それとこれとは別
もちろん、門脇の復讐心は、当時はめらめらと燃えていた。
『ああ、鳶崎ロジね。あそこの社員は災難だったね。本社で真逆のことをやらされてるらしい。かわいそうにね』
鳶崎ロジスティクスは、比較的新興の会社で、鳶崎の名前だけが一人歩きしている。門脇芹人という名前は、あまり知られていない。そのことを利用して、門脇は、業界の人間から、元社員の現況を知ろうと考えた。
『だけどさ、』
それを教えてくれた彼らに、悪気などはなかった。ただ、純然たる事実として。抗い難い常識として。口にしただけである。
『あの芝ヶ崎に関わって命があるだけ、鳶崎ロジの社員は強運だったよね』
『……』
『どうした? 顔色悪いよ門脇さん』
『いえ、なんでもありません』
いつか堂々と、鳶崎ロジスティクスの部下たちを迎えに行こうと思っていた。けれど、堂々とできる日なんて、本当に来るのだろうか?
燃えていたはずの復讐心が、少しずつ、種火ぐらいの大きさになっていく。
県下で一、二番を争う物流企業となっても、いや、なったからこそ、壁は見えてきた。圧倒的な知名度、資本、人員、歴史、コネクション、地域性……どれをとっても、今のコンティネンタル・ラインでは、芝ヶ崎に敵わない。
『あそこの社員、やめたらしいよ』
門脇が敵の強大さを知って立ち尽くしている間にも、社員は無念の退職をしていく。そうして誰一人いなくなった。鳶崎ロジスティクスの生き残りは、門脇だけになったのだ。
『社長、いつかまた、みんなで……』
約束は守られなかった。門脇が破ってしまったのだ。
こんなことを馬鹿正直に話したのはいつぶりだろうと、門脇は思った。話せば諌められるか、距離を置かれるかの二択。より鮮明な現実を、突きつけられるだけなのだから。
果たして、目の前のこの少年は、どういった反応を見せてくれるのだろうか。曲がりなりにも芝ヶ崎。というか、本家の長男に脅されて、鳶崎ロジスティクスを救ってくれと言いに来ているんだから、立場は明白か。
ーーちょうど良いのかもしれねえな。
門脇は自嘲する。
ーー芝ヶ崎に関わって命があるだけ、万々歳だ。
それでも、僅かに残ったプライドが、門脇の口を、舌を強引に動かした。
「復讐なんて、馬鹿なことをと思うだろ?」
蟻が人間様に立ち向かうようなものである。それも、一匹の蟻が。
「だが、俺にはそれしかできねえ。鳶崎物商が潰れるとこを見て、ざまあみろと言いたい。その先、首をもがれても構わねえ」
あまりに圧倒的な壁に立ち尽くしていたくせに、そんなことを豪語する自分に呆れてしまう。門脇は、目を見開いた。『社長キマってますね!』。徹夜明けの社員の言葉が耳に蘇る。
「むしろ死ねば、あいつらへの餞になる!」
「う、うう〜ん」
キマっている門脇に対して、目の前の少年は、浮かない顔と声。
「死ぬのはちょっと……」
現代っ子らしい意見だ。何度言えない表情で、多原は口を開く。
「復讐したとして、死ぬのはちょっとなぁ……」
「あ?」
こいつ今、なんて言った? 門脇の「あ?」に慄いたのだろう、肩を跳ねさせた多原は、「え、いや」と小声になる。
「あの、復讐は良いと思うんですけど」
「…………まじか、君」
多原という少年は、平和主義者だと思っていたので、門脇は少し、大いに驚いた。まさか、芝ヶ崎内部の人間が、門脇の復讐を肯定するなんて思わなかったからだ。
「もしかして、芝ヶ崎が強大なことをわかっていないのか?」
門脇が言うのもなんだが、芝ヶ崎の顔に泥を塗った日には、自分が泥の中に全身埋められることになる。それくらい、いわゆる“汚い手”に躊躇がないのだ、芝ヶ崎は。
多原は、ぶんぶんと首を横に振った。
「まさか! そんなことわかってますよ! だって俺、殺しのターゲットになってますし!」
あっけらかんとそんなことを言う。そういえばそうだった。こいつ、殺されかけてるのにそれとこれとを抜きにしようとした変人だった。
「じゃあなんで俺の復讐を肯定するんだ! おかしいだろ、本家からのおつかいはどこに行ったんだよ!」
「はっ! そうだった!」
普通に忘れていたらしい。多原がこほんと咳をする。ついでにお茶を飲む。意外とマイペースな少年である。なくなったお茶を見て悲しそうな顔をしたので、門脇は自らお茶のおかわりをもらいに行ってやった。おかわりをもらった多原の目は、それはもうキラキラと輝いていた。
ほっこりとした顔で言う。
「芝ヶ崎がとってもすごいし物騒なのは身に染みています。だけど、それとこれとは違います」
「また、それとこれとは、か」
「そうです。芝ヶ崎が権力あることと、社長の復讐を否定することは違うんです。おんなじように、俺が鳶崎さんを助けたいことと、社長の復讐を止めることも」
「なんだよ、そりゃ」
門脇は呆れてしまった。なんだその謎理論は。“それとこれとは”が万能すぎる。
「さすがに感情論すぎますよね。うーん、待ってください。両立させる案を考えますから。えーと、復讐できて、鳶崎ロジスティクスを救うやり方……」
多原は頭を抱えて、悩み込んでしまった。しばらく沈黙が降りる。時計がカチカチと時を刻む音だけがいやに大きく聞こえる。その沈黙に耐えられなくなったのは、門脇の方だった。
「くっ、くく……」
口元に手を当てて笑ってしまう。
少年の悩むポーズが面白かった。
そんなことはできないのに、答えを出そうとするのが滑稽だった。
……芝ヶ崎の脅威を知りながら、自分の復讐心を肯定してくれたのが嬉しかった。結局、笑った理由はそれが大きい。
門脇は脱力して、ソファにもたれた。
「どのみち、俺に選択肢はなかったんだ」
葉山から持ちかけられたのは、TOB(株式公開買い付け)の話だった。決まりきった口調がむかついて電話を切ってやったが、あの葉山相手にホワイトナイトの役割を果たしてくれる企業など、あるはずがない。コンティネンタル・ラインは買収される。敵対的か、友好的かの違いだけしかないのだ。
だから……要は、気持ちよくそれを受け入れられるか、受け入れられないかの違い。
ーーだけど。
「まあ、それとこれとは別ってやつだ」
門脇はにやりと笑った。あんまり詳しいことを話してないから、多原少年はにこにこ笑いながら首を傾げている。それでいい。
「復讐心とか、罪悪感とか、気に食わない選択肢とか。それとこれとを抜きにすれば……俺は、君のことを手伝いたいと思ったよ」
「それって、鳶崎さんを助けてくれるってことですか?」
門脇は躊躇いなく、首を横に振った。多原が固まる。
「勘違いするなよ。俺は鳶崎でも、芝ヶ崎でもねえ。君を助けたいだけだ」
少し、くさすぎただろうか。だけどまあ、かつての社員が心の中で、『社長キマってますね!』と言ってくるから大丈夫だろう。門脇は立ち上がって、多原に手を差し出した。多原も立ち上がり、門脇の手を握った。
「よろしくお願いします、社長!」
めちゃくちゃ手を振られた。犬のしっぽ並みにぶんぶんと振られていた。
「よし、じゃあ作戦会議に入ろうか」
「はい!」
「多原君、さっきのICカードを見せてくれるかな?」
「はい……?」
「君ぃいいい、なんでこんなに暗くなってから帰ってくるんだよおおおお」
駅員さんは号泣していた。多原に縋りつきながら、同僚らしき人に首根っこを引っ掴まれながら。
「くそっ、力がつええ! ごめんな君、お願いだから訴えないでくれ」
どこを心配しているかわからない同僚さんに、多原は首を横に振った。普通に、この駅員さんの気持ちが嬉しかったからだ。頭を下げる。
「ありがとうございました、駅員さん。遅くなったのは、美味しい魚料理を食べていたからで、やっぱり海の近くって魚が美味しいんですね」
駅員さんは、穏やかな表情で笑った。
「……良かった。うまくいったんだね」
「はい」
多原は、リュックをゴソゴソと漁った。メロンとご当地ICカード。門脇社長に会いに行く時にお守りがわりになった二枚を、それぞれ片手に持って、重ね合わせて、にっと笑う。
「きっと、うまくいきますよ」
門脇社長のところで、本気で悩んで頭を使って。多原は、爆睡していた。
最初は海が見えると鈍行ではしゃいでいたが、この県、駅が多すぎる。それに、海は実はあんまり、見える瞬間が少ない。
リュックが落ちる音で、多原は目が覚めた。いまいち、夢と現実の境目がわからない中。ぼやっとしてリュックを拾おうとする多原は、窓の外に見えた景色に、
「ぐりーんふらっしゅだ……」
ただの夕焼けを見て、そう呟いた。




