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霧の中のセイレーン

 霧の中から美しい歌声が聞こえてきた。


 なんとも場違いな出来事である。

 だが、その歌声には敵意も殺気もなく、ただ、聴く者の耳を惹きつけた。


「……夜空にたなびく青白い流星……天上では綺麗とほめられても……地球に落ちればただの石ころ……昔は輝いていたと屑星くずぼしが周りの小石につぶやくが……誰も耳を傾けない……失われた愛が欲しいだけなのに……」


 唄声の歌詞は失恋の悲しさを訴える物悲しいブルースであった。


 暗い曲だが、後半は不思議と希望が湧くフレーズが流れて、心地が良くなる。

 戦闘中だというのに、蒼太と樹里は、唄に聞きほれていた。 


 慈愛に満ちた優しい声であった。

 半魚人たちと戦闘中だというのに、何もかも忘れて、闘争心が消えていく……


「待て……この歌声はどこかで……」 


 わずかに残った理性で周囲を見れば、あの海童たちをもが動きを止め、ゆらゆらと身体を揺らし、弾き語りの曲に聴き入っていた。

 まさに種族を越えて魅了する魔の唄であった。


「まるで、セイレーンの歌声のようだ……」


 海の魔女セイレーンは、ギリシア神話に登場する海の怪物である。

 上半身が人間の女性で、下半身が鳥の姿、もしくは魚の姿をした海のモンスター。


 航路を渡る船乗りたちを、岩礁から美しい歌声で魅了して船乗りたちを惑わし、海難事故に引き込む。

 唄声に魅惑された船乗りたちはセイレーンたちに食い殺され、島に人骨の山ができたという。

 この魔曲は、そういう神秘の歌声なのかもしれない。


 霧の中からギターを持った人影が現れた。

 チューリップハットにジージャン・ジーパンの髪の長い女性アーティストだ。

 サングラスをかけていて表情はよくわからない。


「あっ、あんたはカフェテラス『ローレライ』で弾き語りをしていたシンガーじゃないか……なんでこんな所に!?」


 アクアブルーは疑惑の目を向けたが、楽曲を聴くと、どろどろに脳がとろけて理性が吹っ飛び、曲に聞きほれてしまう。

 店で聴いていた客たちも歌曲に聞き惚れていたが、今はそれ以上の魅了度だ。


 妖しい歌い手はギターを奏でながら、


「……さあ、玉匣を差し出しなさい……そうすれば、失われた愛が取り戻せるのよ」


 この歌い手は玉匣のことを知っていた。

 怪しさ満点であるが、今は魅惑の歌曲にハートを奪われ、樹里も半魚人たちも疑惑などどうでもよかった。

 玉匣を持って入れば、彼女に無条件に差し出す想いだった。


「……誰が玉匣を持っているの?」


 エージェントたちも海童たちも、女の妖声ようせいに幼児のように素直に従った。全員が首を振った。


「……じゃあ、どこに玉匣はあるの?」


 皆が一斉に墨江屋敷の方角を指差した。


「そう、ありがとう……」


 魔の歌い手の瞳が怪しく光る。


「くっ……このままじゃ駄目だ!!」


 アクアブルーはわずかに残った理性で、舌を噛んだ。


てっ!!」


 舌の痛みがアクアブルーにかかったチャームの魔法を解いた。


「Eスーツ、遮音モードだ!!」


 イクシード・スーツの襟元から形状記憶合金がせり出し、フルフェイス・ヘルメットが蒼太の頭部を覆った。

 そして、遮音機能が魔の歌い手の楽曲を消す。


「今だ!! 冷凍弾モード!!」


 アクアブルーがイクシード・ハンドガンを歌い手に射った。

 女性アーティストはギターを上げて銃弾を防いだ。

 そのギターがたちまち凍りつく。


「しまった!!」


 歌い手は凍ったギターを地面に投げ捨てた。


 蒼太も樹里もチャームの洗脳が解けた。半魚人たちもしばらく放心状態となった。


「あの歌手はいったい何者だ!?」


「聞いたことがある……共産党中央情報部に歌曲を使った妖術を使う女間諜スパイがいると。仇名は『セイレーン』だ」


 まだふらつくソルレッドが記憶の底から思い出した。


「中共のスパイか……おれも聞いたことがあるぜ。たしか、秘密機関『青い蛾』の李嫦娥りじょうがだ。名前の通り、月の女神のようにぞくりとする美女だったんだな……」


 日本近海に戦闘機や船舶を接近させて情報を探り、太平洋進出に野心的な中共のエージェントは日本に潜伏していた。


「イクシード・フォースにまで名前が知られてしまうとは、私も有名になったものだな!!」


 女弾き語りがチューリップハットを投げ捨て、長い髪のカツラとジージャンを投げ捨てた。

 そこには身体にフィットした黒いボディスーツをまとった三つ編みの妖艶な美女がいた。


「いかにも私は李嫦娥よ。イクシード・ナンバーズのアクアブルーとソルレッドね。お見知りおきを」


「俺達のことを知っているのか?」


「中共の情報網を甘くみないで」


「玉匣のことをどうして知った?」


「米軍基地を盗聴していた……おかしな動きがあると盗聴スタッフが探り出し、調べてみたら地震発生装置なるものを狙っているという……中共としては見逃せないわ」


「そうだったのか……それで妖術使いの嫦娥まで日本に出張ってきたわけか」


「その通り。それと、妖術じゃなくて、道術どうじゅつよ」


 道術とは、中華の伝統思想である道教における修行や法術の総称である。

 宇宙の根本現原理である『タオ』を実現するための実践的な術のことで、『仙術』や『方術』とも呼称する。


「抜かしやがれ!」


「玉匣はいただいていく!!」


 嫦娥はガンホルスターから92式手槍しゅそう(QSZ-92―9)を取り出して、アクアブルーに銃口を向けた。

 手槍とは、中国語で拳銃のことだ。


 これは中国人民解放軍に配備された制式採用拳銃である。9mmパラベラム弾も使えるが、同じ重量の9×19mmDAP92弾は、弾芯がスチールコアとなっており、貫通力がそれより上である。


「いや、タマバコは我々の物だ!!」


「なんだと!?」


 霧の中から拳銃をもったコディ軍曹とロジャース軍曹が現れた。

 飛行器具は壊れて外してきている。

 気絶していたゴリガン中尉もいるが、まだ強化人間の変身が解けたばかりで、ふらふらしている。


 コマンドたちの手には米軍制式軍用拳銃のシズ・ザウエル17を握っていた。

 米軍は35年の長きに渡り、ベレッタM9などを使用していたが、これに変るものとして、XM17モジュラー拳銃システムコンペティションが行われ、2017年に選ばれた。


 シズ・ザウエル17は、ベレッタM9を超える精度をほこり、アメリカ陸軍・海軍・海兵隊・空軍・宇宙軍に採用されている。

 なお、特殊部隊はライフルと拳銃の2丁を所持することが許されているのだ。


「アメリカに渡してなるものか!!」


 嫦娥の叫びに呼応したように、霧の中から男たちが姿を現した。


呉剛ごこう玉兎ぎょくと金烏きんう、先に米兵を倒せ!!」


明白ミンバイ(了解)!!」


 特殊コマンドらが拳銃を撃つが、中共エージェントたちは身軽な動きで9mmNATO弾の弾道を避け、コマンドたちに肉薄した。


「見せてやろう、中共三千年の技を……獣王拳じゅうおうけん鷹拳たかけんのひとつ鷹爪脚ようそうきゃく!!」


 両手を広げて舞い上がった玉兎が、コディに飛び蹴りを喰らわせた。


「ゴフッ!!」


 コディが5メートルも吹っ飛ばされた。


「くそっ、功夫クンフー使いか!?」


 獣王拳とは、中国大林寺に伝わる門外不出の必殺拳である。

 龍拳・鳳凰拳・虎拳・鷹拳・鶴拳・蛇拳・猿拳・熊拳などの動物の動きや特徴を模した形意拳けいいけんでもあった。


 獣王拳の上段者は、『けい』と呼ばれる力を用いて、対戦者を圧倒する。

 もともと形意拳は南宋時代の名将・岳飛がくひが創始した拳法が発祥であり、清朝末期に李洛能りらくのうによって、現在に体系づけられた。


 さまざまな分派があり、中でも『獣王拳』は危険な殺人拳法として奥義書が長らく大林寺に封印されていた。

 だが、毛沢東もうたくとう時代に発掘され、極秘裏に秘密機関に伝承されていった。


「なめるんじゃねえ!!」


 ロジャース軍曹とゴリガン中尉が拳銃をぶっ放し、『青い蛾』の間諜スパイたちがそれに応じて撃ち、霧に紛れて米兵に接近し、獣王拳で白兵戦を仕掛ける。


熊拳くまけん熊手槌ゆうしゅつい!!」


 巨漢の呉剛が『頸』を込めた正突きをゴリガンの腹に当てた。


「エフッ!!」


 呉剛の発頸はっけいにより、気を乱されたゴリガンが吹き飛ばされそうになったが、足を踏ん張って耐える。


 そこを呉剛がゴリガンに組み付きクリンチ状態になった。

 そして、呉剛は太い腕でゴリガンの胴回りを抱きこみ、持ち上げて、絞り込むように締め付けた。


「熊拳・熊胴壊ゆうどうかい!!!」


「グワアアアッ!!」


 ゴリガンの背骨から肋骨が圧迫され、メリメリと骨がきしむ。


「このまま締め殺してやるぜ!!」


「ぐぬぬぬ……ベアハッグを使うとは……てめえはヒクソン・グレイシーか!?」


 ゴリガンは頭突きを呉剛に食らわせ、拘束がゆるんだ隙に前屈みになった彼の頭を右腕に抱え込み、左腕で彼のベルトをつかみ、呉剛の身体を逆さまにして持ち上げた。

 足を踏ん張り、反動をつけて呉剛を背後に投げつけた。


「ブレーンバスター(脳天砕き)!!」


「ゲフッ!!」


 呉剛の背中が地面に叩き付けられる前に、受け身をとった。だが、ダメージは大きい。

『青い蛾』の拳法に、米兵はアメリカ陸軍式格闘術で応酬し、スパイ対コマンドの争奪戦は続いた。


 霧の中で銃撃音と肉弾戦の音が木魂こだまし、玉匣の争奪戦は混迷をきわめてきた。 




 スパイ映画に出てくる中共スパイは大抵クンフー使いだよね。


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