生涯をかけた証明
「ゴールを設定しよう。“俺は鳶崎を助けない”。これは、君がどう説得しようと覆らない。それでも君と会話を続けようとするのはどういう意味かーーいや、たぶんわかんないよなごめんな。忘れてくれ」
不敵に笑った後、門脇は、素直に反省した。目の前の芝ヶ崎産お気楽少年が、ぽかんとしていたからだ。これは、マジでわからない顔である。
この少年、鳶崎の子息がやってきたことを話せるということは、芝ヶ崎が完全にシロではなく、むしろ真っ黒だということは理解しているのだろう。
まあ、鳶崎を通じ芝ヶ崎を知った門脇と違って、生まれた時からどっぷりと芝ヶ崎の泥に浸かってきた少年に、抱く感想ではないかもしれないが。
あまりにも、この少年は泥に浸かってなさすぎる。どうしたらあの陰湿な一族からこんなアホが生まれるのだろうか。今世紀最大の謎である。
ーーそーいうわけで、俺はこいつ……多原君に鳶崎を諦めさせる。
あわよくば、芝ヶ崎から手を引かせる。
それが、すぐに多原を追い出さなかった理由。遠路はるばるやってきた、かわいそうな芝ヶ崎の少年を、その呪縛から解き放ってやることこそが、門脇の使命なのである。だって、なんか、アホがすぎてこの先苦労しそうだし。
門脇は、机の下で指を組んだ。
「今、鳶崎が陥っていることは、葉山のから聞いた。黒字倒産だな?」
「そうなんです。今倉庫にある在庫を捌ききれなかったら、銀行にお金を返せなくなるって……」
「結婚の条件だっけ? それに目が眩んで、無茶な商品取り寄せしたわけだ、御曹司様は」
まったく、聞くに堪えない話である。ガキの色恋沙汰で一つの会社が潰れるとは。それも芝ヶ崎らしいっちゃらしい話なのだが。
「俺からしたら、ざまあみろって話だけどな。君を差し向けた芝ヶ崎の人間が誰だか知らないが」
「あ、本家の後継候補の律さんですね……ひっ!?」
さらっと大人物を出されて、覚悟していたこととはいえ、門脇は思いっきり、眉根を寄せてしまった。コンティネンタル・ラインのことを知っているとしたら芝ヶ崎上位の家だとは思っていたが、まさか本家の人間だとは思わなかったのである。自然、声が低くなる。
「なんだって、その本家の人間が教えてくれたんだ」
「えっと、脅しました。はい」
さらに小さく縮こまって言う多原。
ーー逆だな。
それを冷静に見る門脇。本家がこのアホアホ少年の脅しに屈するとは思えない。事実は逆。芝ヶ崎律に、多原は脅されているのだ。
ーー俺が、あの人にそうされたように。
芝ヶ崎っていうのは、嫌な家だ。弱者であろうと、徹底的に潰してくるのだから。
『社長、いつかまた、みんなで……』
あの日の社員の言葉が蘇ってきて、目の前が怒りで真っ赤になる。あの頃の自分は、きっとどうしようもない馬鹿だった。
だが、自分は、あの頃とは違う。大きな渦に翻弄されて、ただ流されていく自分とは違うのだ。
ーー本家の跡取りがどうして多原君に俺の説得を依頼したのかはわからねえが。
そして、葉山の人間がどうして電話を寄越したのかもわからないまま。けれど、大きな渦に流されつつあるということがわかるだけ、まだ良い。
ーー俺がやるべきは、渦を一時的にでもせき止めること。
なんも考えずにただ人を助けたいって言う多原君に、あのことを教えてやること。
門脇は、確信を持っていた。
この多原という少年は、鳶崎ロジスティクスの最期について、細かいことを知らされていないのだと。
でなければ、こんなふうに、一縷の望みを持って、説得に来られるはずもない。本家の跡取りは、多原に余計なことを教えなかった……そう考えるのが妥当。
自分の口角が下がるのがわかった。これは善意だ。そのはずだが、ひどく、気が重い。
なぜ、張本人の芝ヶ崎本家や、鳶崎ではなく、このような少年の心を折ろうとしなければならないのか。あの頃よりも見えるようになった視界では、迷いも鮮明に見えてしまう。
それを振り切って、門脇は、口を開いた。
「ひとつ、昔話をしようかーー」
二十数年前、鳶崎邸。
近くにいるはずなのに、手を伸ばせば届く距離なのに、彼らは遠いところにいた。
「貴方は、今日までよく勤めてくれた」
当時の鳶崎物商社長である鳶崎辰は、まずは門脇を労った。薄暗い室内で、その瞳に光は灯されていなかったが。
温度を感じさせない義務的な声。業務にいかなる感情的采配を持ち出さない、機械のようなこの人のことを、門脇は尊敬していたのだ。
人間味には欠けたけれど、信頼のできる人物だった。それが、一日で覆された。
門脇は、正座をしたまま、拳を握りしめた。
「社長、彼らを、返してください」
「なぜ? 彼らは好き好んで、本社への再就職を望みました」
「俺を人質にしたからでしょう!!」
存外大きな声が出た。「すみません」と謝る門脇に、社長はーー鳶崎の当主は、首を横に振る。それが、門脇を惨めにさせた。
震える声で言う。
「俺の夢を叶えるために、あいつらは犠牲になったんだ……!」
もっと言えば、門脇と社員とは、互いに人質の状態だった。
門脇を自由にするために、鳶崎ロジスティクスの社員たちは、芝ヶ崎関係者のいる本社へと入り、門脇は彼らをこれ以上窮地に陥らせないために、下手な真似はできない。これは、分断である。
「俺の夢は、あいつらなしじゃ叶えられないんです。お願いします、社長、あいつらを返してください……!」
門脇は、畳に両手をつき、頭を下げた。い草の匂いは、このときからずっと、門脇の鼻腔の奥に残り続けている。
だが。
「顔を上げてください。土下座などしたところで、私の心は変わりませんので」
冷ややかな声が降ってくる。彼の表情は、先刻とまるで変わっていない。鳶崎辰は、心を動かさない。「まるで無駄な行為です」。
そうして、この機械のような男は、裁定を下したのである。
「貴方は自由です。どこへなりとも行き、ご自身の夢を叶えてください。ただし、貴方のお仲間は、誰一人として貴方につけません」
「どうして、どうしてですか。それなら、俺も本社に入れれば良かったじゃないか! なんであいつらが……!」
「貴方では、支障が出てしまうので」
「どういう意味ですか」
「失敗した実験を成功だと思う輩が出るかもしれないからです」
冷や水を、頭から浴びせかけられた気分だった。
「失敗……? 勝手に切っただけじゃないか。まだ成功か、失敗かもわからないのに」
「いいえ、失敗です。少なくとも、そう判断されました」
「……誰に」
「……ご当主様です」
少しの間があった。この男には、珍しく。
「かつての社員たちが、今後の人生を棒に振って、貴方を逃がしてくれた。まだ夢を追うことができるのにそれをしないのは、彼らのためにならないのでは? それに、うまくすれば、また彼らと仕事をできるかもしれませんよ」
まったく感情のこもっていない声だった。それに逆撫でされて、まだ若かった門脇は言ってしまったのだ。
「上っ等だ! いつかまたみんなで、鳶崎ロジスティクスを蘇らせてやるよ! それまで、首を洗って待ってることだな!?」
「ーーそれで良い」
鳶崎辰は、小さくそうやって呟いた。どうしてそんなに小さく呟いたのかは、まるでわからなかったが。
絶句する多原に、門脇は皮肉げに笑う。
「かつての俺の部下たちが、本社の物流部へと行くこと。それは勿論、芝ヶ崎の巣窟に行くことと同じだった。だが、社長の、芝ヶ崎の真の狙いは違うところにあった。なにかわかるか? ああ、そうだよな。君には絶対にわからない」
わからない方が善良なのだ。
「それは、俺たちのやり方の全否定をするためだ。鳶崎ロジスティクスの試みは失敗に終わったと印象付けるためのな。本社の物流部は、奴らの墓標で、公開処刑の場だった。俺の部下たちは、鳶崎ロジスティクスでしてきたことを、生涯をかけて否定する作業をさせられた」
それを、当時の門脇は想像できなかったのだ。能天気に、いつか部下たちを救い出すことだけを考えて、がむしゃらに走ってきた。
そしてついぞ、部下たちは誰一人として、本社の物流部にいなくなったのだ。
「俺だけが、こうして生き残ったんだよ」




