり、戦国時代と似たような兵器を使って戦争をしているこの世界で、戦術で戦略をひっくり返すというのはほぼ不可能なことであった。
「隊長にはこの状況をひっくり返す戦術があるというのですか?」
マルチは怪訝な顔で上司を見た。
マルチも当然ながら、そうした戦術があることは知らないのである。そして、無いと思っていた。
本来は軍隊において懲罰ものの行為であるが、ジョセフは気にしない。
「まあね。できれば使いたくはなかったんだけど。いや、使ってみたかったけど、その後の面倒ごとが嫌だってことか」
ジョセフは自分で言った言葉をすぐに否定した。
その表情には自信があふれているのがわかった。
「面倒なのですか?」
「そうだね。まずは、折角の比較的安全な輸送部隊という所属が見直される可能性がある。それと、実家の問題だね」
「ご実家ですか?」
「そう。兄たちが家を継ぐのが決まっているのに、僕が目立った戦功を立てたらいろいろと問題になるでしょ」
「そういうものなのですか?」
マルチは貴族の事情に疎いので、ジョセフの言うことが理解できなかった。
「跡継ぎが一番優秀だという必要があるんだよ。一族の長だからね。普通に生活していれば優秀かどうかなんてわかりにくいけど、戦争で手柄を立てるというのは非常にわかりやすいからね」
「そういうものですか。でも、ギーレン将軍を倒せるというのは確定しているような言い方ですが」
ジョセフの勝利を前提にした発言はどのような自信からくるのか、それがマルチにはわからなかった。なので質問してみた。
「まあね。敵が上手くこちらの思惑通りに動いてくれさえすればだけど」
「それは当たり前ではないですか?敵が思惑通りに動くなら、負ける要素は無いかと」
「そうでもないさ。相手はあのギーレン将軍だよ。例えばだけど、剣の達人を前にして、相手の動きがわかったからといって、その素早い剣を躱せると思うかい」
「確かにそうですね」
マルチは愚問であったと後悔した。
だが、それと同時に目の前の隊長は、その剣の達人の攻撃を躱して、尚且つ勝てるつもりでいるということも理解した。




