それとこれとを抜きにするアホ
ヒロイン要素(駅員)
「……」
黒い革張りのソファは座り心地がよく、窓から入ってくる冬の穏やかな日差しと合わせて眠気を誘う。ガラスの天板テーブルには湯呑みが置いてあって、中のお茶が湯気を立てている。手に取ると、外の気温で冷えてしまった手が、急速に温められるのが感じられた。
「なんか、すごい高待遇」
応接室に通された多原は、誰もいない部屋でぽつりと呟き、ぶんぶんと首を横に振った。これは、油断させる作戦に違いない。多原がほっこりしている時に部屋に入ってきた門脇社長が、「死ね」と言って殺しにくるパターンだ。
命乞いの言葉を何パターンか考えながら、多原は、壁に掛かっている地図を見た。
日本地図のところどころに、赤丸がある。それは、この会社『株式会社コンティネンタル・ライン』の営業範囲だ。横文字にすると何やってる会社なのかはいまいちわからない。
だけど。
『懲りもせず、物流関係の会社を経営しているんだよ。今のところこちらに敵意はないみたいだから、見逃してるけどね』
冷たい目をしながら、律さんはそう言っていた。鳶崎ロジスティクス。その後継の会社とも言えるのが、このコンティネンタル・ラインだ。
多原は、湯呑みに口をつけた。美味い。
『あの男なら、鳶崎物商の内部事情にも詳しい。問題は、協力してくれるかどうか、だけどね』
『縁を切られてるんでしたっけ。そんなにひどいことをしたんですか? それなら、別の人に頼んだほうが……』
『その場合、どこぞの誰かに流れるのは、物流情報だけではないね』
だからこそ、元々内部事情を知っている人間に頼むのが一番良いというわけだ。これ以上、情報が漏れる心配がないという意味で。
お茶を半分飲んで、多原は息を吐いた。じんわりと、体が温まってくる。あの時の律さんは、なにか、不思議なことを言っていた。
『まあ、でも、この時点で干渉して来ないのはおかしいんだけど』
『? 社長さんがってことですか?』
『そうだよ』
絶対そうじゃなかった。多原は思った。この、干渉して来ないっていうのは、おそらく、闇の組織のあの人のことだと。そういえばあの人、どことなく律さんに似ていたような気がする。
ーー律さんも、闇の組織にスカウトされるのかな。
などと、多原は考える。
「……」
壁に飾ってある時計が、かち、かち、と無音の中で唯一、時を刻んでいた。多原は湯呑みを机に置いた。あったかくなってくると、汗が出てきた。
ーー遅くね?
あまりにも遅い。受付の人は「しばらくお待ちください」と言っていたが、そのしばらくがどのくらいか、多原には見当もつかない。
『戦場にでも行くのかい?』
『ある意味そうですね。俺は今から、単身、敵陣に乗り込まなければならないんです』
あの変な駅員さんに問われて、その覚悟で行くのだと、多原は答えたつもりだった。けれど。
ぎゅ、と手を握った。多原は確信した。
ーーたぶん門脇社長は、俺を殺す準備をしてるんだ!
多原を殺した後に埋めるところを手配してる最中なんだ、なんて恐ろしい!
と考えたところで、多原は、ぶんぶんと首を横に振る。いけないいけない、芝ヶ崎に毒されすぎている。人がそんなに簡単に人を殺そうと思うわけないじゃないか。
そんな、ペットと称して殺そうとしてきたり、幼馴染だからって殺そうとしてきたり……。
ーーふつーに、あるな?
今更だが、多原の周りは物騒である。多原は、いそいそとリュックサックについているパスケースからご当地ICカードを抜き取り、それから、財布からメロンを抜き取った。
あの変な駅員さんは二枚重ねたところで銃弾の前では無意味と言っていた。だが、無いよりはマシだろう。
『必ず、必ずだよ。元気な姿を、僕に見せてくれよ』
あの時は大袈裟だと思った言葉が、今になって、多原を元気づけてくれる。と、同時に、駅員さんがついて来なくて良かったと思った。
ーーさあ、来い!
禁じられた手段(ICカード二枚重ね)を講じた多原は、鋭い眼光(自称)で門脇社長を待った。やがて、その扉が開かれるーー。
「……成程」
果たして、白髪混じりの短い髪に、眼鏡を掛け、多原より鋭い眼光を持った社長は。
「降参だ」
多原よりも先に、白旗をあげたのであった……。
「改めて、門脇芹人だ。よろしく」
「た、多原貴陽です……」
突然降参した門脇社長と、多原は握手をした。
「その、降参っていうのは……?」
「そのICカードを見ればわかるさ」
門脇社長は、多原がお守りがわりに持っていた、二枚のICカードを指差した。多原は困惑した。
ソファにどっかりと座った門脇社長は、はぁあ、と大きなため息を吐く。
「名も知らぬ芝ヶ崎の人間が、こんなに頭が切れるなんてな。相手はガキ一人だと聞いていたが、芝ヶ崎はどんな人間でも恐ろしい」
なんかよくわからないが、門脇社長は、多原のことをめちゃくちゃ過大評価してくれている。
「なんだ、黙りこくって。さっさと勝利宣言をしろよ」
「え? あ、お茶美味しかったです。ありがとうございます」
「勝利の美酒ってやつか? あ?」
多原はガラの悪すぎる門脇社長に、心底震えた。めちゃくちゃ怖い。
「い、いや……あの、さすが、お茶の産地だなあって思って……ははは」
「……? お前、本当に芝ヶ崎の人間か?」
「よく言われます、へへっ」
多原、へりくだった笑い。その顔は引き攣りまくっている。それが逆に、門脇社長の癇に障ったらしい。
「ふざけんじゃねえぞ、わざわざ発行する必要のないカードを発行したのは、俺と会うからだろうが!?」
「た、たしかに、しゃ、社長に撃たれた時に間一髪助かったらなと思って、もう一枚カードを発行しましたけど!」
「えっ」
「えっ?」
「……まさか、お前」
眼鏡の奥で、ゆっくりと、門脇社長が目を見開いた。
「あの電話と、無関係だったりするのか……?」
あの電話。律さんはアポを取らないと言ってたから、たぶん違うだろう。よって、たぶん、多原とは無関係。多原は、頭を激しく縦にシェイクした。脳みそが揺れた。くらくらしながら答える。
「はい、俺はまっったくの無関係で、冤罪なんです! 本日は社長に折りいってお頼みしたいことがあったゆえに参上つかまつり申し上げた次第でございまして!」
「……言ってみろ」
「鳶崎物商を助けて欲しいんです!!」
「やっぱり葉山の手先じゃねーかテメーー!!」
扉を開けた瞬間、やられた、と思った。
さきほどまで電話で話していた、葉山の関係者を名乗る男。その男が提案するやり方を、少年は、二枚のICカードを使うことによって体現していたからだ。
ーー俺のことを知っているということは、こいつ、芝ヶ崎のガキか? それも、かなりの家柄……。
じゃなきゃ、葬り去られた鳶崎ロジスティクスの元社長なんて、訪ねてくることはできないだろう。ぽやぽやしているように見えるが、それは外見だけ。中身は切れモノに違いない。
「降参だ」
だからこそ、いち早く白旗をあげた。葉山と芝ヶ崎は繋がっている。二つの家を相手にする余力は持ち合わせていない。
だが。
ーーこいつ、あまりにも、アホすぎる……!
対面で話していてわかった。切れモノの、「き」の字も存在していない。なんなら、鳶崎のお坊ちゃん(現社長)に暗殺計画を立てられていたことまで暴露している。こちらの油断を誘う作戦かとも思ったが、話しちゃいけないことまで話して全力で助力を仰ごうとしてくる。それに……。
「殺されかけたのに助けようとするとか、とんだ自己満足だな?」
「それとこれとは抜きにして、鳶崎さん、会社倒産したら死んじゃうかもしれないですし」
ーーそれとこれとを抜きにするなよ!?
多原貴陽という人間は、アホすぎて、一周回って善良な人間だった。復讐しろバカ。
「はぁーー」
「どうしました?」
「いや……」
深読みした自分が馬鹿らしい。この多原という少年のためにもやはり、鳶崎は助けないに限る。
ーーやっと、機会が巡ってきたんだ。
鳶崎物商を救って見返す復讐よりも、鳶崎物商を見殺しにする復讐の方が、よっぽど良い。
それが、奴らへの手向けだ。
……卑怯者の俺から、唯一できることだ。




