1 婚約破棄された聖女は、監獄島に送られる
「――聖女クリスティナ・フォルス! 今日限りで、僕は君との婚約を破棄させて貰うぞ!」
煌びやかな衣装を身につけた貴族達が集う、王宮主催の舞踏会の会場に。ライラック王国第一王子――エルムハルト殿下の叫び声が高らかに響き渡った。
ざわざわと、どよめき立つ舞踏会の参加者達。
一体何事が起きたのかと、ある者は不審の視線を。ある者は王室で何かスキャンダルが起きたのかと、好奇の眼差しをこちらに向けながら。
この場にいる全ての貴族達が一斉に、エルムハルト王子に指先を突きつけられた――この私に注目している。
「――待って下さい、エルムハルト殿下! どうしてなのですか? この私が一体、何をしたというのです!」
現在の事態が飲み込めず、私は必死に王子に弁明を試みる。騒ぎを聞きつけた会場中の人々が周りに集まり始め、華やかだった舞踏会は今や大混乱に陥っていた。
「――僕が何も知らないとでも思ったのか? 君は聖女後継者としての地位を利用し、王都に蔓延る人身売買の闇取引に加担して莫大な富を得ていた。何の罪も無い街娘達を奴隷として高値で隣国に売り飛ばしていたんだ。それだけじゃない! 君は更に宮廷内で禁忌とされている『黒魔術』の儀式まで行ったそうじゃないか!」
「一体、何を言っているの!? それは全くの濡れ衣です! 私には何一つ、心当たりが無い話ばかりだわ!」
「嘘をつくな! クリス、君には本当に失望したよ。まさか聖女後継者の地位にありながら、この国を貶める恐ろしい陰謀の数々に加担していただなんて!」
あんなにも私と仲の良かったエルムハルト王子が、まるで汚らわしい罪人を見るような冷酷な目つきで、睨みながら私を断罪してくる。
その凍てつくような視線を向けられただけで、私の心臓の鼓動は今にも凍りついて止まってしまいそうだった。
お願いだから、今この場で起きている全ての出来事が『悪い夢』であって欲しいと願ってしまう。
だって……当事者であるこの私自身が、エルくん。いいえ、ライラック王国第一王子のエルムハルト殿下から『婚約破棄』を言い渡され。しかもありもしない罪で断罪されそうになっているだなんて……。
こんな事は全くの予想外、まさに私にとって『寝耳に水』のような出来事だったのだから。
私はライラック王国に忠節を捧げる事を誓い、『聖女』の役職を代々継承してきたフォルス家の長女、クリスティナ・フォルス。
この国に結界を張り、ライラック王国を守護する次期聖女候補として王家に嫁ぐ為に育てられてきた女。
だから私は幼少の頃から、第一王子のエルムハルト殿下――エルくんが、将来婚姻を結ぶ許嫁なのだと聞かされて育てられてきた。
それなのに一体、なぜなの……?
どうしてあんなにも仲良しで、互いの事を強く信頼し合っていると信じてきたエルくんから。
皆の見ている舞踏会の会場で、まるで親の仇を見つめるような視線を向けられて。こんなにも一方的に、婚約破棄を告げられないといけないのよ?
ライラック王国を守る『聖女』を排出するフォルス家に生まれた私は、王家とフォルス家の取り決め通り。第一王子のエルムハルト殿下と結婚する約束になっていた事に、不満なんて一切感じていなかった。
だって私はエルくんの事が……子供の頃から本当にずっと大好きだったのだから。
金髪碧眼で彫刻のように美しく、優美な外見をしたエルムハルト王子は、私にとって本当に自慢の許婚だった。
だから私は、心から彼と一緒になりたいと願っていたし。生涯エルくんと共に人生を歩んでいく覚悟もしていたわ。
それなのに、どうして……私に対してそんなにも恐ろしい目つきで睨みつけてくるのよ、エルくん。
私がどんなに祈るような視線で彼を見つめても、今や氷の王子と化したエルムハルト殿下は、私への断罪と追求を止めてくれる事は決して無かった。
「――例え、由緒正しき聖女の家系であるフォルス家に生まれた者であっても。これだけ多くの罪を重ねた不届き者を許す事は断じて出来ない。即刻、聖女後継者である君の地位は剥脱され、大法廷にてその罪は厳格に問われるであろう!」
「待って、エルくん……! いえ、エルムハルト殿下! お願いだから、私の話を聞いて下さい!」
「黙れ! 証拠は全て揃っているんだ! 君に弁解の余地など無い。宮廷警察が君の部屋から既に、数々の物的証拠を押収している! もはや何人たりとも言い逃れ出来ない量の証拠が、王室に提出されているんだぞ!」
目の前で起きてる出来事が到底、現実だとは思えず。
私は激しい頭痛と、強烈な眩暈に襲われて。その場で思わず卒倒しそうになってしまった。
でも、いけない。ここで、ちゃんとエルムハルト殿下に反論をしなくては……!
私は藁にもすがる思いで、舞踏会に出席している妹のアリスティアに向けて声をかけてみた。
「アリスティア! お願い、あなたからもエルムハルト殿下に説明して頂戴! 私がそのような恐ろしい罪を犯すはずがないと、証言して欲しいの!」
懇願するように、私が伸ばした手を……。あろう事か妹のアリスティアは、汚らわしい者を遠ざけるように『パチン!』と力強く叩いてみせる。
そして妹のアリスティアは、幼い頃から一緒に育てられた肉親であり。親愛なる姉であるはずの私に対して、耳を疑うような罵倒の言葉を浴びせかけてきた。
「――クリスティナお姉様! 私はお姉様の事を心から尊敬していたのですよ? それなのに、こんなにも恐ろしい犯罪に手を染め。あまつさえ罪の無い王都の少女達を、他国に人身売買で売り飛ばしていただなんて……。そのような卑劣な行いを私は断じて許せません! お姉様は聖女の家系であるフォルス家の名誉を汚す、とんでもない売女だったのですね!」
「……あ、アリスティア……!?」
信頼していた妹からのその一言が……既にヒビが入り崩壊しかけていた私の心を守る最後の防壁を、完全に打ち砕いてしまった。
もはやその後に起きた出来事を、放心状態に陥ってしまった私は……何も思い出す事が出来なかった。
舞踏会の会場に駆けつけた憲兵達によって私は捕えられ。両手に罪人用の黒い鎖の手錠を付けられて。
大勢の貴族達が見ている中で、私は引きづられるようにして連れ去られた。
心がボロボロに壊れてしまった私には、もはや何も言い返す事が出来なかった。
敬愛していた婚約者のエルムハルト殿下に突き放され。愛しい妹のアリスティナからも、憎悪と侮蔑の言葉を浴びせられ。
私は一体……どこまで堕ちていくのだろう?
王宮内にある地下の牢獄に送られた私には、フォルス家にいる両親との面会さえ許されなかった。
その後は簡易的な宮廷裁判官による事務手続きを経て、一方的に罪人として私は断罪され。
人目の全く届かない地下の裁判所の中で、秘密裏に私への処分の全てが決定されてしまった。
心が完全に砕けて、自我を失ってしまっていた私には……どのような判決文がその時に宣告されたのか、あまり詳しく憶えていなかったけど。
どうやら私には『聖女後継者』としての身分があった事から、本来与えられるべきだった『死刑』だけは免れたらしい。
それはきっと、この国には昔から聖女を殺害すると大きな災いが起こるという伝説が言い伝えられていたからだろう。
その為――幾つかの機械的な事務手続きを経て。
私の身柄は、西の海に浮かぶ『監獄島』へと送られる事になった。
まだ17歳だった私は……そこで一生涯、陽の光を浴びる事も許されない、地下の牢獄の中でひっそりと生きる事を強いられる事になった。
牢獄の中にいる私には、誰からの面会も許されず。世間から『私』という存在がいた事が、完全に忘れ去られてしまったかのように。
ただ虚しく、悠久の時だけが……監獄島の地下牢獄の中で無限に流れ続けて――。
気がつけば私はもう、47歳になっていた。
王宮を離れて、西の海に浮かぶ監獄島に送られてから。既に30年もの月日が経過していた。
私が『元聖女後継者』であった事を憶えているような者は……もう、誰もいない。
監獄島にいる看守達の噂話で、フォルス家の聖女の地位は、妹のアリスティアが引き継いだらしい事を知った。
その妹も既に現役の聖女の地位を引退して。今はその娘が今度、新しく聖女の地位を引き継ぐ為の儀式が王宮で執り行われるという噂があるようだ。
私は今日も地下の牢獄の岩壁の隙間から、わずかに覗き見る事が出来る青い海の景色をたった一人で見続けている。
この30年間、何も変わらず。ただ海しか見る事の出来ない私は……変わり映えの無い青い景色と、波の音しか聞こえない牢獄の中で今も孤独に生き続けていた。
鏡などは何も置かれていない場所なので、今の自分の顔を確認する事は出来ないけれど……。
こんな場所で『罪人』として朽ちていく私の外見はさぞ、老いてしまった事だろう。
こんな寂しい場所で、誰にも知られる事なく。
誰にも『私』という存在は、思い出される事もなく。
30年も前に罪人として流刑の刑に処され。重罪を犯した犯罪者の汚名を与えられた元聖女後継者として、私はここで一人で死に絶えるのだ。
「――おい、囚人417号。今日の飯だぞ!」
ボサボサの髭を長く伸ばした、匂いの臭い看守男から数字で呼ばれた。それがここでの私の『名前』だ。
牢屋の下に設けられた鉄製の小窓から、まるで犬の餌のような残飯が与えられる。
「………ありがとう、ございます………」
「……ったく、相変わらず汚ねえババアだな! 何の罪で投獄されたのかは知らないけどよ、そんなに醜くなってまで生き続けたいものなのか? さっさとくたばっちまえよ!」
「…………」
牢の中で与えられた、腐りかけのパンを食べる為に。
シワだらけの手で、硬いパンを食べやすいように半分に割ろうと。私は震える指先に力を込める。
もう、口の中には歯もほとんど残ってない。
だからこうして細かくパンを千切らないと、うまく咀嚼する事さえ出来ない。
それでもまだ、食べれるだけありがたい。
以前に看守の担当が変わった時。引き継ぎが上手くいっていなかったのか、私のご飯は5日間……何も与えられない事もあったのだから。
あの時は、本当に死ぬかと思った。
飢餓に苦しみ、気が触れてしまい。岩牢の中に落ちている石ころを食べようとして、歯のほとんどが欠け落ちてしまった。
震える指先で、ゆっくりとは腐りかけのパンを千切っていると――。パンの中に、キラリと光る小さなガラスの小瓶が入っているのが見えた。
私は驚いて小瓶を蓋を開けてみると。中には、小さく折られた紙切れが入っていた。
「これは………?」
紙切れを広げてみると、そこにはこう書かれていた。
『――ライラック王国元正統聖女である、クリスティナ・フォルスよ。汝は聖女である自分に無実の罪を着せ。今も至福の人生を謳歌している者達への復讐を望むか? それともこのまま罪人として岩牢の中で朽ち果て。誰にも思い出される事なく、孤独に死にゆく最期を望むか?』
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