デストロイ外伝 『フィッシャーマンズ ライジング』暗転
「分かった、私が折れるわ……。」
「……それでは。」
「ただし抹消されては困る記憶があるのよね。」
ホランドは言葉を挟まず、首肯でシオリに続きを促す。
……すると彼女は身に付けていたウエストホルダーを取り外し、テーブルへと置くとホランドの反応は顕著であった。
「これは……トラビスさんがここに連れて来られた時には着けていませんでしたね。」
「ええ、私の荷物に仕舞っていたから。そんなに警戒しなくていいよ……これがキリング・マッチャロに来た理由なのだけど。」
……ホランドに許可を取ってから、ゆっくりとウエストホルダーを掴み上げて立つと、シオリはそれを遠くの草丘で寝転んでいたジルコニアンイエティへ掲げる。
ほんの数十秒の間……シオリは憮然と何の変化もないホルダーを眺め続けた。
(セバスチャン、反応値の変動は?)
『……ありません。』
淡々とした報告に、何処か胸を撫で下ろすかの様な仕草で溜め息をつくと、シオリは気を取り直してホランドへ向き直った。
「……今のは?」
その問いにシオリは無言でホルダーから薬莢をひとつ取り出して見せる。
……いや、正確に言えばそれは薬莢ではなかった、先端の弾頭は後付けではなく金属と強化ガラスを薬莢の型に加工したもので、中には青い液体で満たされていた。
「……中身はある種のエネルギーを活性化し、抽出する特性を持った溶液でね。」
「エネルギー……抽出?……では他にも何かが加えてあるのですか。」
「物質世界に存在しない質量ゼロの特殊鉱物……って言ったら信じる?」
一瞬、シオリの言葉に戸惑いを隠せずにホランドはまたも沈黙してしまう。
(存在しないものが眼前に在ると言われても……それは矛盾でしかないが。)
暫しの沈黙の後、応えに窮するホランドへ悪戯っぽく笑うシオリ。
余りに荒唐無稽な話しだ……それに薬莢の真偽はホランドにとって重要ではないと思い直したのだろう。
「……さっきのはジルコニアンイエティが目当てのものを持っているか反応を見たのよ。ハズレだったけどね。」
「正直、雲を掴む様で、疑問の尽きない話しですが……つまりはジルコニアンイエティに関する記憶を抹消されたくないのですね?」
「ええ察しが良くて助かる、かなりの労力と投資を注ぎ込んでるから、忘れて二の足を踏むのはゴメンだわ。」
(打算的……いや、合理主義か。)
不意に、もしジルコニアンイエティがその目当てのものとやらを持っていたなら……果たして彼女はどんな行動を起こしただろうか?
そんな疑問にホランドは寒気を感じずにはいられなかった。
同時に、決してこの疑問は明るみにしてはいけない……ひいては彼女達にはこの異空間から早急に出て行ってもらわねばという危機感を再確認するに至る。
「了解した、それではジルコニアンイエティに関する記憶は対象外として契約魔術に進んでもいいかね?」
「んー、まぁ構わないわ。」
淡々と感情の伺えぬシオリの声音が風に溶けていった……。
◇
◆
◇
ーーそれから約2時間後。
一際小高い丘に立つ一本の大木の根元に、ひっそりとまるで木陰で涼む様に佇む石碑へ……ホランドは膝を折って一輪の花を手向けて祈る。
とても晴れやかに、普段、子供達へ向ける笑顔とはまた違った微笑みで石碑へ相対していた……。
(……不思議な方達だ、話す事でしか和らげない痛みもある……か、私にとっては禁断の果実だったな。)
石碑にはホランドが手向けたもの以外にも、花が供えてあった。
周囲では自生する花々が風に揺れ、ジルコニアンイエティの群れが日常を謳歌している……彼らはこの異空間においてホランド達よりも先住者であるが、決して人間を襲う事なく、一定の距離を保っていた。
自分もまた、何事もない日常へと戻ろう……子供たちには別れの挨拶もさせずに彼らを送り出してしまったが、それがお互いのためなのだ。
そう自身に言い聞かせて立ち上がった刹那、ホランドの胸中に仄暗い過去の光景が去来する……。
ーー。
ーーー。
それは決して許してはならない、清算すべき姿……。
頭を振ってホランドは踵を返そうとした……家路へ、何でもない日常へ帰ろうとした、だがその瞬間。
「久しいなホランド……エル・バトーレ。」
寒々しくもおぞましい過去からの呼び声……戦慄に唇を噛み締めながら、即座に振り返ったホランドは見た。
清算しなければならない、己が過去の姿を……。
遥かに遠退く大切な、護るべき笑顔を瞬きの内に反芻し、ホランドは今、走りだしていた。
◆
◆
◆
「………。」
見渡す限りの銀世界を前にして、シオリとバララは呆けていた……。
拭いきれない違和感に目眩と白濁とした思考がちぐはぐに噛みついて離さない。
自分たちが一体何時からここで立ち尽くしていたのか、前後の記憶すら儘ならない状況に戸惑うばかりであろう。
だが何故か、ジルコニアンイエティと遭遇したらしい記憶だけを際立って覚えている事にシオリは微かな引っ掛かりを覚える。
(………。)
常人であるなら、おそらくは時と共に今感じている疑念も埋没してゆくのみである……常人であるならばの話しだが。
『お嬢様 記憶の復元準備が整いました。』
……唐突に告げられたセバスチャンの言葉で、瞬時におおまかな現状を理解したシオリはにやりと嗤う。
記憶の改竄という大それた事をしてくれた愚者に相応の仕返しをしなければ気が済まない。
そんな思いに駆られ、闘志を燃やす彼女はセバスチャンへ実行の命令を下した……のだが。
「………。」
瞬逡の後、全ての記憶を難なく取り戻したシオリから、闘志の炎は鎮火され、すっかり消え失せていた。
曇天の空模様を見上げ、らしくない自問の末に、黙って立ち去る事がきっと最善なのだろうと判断した彼女は未だに停滞に苛まれているバララを一瞥する。
「バララさんそろそろ引き上げよう。」
あっけらかんと言い放ち、傍らに置かれたトランクを雪面で引き始めるのだった。
『………。』
シオリは異空間で起きている事態をまだ知らない……否、それは正確ではないだろう。
少なくとも、彼女の傍らには通常空間への転移を観測し、異常を知り得る存在が居たのだから。
つづく




