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白い結婚のはずが、夫が寝言で私を褒めてくる  作者: 守えま


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第12章(最終章) 新しい朝

冬至祭の夜が明けた。

空は薄い青に変わり、屋敷の屋根にも庭木にも、薄く雪が積もっていた。


エレナは、いつもより少し遅く目を覚ました。

隣にヴィクトルがいる。

ヴィクトルは既に起きていて、とても真剣な顔でエレナを見ていた。

「おはようございます」

「おはよう」

「いつから起きていたのですか」

「少し前から」

「見ていたの?」

「ああ」

ヴィクトルは少しだけ視線を逸らした。

エレナはくすりと笑った。

「見ていた方が恥ずかしがるなんて、おかしい」

「仕方がない。君が可愛いから」

エレナは頬を染めて布団に隠れようとした。

ヴィクトルはその頬にそっと手を伸ばす。

「まだ見ていたい。いいだろう?」

「恥ずかしいです」

エレナが本気で困った顔をしたのを見て、ヴィクトルは笑った。

解き放たれたような笑顔だった。


昨夜、魔術書庫でセドリを捕らえたことは、領民には知らされていない。

祭りは最後まで滞りなく終わり、火は分けられ、護符は配られ、古い厄は冬の闇へ返された。

白い外套は、白いままだった。

壁に掛かったその事実を、ヴィクトルは何度も確かめるように見ていた。

「ヴィクトル様」

「何だ」

「外套に穴が空きますよ」

「見ているだけだ」

そう言って、ヴィクトルはようやく外套から目を逸らした。

けれど今度はエレナを見る。

今朝はずっと、そんな調子だった。

食事中も。廊下を歩く時も。騎士から報告を受ける時も。

エレナが少し席を立つだけで、視線が追ってくる。

昨夜記憶を塗り替えた衝撃が、ヴィクトルの中でまだ収まっていないのかもしれない。


遅めの朝食後、捕らえたセドリの尋問記録が届いた。

セドリは最初、口を閉ざしていた。だが、エレナの残留記録魔術で残された会話と、王都にある写しの存在、さらにレオンが掴んだベルトラム侯爵との接触記録を示されると、沈黙を貫く意味は薄れた。

 黒幕は、ベルトラム侯爵。

 北方防衛費の横領。

 魔導具購入費の二重計上。

 砦修復費の未納。

 冬期備蓄の輸送費の水増し。

証拠は揃っている。もう揉み消せない。


「これで、北方の不利益を正せますね」

エレナが言うと、ヴィクトルは静かに頷いた。

「ああ。君のおかげだ」

「私だけではありません」

「君がいなければ、父君の本は読めなかった。セドリの術式も見抜けなかった」

「あなたがいなければ、私は昨日、魔術書庫で立っていられませんでした」

ヴィクトルは黙った。

彼の沈黙には種類がある、とエレナは思った。

隠している沈黙。迷っている沈黙。照れている沈黙。そして、感情を言葉にできない沈黙。

今の彼の沈黙は、最後のものだろう。



昼過ぎ、療養地からヴィクトルの両親が到着した。

半隠居中の元辺境伯夫妻は、解決したとの報を受け、雪道にもかかわらず馬車を飛ばしてきたらしい。

ヴィクトルの父は、屋敷に入るなり息子を見た。

「禁術を使ったのか」

第一声がそれだった。

エレナは思わずヴィクトルを見た。

ヴィクトルは逃げなかった。

「はい」


父は長く息を吐いた。

怒っているようにも、安堵しているようにも見えた。

「代償は何だったんだ」

「前の時間軸の記憶と記録が強く残り、睡眠中に本音が漏れるようになりました」

「寝言か」

「はい」

「それで済んだのか」

「おそらくは」

「……」

父は黙った。

母も黙った。


少しして、父が重々しく言った。

「だが、夫婦間では、命より厄介かもしれんな。隠し事ができない」

「するつもりはありません」

「それも寝言で証明されるわけだ」

ヴィクトルは、言葉に詰まっていた。


ヴィクトルの母がそっとエレナの手を取る。

「あなたたちが無事で、本当によかった」

その言葉は、事情を知っている者の重みを持っていた。

エレナは胸が詰まった。

「ありがとうございます」

父が二人に近づき、両腕で母とエレナの肩を抱き小さく頷いた。

エレナと母はお互い目に雫を光らせながら、笑顔で頷いた。

ヴィクトルは3人の様子を見て、微笑んでいた。

 


その後、王都ではベルトラム侯爵の不正が明らかになった。

レオンが辺境伯の名代で監査院へ証拠を提出し、エレナの父が照合記録を正式に復元し、ヴィクトルの妹が社交界で逃げ道を塞いだ。

北方防衛費の横領は揉み消せなくなり、未納だった物資と費用は改めて補填されることになった。

エレナの父から、非常に長い謝罪の手紙が届いた。

 ――エレナ、危険を正確に見積もれなかったことを深く反省しています。

 ――ただし、君なら必ず正しく扱えると信じていました。

エレナはそこまで読んで、手紙を閉じた。

お父様には、次に会った時丁寧にお説教しなくては。



季節は深い冬へ向かっていった。

ヴィクトルの寝言は、事件が終わってもなくならなかった。

禁術の代償は消えないらしい。

ただし、その日に思ったことが多く漏れるようになった。


夫婦喧嘩をした夜。

「言いすぎた……エレナは正しかった……明日の朝、謝る……花でごまかせない……まず言葉……」

翌朝、エレナは笑顔で言った。

「まず言葉からどうぞ」

「……俺はまた何か言ったのか」

「ええ」


別の日。

王都から使者たちがやってきて、同行の令嬢がヴィクトルを褒めた。

「エレナ以外を見る理由がない……比較対象にならない……早く部屋に戻りたかった……」

エレナは布団の中で顔を赤くし、翌朝その件には触れなかった。

ヴィクトルは一生、浮気できない。証拠が毎晩提出されるからだ。


エレナは、新しい帳面を用意した。

表紙にはこう書く。

 ――夫の寝言記録。

 ――ただし、本人には必要に応じて開示。

それを見たヴィクトルは、少しだけ顔を引きつらせた。

「それは保管するのか」

「ええ」

「何のために」

「夫婦円満のために」

「脅迫、じゃないのか」

「使い方次第です」

ヴィクトルは何か言いたげだったが、結局黙った。


さらに別の日。

エレナが少し食欲を落とした夜。

「エレナの体調が違う……もしや子が……いや、まだ確証はない……本人より先に言うのは失礼だ……医師を……落ち着け……父に……」


エレナは隣で両目を見開いた。

そして、動揺して両手を握りしめた。

「そうなの?そうなの?全く気づかなかった。ヴィクトルを起こす?でも確証はないと言っているから、今、彼を起こしても何もできない。と言ったって、このままとても眠れないわ。ああどうしよう。明日起きたらお医者様に診てもらえるかしら。それで確証が得られたら、ヴィクトルに告げよう。そうしましょう」


頭の中でぐるぐる考えながら、そっと自分のお腹に手を当ててみた。

「赤ちゃん……そうなの?そうだったら嬉しいわ。でも、そうだとしたら……ヴィクトルが先に気付いた……のね……すごいお父様ね……ね、赤ちゃん……」

お腹を撫でながら、エレナは眠りに落ちた。



まだ寒さの残る春の夜。

暖炉の火が小さく揺れる寝室で、エレナは帳面を閉じた。

ヴィクトルは隣で眠っている。

少しすると、低い寝言が聞こえた。

「エレナは……今日も楽しそうだ……」

エレナは彼を見た。

「ええ。楽しいです」

「よかった……」

その声が、あまりにも安堵していたので、エレナの胸がほんわか温かくなった。

彼女はまだ変化のないお腹をそっと撫で、ヴィクトルの頬に口づける。

「私はあなたといると幸せです」


夫のエレナへの過保護は一層増して、この先どこまで甘やかすのか心配になるくらい。

昼間は相変わらず言葉は少ないけれど、よく褒めてくれるようになった。

ただし褒め方が真面目すぎて、エレナをたびたび困らせた。

そして夜になれば、本音がこぼれる。

少し厄介で、少し騒がしく、かなり甘い代償。


エレナは寝言を聞きながら、静かに目を閉じた。

今年の冬は、二人で超えた。 

次の冬は、三人で越える。

その次の冬も。

何度でも、一緒に。

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