↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『銀河の果てでも博多弁』  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/26

境界宙域の影

 第9話

「境界宙域の影」


 惑星アステリアの朝は、リングの光から始まる。


 空にかかる巨大な輪が、薄い金色に輝き、街の屋根や観測塔をゆっくり照らしていく。


 だが、その美しい朝の下で、アレン・レイフォードの家は相変わらず騒がしかった。


「兄ちゃん、パン焦げてるで」


「焦げてへん。これは香ばしさや」


「黒いやん」


「黒も香ばしさの一部や」


 妹のリリィが冷静に言った。


「それ、前のカレーと同じ言い訳やで」


 母エレナが台所から振り向く。


「アレン。あんた、また火加減見てへんかったやろ」


「母さん、俺は観測士や。星は見れる」


「トースターも見なさい」


 父ダニエルが新聞型端末を見ながら笑った。


「星よりパンのほうが近いのにな」


「父さんまで!」


 アレンは黒くなったパンを見つめた。


「……これは、境界宙域の影を表現した芸術作品や」


 リリィが即答する。


「食卓に戦争持ち込まんといて」


 いつもの朝だった。


 大阪弁が飛び交い、母がツッコミ、妹が追撃し、父が余計な一言を足す。


 だが、テーブルの上に流れているニュースだけは、いつもと違っていた。


『ノクティア共和国艦隊、境界宙域での訓練を継続。共和国側は、航路安全条約への違反はないと主張しています』


 エレナの表情が少し曇った。


「またこの話か」


 ダニエルも端末を閉じる。


「採掘権やら利権やら、上の連中は好き勝手言うとるけどな。そこに住んどる人間のこと、どれだけ見えてるんやろな」


 リリィがパンを皿に置いた。


「学校でも先生が言うてた。境界宙域の通商船、遅れが出始めてるって」


 アレンは黙っていた。


 観測局にも、すでに異常データは届いている。


 通常訓練にしては艦艇の動きが不自然すぎる。


 資源採掘衛星付近に、必要以上の無人警戒機。


 通信ノイズ。


 航路変更。


 それはまだ戦争ではない。


 けれど、戦争の前に漂う、嫌な匂いだった。


 アレンは、ふとルミナスから届いた映像を思い出した。


 三つの月。


 洗濯槽みたいな海。


 博多弁で笑う三姉妹。


 そしてミラの声。


『あなたの星のことも、教えてください』


 アレンは小さく笑った。


「採掘権か利権かなんか知らんけど……」


 リリィが顔を上げる。


「何?」


 アレンは黒焦げパンを掲げた。


「うちらのボケツッコミが世界を救うかもしれへんで」


 エレナが即座に言った。


「まず朝ごはんを救いなさい」


 ダニエルが吹き出した。


「そっちはもう手遅れや」


 リリィも笑った。


「兄ちゃんのパン、停戦交渉に出したらええねん。敵も味方も黙るで」


「兵器扱いすな!」


 笑い声が食卓に広がった。


 ニュースの重さは消えない。


 けれど、笑いがあるから、沈みきらずに済んだ。


 その頃、惑星ルミナス。


 星野家のリビングでは、ミラがアステリア方面のニュースを追っていた。


 ヒカリは横で腕を組む。


「ノクティア、通常訓練って言い張っとるんやろ?」


 ユウが不安そうに言う。


「でも、訓練にしては近すぎるって外交官さん言ってたね」


 父・航平が低くうなずく。


「航路に圧かける時の動きたい。貨物船乗りならわかる。あれは、ただの訓練やなか」


 母・美咲も険しい顔をしていた。


「緊張が高まると、最初に苦しむのは現地の普通の人たちよ。病院、学校、物流、食卓。全部に影響が出る」


 ミラは端末を握る。


「アレンさんたち、普通に朝ごはん食べられとるかな」


 ヒカリは少し笑わせるように言った。


「アレンさんのことやけん、パン焦がしとるかもしれん」


 ユウがくすっと笑う。


「ありそう」


 ミラも少しだけ笑った。


「ありそうやね」


 でも、その笑いの奥に、不安は残った。


 その日の午後。


 ルミナス星系外交局では、セリナ・香月外交官が連邦代表部との通信会議に臨んでいた。


「ノクティア共和国に対し、艦艇の即時後退と、境界宙域での無人警戒機運用停止を求めます」


 相手側の連邦高官が応じる。


『ノクティアは通常訓練の範囲内と主張しています』


「通常訓練なら、民間航路へ圧力をかける必要はありません。星間航路安全条約第十二条に抵触する恐れがあります」


『強い表現ですね』


「弱い表現で止まる相手なら、ここまで来ていません」


 セリナの声は静かだった。


 だが、そこには強い意志があった。


「戦火が起きてからでは遅いのです。私たちは、起きる前に止めるために動いています」


 その言葉は、外交局内部の記録として残された。


 しかし、ノクティア側からの返答は冷淡だった。


『我が国の艦隊行動は主権に基づく通常訓練であり、外部からの干渉は受け入れない』


 緊張は、緩むどころか、さらに濃くなっていった。


 一方、アステリア観測局。


 アレンは観測室で、境界宙域のデータを見つめていた。


 先輩観測士のマルコが、低い声で言う。


「またノイズが増えた」


「自然現象ちゃいますよね」


「違うな。これは人工的な妨害に近い」


 アレンは画面に表示された航路データを見た。


 通商船のルートが、少しずつ遠回りになっている。


 観測衛星の一部は、データ遅延を起こしている。


 まるで、誰かが境界宙域に薄い影を落としているようだった。


「……リングの空は、今日もきれいなんですけどね」


 マルコが横を見る。


「急に詩人か?」


「いや、遠い星の人に教えたいなと思って」


「例の博多弁の子か」


 アレンはむせた。


「な、なんで知ってるんですか」


「観測局中が知ってる。カレー焦がした通信の件で」


「それ広がってるんですか!」


「ついでにお好み焼き失敗映像もな」


 アレンは机に突っ伏した。


「俺の料理事故、百光年規模で拡散してるやん……」


 マルコは笑った。


「ええやないか。こんな時代や。誰かを笑わせられるなら、それも才能や」


 アレンは顔を上げた。


 その言葉が、少し胸に残った。


 夜。


 アレンは自宅のベランダに出た。


 リングの空が、銀色に輝いている。


 遠くでは、防空訓練の警報音が短く鳴り、すぐに止まった。


 まだ日常はある。


 でも、その日常の端に、見えない影が触れ始めている。


 アレンは古い深宇宙ラジオ端末を起動した。


 録音ボタンを押す。


「こちら、惑星アステリア。アレン・レイフォードです」


 少し間を置いた。


「ミラさん。そっちの星は、今日も月が三つ見えてますか。こっちはリングがきれいです。ニュースはちょっと物騒やけど、うちはまだ大丈夫です」


 彼は笑おうとした。


「ちなみに今朝はパン焦がしました。カレー、お好み焼きに続く第三の事故です。母さんには『トースターも見なさい』言われました」


 少しだけ、声が静かになる。


「でもな、こうやってしょうもない話ができるうちは、まだ大丈夫やと思いたいんです」


 アレンは空を見上げた。


「採掘権とか利権とか、正直ようわからん。でも、こっちには家族がいて、台所があって、観測局があって、しょうもないボケにツッコんでくれる人がおる」


 そして、少しだけ照れたように言った。


「だから、そっちも笑っててください。俺も、できるだけ笑います」


 録音終了。


 送信。


 その声は、すぐには届かない。


 届く頃には、今の状況がどうなっているかもわからない。


 それでもアレンは送った。


 ラジオの向こう側に、聞いてくれる人がいると信じて。


 ルミナスの夜。


 まだ届かないその声を、ミラは知らない。


 けれど、彼女も同じ空の下で祈っていた。


 三つの月と、リングの空。


 違う星。


 違う方言。


 違う時間。


 それでも、同じ不安と、同じ願いがあった。


 戦争の影が近づいてくる。


 だが、その影の中で、笑い声だけはまだ消えていなかった。


 次回予告


 アステリアから送られたアレンの新たな通信。


 しかしそれがルミナスに届くには、まだ長い時間が必要だった。


 その間にも、境界宙域ではノクティア共和国の艦隊が動き続ける。


 ルミナス外交局は連邦議会で強い警告を発するが、ノクティア側は反発。


 一方、ヒカリは「笑いで緊張をほどく特別放送」を企画する。


 次回、


 第10話

「笑いは停戦信号」


 冗談のような声が、時に一番まじめな祈りになる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。