化け物
旅人が茶屋を去ってから、数刻。
私は彼が座っていた場所を丁寧に拭き、ふと、彼が置き忘れた——あるいは、わざと置いていった——小銭入れに目を留めた。
中には、彼がかつて倒したはずの「魔族の貨幣」が数枚、混じっていた。
皮肉なものだ。かつては忌むべき汚れとして焼き捨てていたはずのものを、今の彼は路銀として大切に抱えて歩いている。
ふと、店先にまた新しい客がやってきた。
今度はこの街の自警団の若者たちだ。彼らは、さっきまでそこに「伝説の勇者」が座っていたことなど露ほども知らず、意気揚々と噂話に花を咲かせている。
「なあ、知ってるか? 隣町の領主様が、また新しい『魔王の残党狩り』を始めるらしいぜ」
「ああ、そうすれば税を上げても文句が出ないからな。結局、誰かを悪者にしとくのが一番安上がりなのさ」
若者たちが下卑た笑い声を上げる。
私はそれを聞き流しながら、お父様の形見の印章をエプロンのポケットの中で転がした。
勇者は魔王を殺し、英雄になった。
けれど、彼が本当に殺すべきだったのは、魔王ではなく、魔王を必要とし続ける「人間の心」だったのだ。
それができない限り、世界は何度でも新しい魔王を作り出し、新しい勇者を使い潰していく。
私は、若者たちの前に熱い茶を置いた。
「……はい、お待たせしました。熱いですよ。火傷にご用心」
そう言って、私は最高の「町娘の笑顔」を作って見せた。
お父様から譲り受けたのは、魔力でも恨みでもない。
この欺瞞に満ちた世界を、鼻歌混じりに生き抜いてやるという、最高に愉快で図太い「悪意」だ。
夕闇が街を包み、また一つ、街灯が灯る。
どこかで赤ん坊が泣き、どこかで酔っ払いが管を巻く。
鏡の中の魔王は、もういない。
けれど、鏡の外にいる私たちの方が、よっぽど化け物じみているのかもしれない。




