確証ないことでも
ピッ、ピッピ……ピッ。
「単刀直入に言うね。伊勢、貴方、どうして私にこのことを報告しなかったの?」
伊勢の引いた椅子に座って。足を組んだ白川芳華は、完全に、この場の支配者だった。
いままで人のことを手のひらの上でコロコロ転がしていた王様(伊勢)は、体裁の良い笑みを顔面に貼り付けたまま、フリーズしている。
ーー椅子を引いて媚を売ったはいいものの、ってとこか。
いまいち二人の関係性がわからないが、おそらく、芳華の方が上なのだろう。
「……白川財閥の子会社と、イセマツヤは、事業提携をしてるんだよ」
チワワの震えから脱した枕崎が、ご丁寧に教えてくれる。
「ほーん、それで、お嬢ってわけね」
新山は納得しながらそう言った。ずいぶんフランクな呼び方だが、これは伊勢なりの最大敬意なのだろう、たぶん。
ーー飼い犬の暴走を見咎めた飼い主が乗り込んできた、ってところかな。
それで、テレビ局に乗り込んできたというわけなのだろう。それにしたって、寒い。寒すぎる。
「おい枕崎、暖房上げろ」
「もう上がらねえよ」
枕崎が、ご丁寧に、エアコンのリモコンを見せてくれる。
ピッピ、とボタンを押すが、温度は変わらない。すでに、枕崎が最高設定温度まで上げていたらしい。あの音はお前か。
そういうわけで、新山と枕崎は、「寒い寒い」と言いながら、目の前の二人のことを見守るしかなかった。
芳華がため息を吐く。
「伊勢が私を置いていくなんて、思いもしなかった。あーあ、寂しかったなぁ」
「いや、お嬢には、後々報告するつもりでしたよ!? ただ、タイミングが合わなかったっていうか」
「へぇー、そう。タイミング。ふーん」
つんとそっぽを向く芳華。
ーー飼い犬の暴走を見咎めた飼い主っていうか、これ。
なんか、彼氏に置いてかれて拗ねた彼女に見えてきた。オロオロしてる伊勢も、どうやって彼女に許してもらおうか悩んでいる彼氏に見えてくる。
これって、案外微笑ましい光景なのでは? などと、新山が希望を抱いたその直後ーー
「……じゃあ、多原君とは、タイミングが合ったんだぁ?」
会議室Aは、氷河期に突入した。
「ねえ、伊勢? どうして多原君を巻き込んだの?」
絶対零度の微笑み。春の女神かと思われた彼女は、今や生きとし生けるものを絶滅に追いやろうとしている。
……彼以外。
「おい、枕崎。どうして多原くんの名前がここで出てくる」
「知らない知らない知らない。亘様はそんなこと言ってなかったし!」
枕崎が頭を抱えている。直視できない現実を拒むかのように。
「お、お嬢、いいんですか? それ、多原に聞かれても」
と、ここで一転攻勢を狙った伊勢が、自分の鞄からスマホを取り出した。近頃の若者は、すぐに録るから、困ったものだ。
だが、白川芳華は、眉を少し動かしただけ。長いまつ毛に覆われた目を、弓形にしならせる。
「伊勢こそ、良いの? 草壁夕雁との契約があるのに?」
ーー契約?
不穏な言葉に、新山は否が応でも、体温を取り戻してしまう。
「彼女に多原君をあげる、って言ってるんでしょ?」
「どうしてそれを……」
明らかに動揺する伊勢。いやコイツ、友達売り飛ばそうとしてたのか。
いっそ哀れなものを見るような目で、芳華は笑っている。
「ね、伊勢。わかってるでしょ? 私が多原君に、素敵な学生生活を送ってもらいたいってことは」
「……重々承知してますよ。だけど、それは、お嬢だけじゃない。草壁夕雁だって同じなんです」
苦しそうに吐き出された言葉。伊勢は、重々しい口調で言った。
「草壁夕雁が、二兎を追って、両方とも諦める性格に見えますか? どうして今、多原がアホヅラして……あ、いや、平和に過ごしてるか、わかりますか?」
ここで、芳華は思い切り顔を歪めた。そこに勝機を見出した伊勢は、早口で捲し立てる。
「普通なら、今回のコトを起こす前に、自分の弱点である多原を確保しようとするでしょ。でもそうならなかったのは、俺が、安全確実な方法で多原を引き渡すって話をしているからです」
「安全、確実な方法」
「草壁夕雁も馬鹿じゃない。無理して多原を攫えば、おっかねえ父親も、本家の令嬢も、葉山だって、動くとわかってた」
ーーなんか今、サラッと変なこと言わなかった?
そろそろ氷河期に順応してきた新山は、再び脳みそを氷漬け寸前にされてしまう。
父親は、わかる。モンペらしいし。本家の令嬢っていうのは、芝ヶ崎の本家の令嬢のことだろう。それから、葉山というのは。
ーーもう一つの御三家じゃねえか!
などと大声で突っ込みたいのを、新山は、ギリギリで回避した。
ーーなんなんだ、あのガキ。
なんで御三家コンプリートしてんだよ。なんでそれで無事なんだよ。
と、考えてはみたものの、御三家をコンプリートしているからこそなのではないかという結論に、新山は至った。これが御三家の一人だけだったら、とっくにあの可哀想な男子高校生は、素敵な学生生活とやらを送れなかったことだろう。
もはや、奇跡的なバランスの上に成り立っている。感動すら覚えてきた。
「あっ、やっぱり令様もそっち側だったんだ」
ぼそっと隣でつぶやかれた言葉。やっぱりってなんだ、やっぱりって。新山が睨むと、「だって確証ないし……」などと言い訳してきた。
「確証ないことでも一応言っとけや」
そうしてくれたら、驚きすぎて心臓止まりそうになることはなかったのに。
「ま、まあ、とはいっても。俺ができることといえば、多原を事件に関わらせることくらいですが」
「事件。ああ、そういうこと」
「そうです。探偵役をさせることで、多原の動きをコントロールすることくらいです。あとは草壁夕雁の動き次第……」
「なるほどね」
ひとつ頷いて、芳華は。
「だから伊勢は、草壁夕雁に多原君を捧げようとしてるんだぁ?」
「そうです、到底無理な話だってわかってるから、俺は」
「よかった」
その不自然な物言い。一同が見守る中、白川芳華は可愛らしく、両手を合わせて。
「確証ないことでも、一応言っておくものだね!」
こうして、ぺらぺら喋ってくれたんだから。




