現世1:竜胆霞と愉快な新しい相棒
四季が事件に巻き込まれたと聞いたのは、昨日の事だった。
彼は登校中、校長と共に交通事故に遭った。
予断を許さない状況らしく、現在集中治療室で治療を受けているそうだ。
幸いなことに、亡くなったと連絡は来ていない。
苦労して設けた一人息子の危篤に酷く狼狽えていた彼の両親に頼み込んで、四季に何かあれば連絡を貰えるようには声をかけたが…ちゃんとしてくれるだろうか。
あの様子だと、四季がいなくなれば二人とも廃人になってもおかしくなさそうだ…。
それぐらい、狼狽えていた。他人の私でもわかるぐらいに。
『あー…また連絡来てる』
『うちの両親、凄く過保護なんですよね。鬱陶しいレベルで…』
『ま、連絡無視していたらいいんで。次はどこの調査でしたっけ、霞先輩』
四季は鬱陶しかったのか邪険に扱っていたが…いい両親じゃないか。
…そんな四季の為にも、あいつが巻き込まれた事件は早急に調査する必要がある。
親友が目の前で被害に遭った。
同じ志を抱いた後輩もまた、被害者に名を連ねる。
鏡は未だに昏睡状態。四季は命の危機に瀕している。
私には、その責務があるんだ。
「…証拠が多いうちに、四季の事件から調査を進めていこ———げっ」
手帳を閉じ、目的を定めて行動開始…と行きたいところだが、不幸なことに私を探しに来た教師を廊下の先で確認する。
「…まずったな。とりあえずいつもの場所に避難するか」
穂上の事件以降、私は水曜日の憂鬱を空いた時間で調査を進めていた。
鏡の事件が起きるまでは悠長にしていた自覚がある。
彼女の事件以降だ。私が、授業をサボって調査を進めているのは。
おかげで教師からは怒られる毎日。
説教で時間を浪費したくはないから、こうして逃げ回っているのみ。
いいだろう登校しているし。成績だって問題は無い。
幸いな事があるとしたら、四季のような理解者がいてくれたこと。
そして父さんが「霞のやりたいように」と背中を押してくれていることだと思う。
階段を上り、身を隠せる場所…屋上前の踊り場に滑り込む。
こんなところまでわざわざ探しに来る教師はいない。
それにここに探しに来る発想が来る前に…外に出ると考えるから。
通学用の靴が下駄箱に残っていても、持っていた外履きで逃げたと考えてくれるおかげで、こんなところで一息吐けるのだ。
ただ一つ、問題があるとしたら…。
「また教師に追われているのか、竜胆」
「それはお互い様じゃないかな、千々石君。今日もサボり?」
「ああ。どうも授業に参加する気力が起きなくてなぁ…ふわぁ」
同学年の千々石蘭太郎。最近ここでサボるようになった学年一の秀才は面倒くさそうに欠伸をした後、鏡の前に横たわる。
「ここは日差しが暖かくて寝やすいな…」
「左様で…。てか最近ここで過ごしているけど、今までどこでサボっていたのさ」
「一年の四月は屋上で、一年五月から最近までは主に校長室。校長がいない時は屋上にいたけど」
「マジかよ」
「授業がつまらんって相談したら、校長が特別に授業をしてくれていた。色々資格も取らせてもらったぞ」
「堂々と教師相手に授業つまらんとか言う奴いるのか…秀才の考えていることは分からない…」
「事実、為にならなくてつまらないからな。資格講座は為になって楽しかったぞ。数式を少し覚えるより、爆弾処理が出来た方が世のためだろう」
「一般人がそんなものを活用する世の中は世紀末だろうよ」
「それにな、今年やっと取った資格で部屋の電気のスイッチも変えたんだぞ。ほら。ワンタッチ」
「写真見せてくんな。それに画面近い」
「他にも暇つぶしになりそうな本を用意してくれてな。授業よりも有意義な時間を過ごせた」
「左様で…」
千々石は一組——進学科の中でも群を抜いて賢いらしい。
しかし素行は問題児。同じクラスに属している鏡が頭を抱えていた。
ぼんやりとした青い目。同族を探すように向けられたその視線の先に、私が映り込む。
「竜胆もそうだろう」
「いや、私は別件だけど…」
「…そうか。じゃあ、お前は何をしているんだ」
「水曜日の憂鬱を調査している」
「へぇ…」
「興味あるの?」
「…今までは興味が無かったから。なぜ、調査を?」
「新聞部としての好奇心っていうのが最初だけど、一番は…親友と、同じ志を持った後輩が事件に巻き込まれたから。必ず、解決したいだけ」
「…ふむ。なるほど、では俺も同様に調査をしてみようか。退屈凌ぎにはなるだろうし」
「…は?こっちは真面目にやってんだけど…ふざけた態度で首突っ込まないでくれる?」
「一応俺にもお前のような志。水曜日の憂鬱とやらに挑む動機は存在している」
「動機?」
「…俺の方もこの前の水曜日、校長が巻き込まれたみたいでな。彼に関わっていた身としては、恩義がある人間に手を出されて少々腹を立てている。そう考えてくれ」
「…はぁ」
無表情で淡々と。本当にそう思っているのか理解できない様子で告げる怒り。
…その言葉に嘘がないかとか、私にはわかりやしないけど。言葉は、信じていたい代物だ。
「退屈凌ぎ…と、いう体を作っておかなければ、犯人を見つけ次第、覚えたての拷問を試してしまうかもしれない」
「…そういう厨二的な事いうの、中学生までにしておいてくれる?鳥肌たったわ」
「とりあえずだ、竜胆」
「無視すんな」
「俺のストッパーとして協力してくれ。俺はその代わりお前に頭を貸そう。自慢じゃないが、よく回るぞ」
「回るだろうけどさぁ!?」
「家の都合で武術も一通り嗜んでいる。護衛も引き受けてやろう。レッツ、危険な調査」
「何もかも私にとって得しかない状態だけど、お前何を企んでるわけ?」
「企むも何も、わかるだろう」
「…いや、何一つわかんないから聞いているんだけど」
「弔い合戦だ」
「校長まだ死んでないぞ!?」
「少し早い弔い合戦をしてもいいだろう。校長なら…渡々枝先生なら、許してくれる!」
「許すも何もまだ死んでないって!」
「…お前、事故現場を見ていないのか」
「…みたの?」
「見た。正直、校長は助からないだろう」
事件現場は通学路だ。目撃者がいてもおかしくはない。
だけど、目撃したと思わしき生徒は揃って休み。当然だ。事故現場は凄惨だったと聞く。あんな物を見たら、無関係でもしばらくは立ち直れない。
そんな中、この男だけは表情一つ変えずに淡々と事実だけを述べる。
見た光景を思い出すように目を伏せながら、時間と共に薄れそうになる動機を再び色濃くして、取り戻すように。
「生徒の方を抱きしめて…彼の頭を自分の身で守っていたからな。奇跡の生還なんてありえない。あの人は自分のやるべき責務を果たした後、息を引き取るだろう」
「どうしてそんなことを言える」
「渡々枝先生は、そういう人だから。あの人は生徒を救うことしか考えていない。今も何らかの形で生徒の助けになっているだろう」
「そこまで言える理由って、無いわけじゃないよね」
「ああ。旧校舎の美術室。そこで自殺した園原現の事件を、引きずっている。ずっと…だからこそ、そうすると断言できる」
「そ…」
「今もきっと同じ事件に巻き込まれた生徒の側で守っているはずだ。あの人なら、そうするんだ」
上体を起こし、ぼんやりと鏡に触れながら…かつて向き合っていた存在を想うように目を細めた。
その先にいるべき人間はいないけど、いるかのように語り続ける。
「俺が知っている校長————渡々枝紘一なら、そうするんだ」
そこまでの情報をやりとりするほどに、校長との仲はよかったらしい。
自分と同じように大事な存在を奪われて、今に至る。
信用はしてもいいのだろうか…。
いや、また協力関係にある人間が巻き込まれる可能性があるし…ここは巻き込まない方が…。
「…へ?」
「どうした、竜胆」
「い、いや…鏡、なんか歪んでない…?」
「鏡?ああ…ここの鏡、七不思議の一つに数えられているそうだな。鏡を合わせるとあの世に繋がるとか」
「んな非科学的な」
「でも現に鏡歪んでるし。何かあるのではないか?鏡が歪むなんて現象、聞いたことはないぞ」
「…なんだその手は?」
「女子はよく鏡を片手に前髪を整えている印象だ。お前は鏡の一つ持ってないのか」
「女子だからって理由で全員鏡持っているものだと思うなよ…!?」
文句は一応言っておく。全人類鏡を持ち歩いている訳ではないのだ。
…まあ、今日は鏡の持ち合わせがあるから渡してやるけどさ。
千々石は私から手鏡を受け取り、踊り場の鏡と手鏡を合わせる。
二つの鏡が重なり合ったその瞬間、踊り場の鏡が全体的に揺らいだ。
水面でないのに水面であるように波紋が広がり…収まった頃には、同じ屋上前の踊り場が映り込む。
その先には、千々石も私も立っていない。
その代わり———見覚えのある存在が座っていた。
『…霞先輩?』
「竜胆、面白いことになってきたな!七不思議!七不思議だぞ!実在するんだな!」
「黙れクソガキ目を輝かせるな…!オカルトは流石に専門外だけど…これは、流石に信じるしか」
『四季、彼女がもしかして…』
『うん。竜胆霞先輩。まさか一発で会えるとは思ってなかったや』
「…これは、流石に想定外ですよ。面白いことになってきましたね」
『…』
鏡越しに「幸先がいい」と言わんばかりに微笑む少年———今坂四季。
先日事故に遭ったばかり。生死の境を彷徨っているはずの後輩と私は、鏡越しに再会を果たしてしまった。




