誰かに裏切られるより
とんだ食わせ物だ。白川芳華という少女は。
「俺に、鎌かけたんですか」
伊勢の声が低くなる。
「かけたよ。だから?」
こてん、と小首を傾げて。人形のような少女は、人形のような笑い方をする。目を見開いたまま、唇だけを動かして。
ーー平面的な笑い方だな。
変な言い方になるが、新山にはそう見えた。まるで、人の笑い方を真似したような。
「隠し事をする貴方が悪い。貴方が素直に話してくれたら、私も、貴方を騙すような真似はしなかったよ?」
アサーションの対極にいるような、伊勢を咎める口調。ぴりりと肌を刺すような、緊張感に支配された会議室を、彼女は闊歩する。
伊勢は俯いて、それから、顔を上げた。
「確証はなくとも、疑惑はあったんでしょう。良ければ、今後の参考にするので、話してくれませんか、お嬢」
「それ」
ぴたり、立ち止まって、芳華は、伊勢を見た。見たといっても、それは、視界に映したくらいのもので、彼女の瞳には、実際には何も映っていないのだろう。
「その呼び方。うつったんでしょ。草壁組の、花巻和巳の話し方が」
伊勢は、しまったというように、手を口にやった。新山と枕崎は首を傾げた。よくわからない。
芳華が目を細める。
「貴方が私を呼ぶときは、オジョウサマでしょ?」
「……あの番犬、お嬢お嬢五月蝿くて。そうか、動転しすぎて忘れてた。他には?」
「え? それだけだけど」
きょとん、と目を丸くする芳華。「は?」と、固まる伊勢。
「呼び方が変だったくらいで? だって、俺がお嬢って言ってたのは、このテレビ局に来てからですよ?」
「私は私の勘を信じてるから。あと、多原君をね?」
胸を張って偉そうに言う白川芳華。彼の名前を語るときだけ、そこには、生身の感情が見えた。
「でもそうだなぁ。伊勢、貴方がどうしても納得できないというのなら、二つ目の理由を教えてあげる。二つ目は、草壁夕雁が、このテレビ局に入れたことだよ」
「見てたんですね」
手を口にやったまま。伊勢が唸るように言う。
芳華は頷いて、首からぶら下げている入館証を掲げるように持った。
新山は、またしても首を捻った。どうして、入館証が疑惑の理由になるのだろうか? ガラス玉のような瞳と目が合う。
「社員の方はともかくとして、私たち部外者が入るには、なにか、理由が必要です。たとえば脚本家、たとえばスポンサー」
「関係者じゃないから入れないはずだって言いたいんですか。それこそ、理由が弱い。“上”を脅せば、いくらでも細工はーー」
「“上”は脅せないよ?」
食い下がるような伊勢の言葉に被せるように。芳華は優雅に微笑む。今度は、絵画のような笑みだ。
新山は困惑した。
「だが、実際、草壁夕雁は、総務省の連中を……」
「ーーそうか」
これまた新山の言葉に被せるように、何かに納得したような声を上げたのは、新山の隣にいる枕崎だった。
「総務省の役人どもは、葉山関係者が多い……!」
「ご名答」
芳華が、出来の良い生徒を褒める教師のように嬉しそうに(そう見える)微笑み、伊勢が舌打ちをする。
「草壁夕雁は、葉山の名前を出したんですね。彼女は、嘘を吐いていた」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
新山は頭を抱えた。話がわからなくなってきた。
「じゃあ、誰なんだ。草壁夕雁に入館証を渡したのは……!」
「誰って、伊勢に決まってるじゃないですか。スポンサーが、自分の関係者に入館証を渡していた」
「俺が草壁夕雁と話している間、駐車場に誰も来なかったのは」
「さっきみたいに、重役の人達を集めていたとか?」
疑問形ではあるが、確信を込めた話し方だった。
「例えば、テレビ局の入り口で。出ていこうとする社員を呼び止めていたとしたら?」
「そんな原始的な呼び止め方……」
「誰かに裏切られるより、よっぽど楽だと思いますけど?」
芳華が横目で伊勢を見る。
「無い話じゃない……伊勢君は、局の重役を好きにできるし」
枕崎が、思考に沈みながらそう言う。
「“上”に行けば行くほど、御三家の力は強くなる。それならば、“現場”で全てを完結させれば良い。だけど、それなら、前提が崩れてきてしまいますよ。白川のお嬢様」
「伊勢はどうして、ドラマの製作中止の情報を知ったのか」
枕崎の思考のその先を読み、白川芳華は、再び歩き出す。
こつ、こつ、靴音を立てながら。
「伊勢と白川が手を組んだことは、各所に知られている。それなら、総務省の役人が、葉山が、伊勢に情報を漏らすことはない。そう考えると、草壁夕雁が、まだ未発表の脚本の中身を知っていたことにも疑問が生じてくる」
こつ、こつ。一介の聴衆と化した新山は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「果たして草壁夕雁は、どこで未発表の脚本を入手したのかーー簡単だよね。草壁夕雁に脚本を横流ししたのは、脚本家本人と繋がっている人物。
つまり、新山さん、貴方です」
飲み込んだ唾を一気に吐き出して、新山は、会議室Aの氷河期を一気に消し飛ばした。
「んなわけあるかぁあああ!!」
「俺は無罪だ! む、ざ、い!」
途中まで圧倒されていた新山は、立ち上がり、ばんばん! と机を叩き、隣の芝ヶ崎野郎を指差す。
「だいたい、脚本家本人と繋がってるまでは言わなくても、脚本の内容を知ってた人間なんていくらでもいるんだぞ!」
「あ? お前、俺が横流ししたっていうのかよ。亘様のご子息が楽しみにしてるドラマを、台無しにしようとしてるって言うのかよ、ああん!?」
「……なんかすまん」
枕崎の剣幕にやられて、新山は、しょぼくれて椅子に座り直した。
「とにかく、途中まで良かったのに、君の推理は突飛すぎる。あるだろ、もっと、結論が」
「すみません。横道に逸れようと思ったら、これしか思いつけなくて」
ぺろっと舌を出す。愛らしさアピールをしたつもりか、かわいいな。
ガキには興味はないが、商品的価値としては興味がある。新山は、品定めをするつもりで、芳華を見つめーー逆に、品定めをするような冷え冷えとした瞳で見つめ返される。
「伊勢がどうしても時間稼ぎをしようとするものだから。あ、失礼しますね」
ーー時間稼ぎ?
「ええ、そう。ありがとう」などと、自分のスマホに掛かってきた電話に返事をする芳華。口元を隠していてもわかる、顔面蒼白の伊勢。
通話を終えた芳華は、上機嫌だった。
「伊勢。貴方が多原君達に差し向けた、例の脚本家だけど。無事に、私の親友と合流したらしいわ」
「一体、いつから」
それはそれは、可哀想になるくらい。伊勢隼斗の顔色は、紙のように白かった。彼の腕は、だらりと下がっている。
「ていうか、お嬢様、親友なんていたんすね」
「いるよ、私にも。親友くらい。ううん、同志と言っても良いかな」
「同志……?」
「正確には、同志だった……って言えるかも。ひとつ訂正するねっ」
可愛らしく小首を傾げ、芳華は、人差し指をピンと立てる。
「葉山林檎は、もう、多原君を諦めてる」
そんなわけがない。林檎の恋は、現在進行中なのである。
ーー私の演技がお気に召したのかしら。
通話を終えた林檎は、橿屋を伴い、全身傷だらけのスーツの男に向かって歩を進める。少し髪の長い、清潔感には欠ける男前。
「どうして、なんで……」
林檎は背伸びして、怯える男の耳元で囁く。
「伊勢隼斗が囮になって、白川芳華を遠ざけてくれたのに、ですか?」
「……っ」
「あの、林檎、さん?」
流石に戸惑っている様子の多原。今すぐにでも抱きつきたいが、どこにあの女の目があるかわからないし、あの男の目があるかもわからない。
「どうされましたか? 多原様?」
満面の笑みになりすぎないよう、控えめに出力すると、多原は、決意を込めた瞳で言った。
「俺が思うに、その人、幽霊ハンター……かも」
「……え?」




