13 現実
結局、学校へは二時間ほど遅刻した。
公園を飛び出した後、美亞未はしばらく当てもなく歩いていた。リックスが追いかけてくる気配はなかったのが、幸いであった。電車はまだ止まったままだったので、学校まで歩くことにした。
頭に残るリックスの声を掻き消すように、イヤホンの音量はいつもより大きくして、ふんふんっと鼻歌を交えながら早歩きをして、当てもなく歩いて行く。
そうして美亞未が学校に着いた頃には、昼休み間近であった。
「はあ……」
思考を止めて、美亞未はトイレの個室の中で、腕を伸ばした。
一人になりたい。落ち着く場所にいたい。そう思い、学校に着くなり美亞未が向かったのは、友達がいる教室ではなくトイレであった。
便座に座り、現実逃避をするようにスマホの画面と見つめ合っていたが、どんな動画を見ても、意識はリックスの言葉に引っ張られてしまうのだ。
青い瞳の奥に、何を見ていたのか。
からかいなのかそれとも――。
「はあ…」
ため息ばかり出てしまう。
『恋人同士なのか?』
『本当に、そうなのか?』
恋人――……。
希亞樹は弟だ。美亞未は姉。
家族で姉弟。
それ以上でもそれ以下でもない。
リックスが何故そのようなことを聞いたのか、美亞未には分からない。
恋人、そんなこと考えた事も、いや考えないようにしていたことだ。
だから、答えは「いいえ」しかない。
否定は間違えではない。
「あ~……っ」
けれども、美亞未は頭を抱え込んでしまう。
もし、希亞樹とそういう関係だと素直に言えたらどうなる。
――弟なのに……?
この気持ちは何なのか。
自分は弟である希亞樹をどう思っているのか。
美亞未がもう一度キスの意味を考えようとした時だった。
「ねっ、日曜日暇なら買い物行かない?」
「んーいいけどどこ行くの?」
聞き覚えのある声が、外から聞こえた。
友達の声だ。
美亞未は立ち上がり、鍵を開けようと手を伸ばした。
「ミミも誘う?」
「ミミはいいかなあ。ちょっとどんくさい所あるし……」
「あー確かに…」
飛び出そうとした身体がピタリと硬直してしまう。
彼女たちにこちらの姿など見えないのだから、息を殺す必要もないのだが、美亞未はまた便座に座り込む。
「ミミと言えばさー」
「なに?」
「弟とすっごい仲良いよね。この間も一緒に帰ってたよ。弟、教室まで迎えに来てさ」
「ブラコンシスコンってやつね」
悪気のない声に、息苦しさを覚える。
「でもさ、ちょっと距離感近くない? 電車の中で手繋いでた、って見た子いるみたい」
「えーマジで? さすがにこの年で手手繋ぎはねえ……。仲良いというかちょっと引くわー」
くすくすと笑い声が重なり合う。
「ね、どうする? 実はヤッてたりしてたらっ!」
「あははっ! キモ過ぎっー!! そんなんだったら、絶交するかもわたしっ!」
「……!!」
聞こえてきた甲高い笑い声を掻き消すように、トイレの水を流していた。
蛇口の水が流れる音がする。それから、カチャ、カチャとポーチからメイク道具を取り出す音。
雑談はすぐに別の話題へと流れていく。
便座の冷たさが、じんわりとスカート越しに伝わってくる。スマホの画面が暗くなって、また点いて、また暗くなった。
美亞未は話し声が聞こえなくなっても、しばらく動けないでいた。
悪意があったわけではない。ただの何気ない日常的な会話だ。
自分だって、他人のことをそういう風に笑ったことがないとは言えない。
だから余計に、胸が痛んだ。
『仲良すぎない?』
『キモー!』
『恋人同士――』
幾重もの声が、鼓膜を震わせていく。
喉の奥が、じわりと熱くなる。
泣くな、とは思わない。ただ、泣いたとして何も変わらないことは分かっていた。
頬に手を当てて、美亞未は自問自答を繰り返した。
――私は何をしているんだろう……。
胸にわだかまる不安を掻き消すように、希亞樹の匂いを思い出していく。
「……」
個室から出ると、トイレには誰もいなかった。
鏡の前に立って、長い髪を一つにまとめてみて、すぐに解いた。
――どうしたいのかな、私。…アキは…。
答えはまだ分からなかった。
美亞未は鏡に向かって、いつもより少しだけ雑に笑ってみた。
まあまあ、いつも通りに見えた。




