お父様の掌
お父様の掌は、いつも鉄の匂いがした。
それは戦場から持ち帰った血の匂いではなく、この冷たい玉座に縛り付けられ、独りで城を守り続けてきた男の、錆びついた涙の匂いだったのかもしれない。
城の下にある街では、色とりどりの旗が振られ、歌が歌われている。
聞こえてくるのは、私のお父様を「呪われた化け物」と呼び、もうすぐやってくる「光の勇者」を神様のように崇める声だ。
変な話だと思う。
お父様は、夜中に私がうなされると、大きな体を小さく丸めて、私が眠りにつくまでずっと古い子守唄を口ずさんでくれる人だ。ゴブリンのゴロが転んで膝を擦りむけば、魔法ではなく、自分の手ぬぐいを裂いて丁寧に包帯を巻いてやる人だ。
でも、街の人たちにとっては、お父様が「優しすぎる」ことは不都合なのだ。
凶作が続けばお父様の呪いのせいにし、隣の国と仲が悪くなればお父様という共通の敵を立てて団結する。そうやって、自分たちの心の中にある「醜いもの」を全部お父様のせいにして、彼らは「正しい人間」でいられる。
「いいかい。あの方がここへ来たら、お前は裏の隠し通路からお逃げ」
お父様は、ピカピカに磨き上げられた鎧を着て、私に言った。
その鎧は、誰かを傷つけるためのものではなく、これから来る勇者という子供に「悪を倒した」という自信を与えてやるための、悲しい舞台衣装だった。
やがて、重い扉が大きな音を立てて開いた。
入ってきたのは、お父様よりずっと若くて、お父様よりもずっと「正義」に酔いしれた、綺麗な瞳の男の人。
勇者が剣を振り上げ、お父様の胸を貫いたとき。
街からは、空が割れるような歓声が上がった。
私は隠れ場所から、その光景をじっと見ていた。
勇者が誇らしげに掲げた剣から滴る血は、私のお父様の、ただの赤い人間の血だった。
街の人たちは、明日から誰を憎んで生きていくのだろう。
勇者様は、いつか自分が「憎まれる側」に回ったとき、お父様のように笑ってそれを受け入れられるのだろうか。
私は、お父様が教えてくれた子守唄を、小さな声で口ずさんだ。
熱狂に沸く世界の中で、本当のことを知っているのは、死んだお父様と、残された私だけだった。




