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「嫌い、最低、近寄らないで」――なお全部好意です。呪われ魔女に愛される元勇者は現代帰還を諦めない  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第38話 未来を言葉にするのが一番難しい

その日の夜、俺はまた《木靴亭》の二階の窓辺にいた。


 最近ここばかりだな、と自分でも思う。


 部屋に戻れば机がある。紙もある。ペンもある。術者本人の意思を書けと言われたなら、普通は自室で考えるべきなのだろう。静かだし、誰にも邪魔されない。


 でも、いざ部屋の机に向かうと、白紙が白すぎて駄目だった。


 向こう側の由来なら、玄関があった。

 母の声があった。

 途中で止まった日常という輪郭があった。


 今の世界の結びなら、木札があった。

 《木靴亭》という場所があり、王都での時間があり、ここで繋がった人たちがいた。


 けれど、“術者本人の意思”だけは違う。


 それは過去でも現在でもなく、これから先をどうしたいかの話だ。

 帰るっていう方向だけじゃ足りない。

 帰ったあと、どう生きたいのか。

 何を続けたいのか。

 こっちで得たものを抱えたまま、向こうでどうありたいのか。


 そこまで来ると、急に白紙が重くなる。


 窓の向こうで、王都の夜が静かに広がっていた。屋根の向こうに灯りが点々と並び、遠くの通りを遅い馬車が一台だけ通っていく。下の食堂からは、皿を片づける音がかすかに聞こえた。


「……いると思った」


 やっぱり、という声だった。


 振り向くと、エルセが立っていた。


 今日は帽子を被っていない。薄い色の上着を羽織っているだけで、銀髪が肩に落ちている。昼間より少し疲れているように見えたが、目だけは妙に冴えていた。


「お前も最近ここばっかりだな」

 俺が言うと、エルセは少しだけ肩をすくめる。


「人のこと言えないでしょ」

 そう言って、向かい側ではなく、また少し横へずれた位置に腰を下ろした。

「部屋で考えても進まない顔してたもの」


「顔でそこまでわかるのか」


「わかるわよ」

 エルセは窓の外を見ながら言う。

「“今は一人にしてほしい”顔と、“一人だと余計に煮詰まる”顔くらい、最近は見分けつく」


 最近は、か。


 その言い方が妙に引っかかった。


「前はつかなかったみたいな言い方だな」

「前は、あんた自分で全部切ってたもの」

 エルセは即答した。

「近づいたら、それ以上は入るなって顔してた」

 少しだけ間が空く。

「今は、入っていいのか悪いのかで迷ってる顔」


「そんなに中途半端か、俺」


「かなり」

 そこで、ほんの少しだけ声がやわらぐ。

「でも、前より嫌いじゃない」


 その返し方にも、もう少し慣れてきた。

 言葉の表面だけで受け取らないことにも。

 それでも、毎回少しずつ胸の奥が揺れる。


「……術者本人の意思、か」

 俺は窓の外を見たまま呟く。

「これが一番面倒だな」


「うん」

 エルセはあっさり同意した。

「だって、他の二つはもうあるものを掘る作業だったから」

「過去と現在、ってことか」

「そう」

 エルセは頷く。

「玄関の図も、母親の声も、宿の木札も、王都での時間も。全部、“あったもの”を見直して形にしただけ」

 それから、少しだけ目を伏せる。

「でも意思は違う。まだ形になってないものを、自分で選ばなきゃいけない」


 その整理は、ひどくわかりやすかった。


 向こう側の由来は、俺の後ろにある。

 今の世界の結びは、今ここにある。

 でも意思だけは、まだ前にしかない。


「……帰るっていうだけじゃ、駄目なんだよな」

 俺が言うと、エルセは小さく息を吐いた。


「たぶんね」

「“帰る”は方向でしかない、って先生も言ってた」

「うん」

「でも、じゃあ“帰って何をする”って聞かれると」

 そこで言葉が詰まる。

「何て答えればいいのかわからなくなる」


 エルセは少し黙ってから、静かに聞いた。


「帰ったら、最初に何したいの?」

「最初?」

「うん」

 灰青の瞳がこちらを見る。

「大きい話じゃなくていい。向こうへ立った瞬間、最初に何したい?」


 その問いは、妙にするりと入ってきた。


 帰ったら何をするか。

 人生をどう立て直すか、とか、失った三年をどう埋めるか、とか、そういう大きなことじゃない。

 向こうへ立った瞬間、最初に何をするか。


「……家に帰る」

 自然に出た。

「それは、まあ当然よね」

「で、玄関開ける」

「うん」

「“ただいま”って言う」

 そこまでは、もう散々掘った。


 エルセはさらに続きを促す。


「そのあと」

「そのあと?」

「そう。玄関の先に入って、靴脱いで、そのあと」


 俺は少し考えた。


 考えるというより、向こうの景色が少しずつ戻ってくるのを待つ感じだった。


「……飯の匂い、確かめるかもな」

 思わずそう言うと、エルセが少し目を丸くする。


「飯?」

「変か」

「変じゃないけど、もっと劇的なの想像してた」

「何だよ劇的なのって」

「泣くとか、抱きつくとか、空を見上げるとか」

「しないだろ、たぶん」

 俺は少しだけ苦笑した。

「まずは、ちゃんと家の匂いがするか確かめると思う」

 喉の奥が少しだけ熱くなる。

「それで、飯の匂いがして、父さんのいる部屋の灯りが見えて、妹が何か言ってきて……その時ようやく、“ああ帰ってきた”って実感するんじゃないか」


 言っていて、自分でも少し驚いた。


 帰還の瞬間に欲しいのは、劇的な再会じゃない。

 生活の感触だ。

 匂いと、灯りと、誰かの声。


「……やっぱり」

 エルセが小さく言った。

「何が」

「あんたの帰りたいって、ずっと“普通”なのよ」

 少しだけ笑うような気配が混ざる。

「大きな夢とか、英雄みたいな誓いとかじゃなくて」

「悪いか」

「悪くない」

 即答だった。

「むしろ、すごく遼真らしい」


 その“遼真らしい”が、妙に胸に残る。


「でも」

 エルセはそこで少しだけ声を落とした。

「それは“帰る理由”ではあっても、“帰ったあとどうありたいか”とは少し違う気がする」


 やっぱりそこへ戻るのか。


「どう違う」

 俺が聞くと、エルセは自分の膝の上で指を軽く組んだ。


「だってそれ、まだ“向こうへ戻った瞬間”の話でしょ」

「……ああ」

「先生が聞いてるのは、その先じゃない?」

 エルセの声は静かだった。

「その日常に戻ったあと、遼真は何を続けたいのか。向こうでどういう人間でいたいのか」

 ほんの少しだけ視線が揺れる。

「それが、今のあんたには一番難しい」


 その通りだった。


 俺は帰りたい。

 でも、帰ったあと自分がどうなるのか、正直よくわからない。

 三年もこちらで過ごしたのだ。

 向こうへ戻ったとして、以前と全く同じ気持ちで日常へ馴染めるはずがない。


 それなのに、じゃあ何が変わるのかと問われると、言葉にできない。


「……元に戻るんじゃ駄目なのか」

 ぽつりと聞いてしまう。


 エルセは少しだけ目を細めた。


「駄目とは言わない」

「でも?」

「でも、たぶん遼真自身がそれを望んでない」

 迷いなく言う。

「もし本当に“元に戻れればいい”だけなら、今みたいに苦しまないもの」

「……」

「こっちで得たものを無かったことにしたくないって、もう自分で書いたでしょう」

 そこで少しだけ声がやわらぐ。

「だったら、向こうへ帰るのは“元に戻る”じゃなくて、“今の自分のままで続きへ行く”に近いんじゃない?」


 その言葉が、胸の奥へゆっくりと落ちていく。


 元に戻る。

 続きへ行く。


 似ているようで、全然違う。


 前者は過去へ寄る。

 後者は未来へ向いている。


「……続き、か」

 俺は小さく繰り返した。


「うん」

「それなら、少しだけしっくりくる」

 窓の外を見る。

「向こうへ戻るのは、止まった時間をそのまま再開することじゃない」

「うん」

「こっちであったことも、覚えたことも、たぶん全部抱えたまま、向こうの先を生きることなんだと思う」

 そこまで言うと、喉のつかえが少しだけ取れる。

「だから、“帰る”じゃ足りないんだな」

「そう」

 エルセの返事は、小さくて、確信があった。

「たぶんそこ」


 しばらく、二人で黙った。


 何か大事なものの輪郭がようやく見えた時の沈黙だった。


 やがて、俺はぽつりと言う。


「……助かった」

「何が」

「今の」

 俺は正直に答える。

「一人で考えてたら、たぶんまた“帰る”のところで止まってた」


 エルセは一瞬だけ黙り、それから少しだけ困ったように笑った。


「そういうの」

「何だ」

「ちゃんと真面目に言われると、今でも少し困る」

「最近そればっかりだな」

「だって本当だもの」

 エルセは窓の外へ視線を逸らした。

「でも……」

 そこで言葉が少しだけ揺れる。

「それでも、今のはうれしい」


 今のは。


 その限定が、かえって本音っぽかった。


「……じゃあ、もう一つ聞く」

 俺が言うと、エルセがこちらを見る。


「何」


「お前は?」

「私?」

「今の世界でどうありたいか」

 そう言うと、エルセがほんの少しだけ固まった。

「前にも似たようなこと聞いたけど、今日はもう少し先の意味だ」

 言葉を選びながら続ける。

「王都にいて、宿に帰って、先生とミレナがいて……その先で」


 エルセはしばらく答えなかった。


 前なら、ここで“知らない”“別に”で切っていた気がする。

 でも今の彼女は違う。

 逃げるにしても、少し考えてから逃げる。


「……難しい」

 やがて小さく言った。

「難しいけど」

「けど?」

「前よりは、考えるようになった」

 その声は静かだ。

「前は、ここで何かを望むのって、どこか勝手な気がしてたから」

「勝手?」

「うん」

 エルセは窓枠へ指を置く。

「どうせ遼真は帰るし。私は、たまたまその途中にいるだけだって思えば、それで整理できた」

 少しだけ呼吸が揺れる。

「でも今は、そういうふうに切れなくなってる」


 その言葉を、俺は黙って聞いた。


「だから、今の世界でどうありたいかって聞かれたら」

 エルセはほんの少しだけ目を伏せた。

「……ちゃんとここにいたい」

 それだけだった。


 けれど、その一言は思っていた以上に重かった。


 ちゃんとここにいたい。


 それは王都に、という意味でもあるし、《木靴亭》に、という意味でもある。

 でもたぶん、それだけじゃない。


「……そうか」

 俺が言うと、エルセは少しだけ肩をすくめる。


「今のは、かなり頑張って出した」

「わかる」

「そこは“えらい”って言ってもいいところよ」

「雑な褒め方を奪うなよ」

 そう返すと、エルセが少しだけ笑った。


「じゃあ、褒めて」

「……えらい」

「本当に雑」

「お前がそれを採用してるんだろ」

「そうだけど」

 笑いを含んだ声になる。

「でも、遼真が言うと少しだけ違う」


 そのやり取りの軽さに、逆に救われる。


 たぶん今の俺たちには、こういう少し抜けた言い方がちょうどいい。

 真っ直ぐに行きすぎると、まだ持たない。


    ◇


 翌朝、図書院の研究室で、俺は新しい紙を前に座った。


 術者本人の意思を書くための紙だ。


 オーウェンは黙って待っている。

 ミレナも今日は珍しく騒がない。

 エルセだけが、少し離れた位置からこちらを見ていた。


 俺は深く息を吸う。


 昨日の窓辺の会話を、そのまま紙へ落とす。


 ――帰ったあと、途切れた日常の続きを生きる。

 ――こっちで得たものを無かったことにしない。

 ――元に戻るのではなく、今の自分のままで、その先を続けたい。


 書き終えると、自分でも少しだけ手が震えていた。


「……師匠」

 ミレナが小さく言う。

「それ、すごく師匠っぽいです」

「褒めてるのか?」

「かなり」

 珍しく真面目だった。


 オーウェンが紙を共鳴盤へ置くよう促す。


「流せ」


 言われた通り、魔力を落とす。


 反応は、今までで一番深かった。


 青白い線が中央へ迷わず届き、核の近くで強く脈打つ。揺れはある。だが散らない。主陣の前へ持っていけるだけの重さが、ちゃんとあるように見えた。


「……いい」

 オーウェンが低く言う。

「これなら、“術者本人の意思”としてはかなり近い」

 それから少しだけ目を細める。

「相馬、お前ようやく“帰る”を終点じゃなく、その先を含んだ言葉で言えたな」


 その言葉に、胸の奥が静かに落ち着く。


 終点じゃない。

 その先を含んだ言葉。


 たぶん、それが今の俺に一番必要だった整理だ。


「……よかった」

 横から、また小さな声がする。


 見ると、エルセがほんの少しだけ安心したみたいに息を抜いていた。


「何が」

 思わず聞く。


 エルセは少しだけ迷ってから答える。


「遼真の“帰る”が、前より少しやさしくなった気がしたから」

 その言葉は、思っていたよりずっと静かで、思っていたよりずっと深かった。


 俺はすぐには返せなかった。


 だが、返せなくてもいい気がした。


 少なくとも今は、

 “帰ったあと、何を続けたいのか”に、

 ようやく少しだけ手が届いたのだから。

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