36話 魔法使い、終幕
「何を言ってるんだ……?」
縄はすべて解かれたのに、ユーグは立ち上がることも逃げ出すこともしなかった。ただ困惑しながらシモンを見つめる。
「明確な罪がない。というよりも長期にわたり拘束するような罪や明らかな罰を与えるような法がない」
「いや……それでも私は違法の野良魔法使いで、」
「野良の理由は知らなかった、飼われていたことで説明できる。このあたりのことはデルフィニウム男爵のせいにすればなんの問題もない」
「そんな今更旦那様の……それに私はデルフィニウム男爵夫人やその娘たちの目を潰し、」
「私もみんなも視力は無事です。……あなたも鳩も、まだ何もしていない」
「だが、男爵家の長女に呪具を渡し、それに王宮内にも不当に侵入している」
「呪具は俺がすぐに回収した。持ち主に危害を加えるような魔法はかかっていなかった。不法侵入に関しても、証拠がない。なあカトレア。お前は王宮内で不審者に会ったか?」
「どうでしょう。連日の疲れがたたって庭で倒れてしまったりしましたが、特に不審者とはお会いしていませんね。見慣れない使用人がいたり、侵入するはずのないボギーマンが王宮にいたりしましたが、気のせいかもしれません」
切れた縄を回収しながらしれっとあらかじめ用意しておいた回答を口にする。いまだ状況を見込めないユーグに私から出してやる助け舟はない。ここからは宮廷魔法使いの下っ端が口出ししていい内容ではない。
「あんた、いったい何を考えているんだ……」
「人的資源の有効活用さ。野良魔法使い、ユーグ・ナスタチウム。お前はただの罪人とするのはこの国にとっての損失だ」
大きく煌めく紫の双眸がユーグの心を見透かすように覗き込む。
「宮廷魔法使いは、お前がほしい」
決して大きなこえではないのに、ユーグは怯えたように、慄くように体を震わせた。濡れたばかりの瞳が揺れ、唇が戦慄く。
「知らんことがあるなら教えよう。無知は怠惰だが罪ではない。寄る辺がないなら作ってやろう。依存せねば立てないというなら、王に、王太子に、この国に依存するがいい。お前が裏切ることはあれど、国はお前を裏切らん」
立て板に水のごとく、甘言が並べ立てられる。
「だ、だが私は生まれも定かでなく、どこの誰かも……名前すら旦那さまが、」
「些末なことだ。生まれつきの魔法使いならどこかでチェンジリングに遭っている可能性はある。何ならもしかしたらデルフィニウム男爵の子かもしれんぞ。なあ?」
「まあお父様は屑だったようなのでありえないわけではないでしょう。今更何人子供がいても驚きません。もしそうならお義兄さまじゃないですか」
要するに、いくらでもやりようがあるのだ。
チェンジリングに遭ったという理由をつけるなら、この国一番の魔法使いであるシモンがごり押しすればいい。誰よりも魔法を、妖精を知っている彼の嘘を論理的に指摘できる者はこの国のどこを探してもいないし、気まぐれな妖精すらシモンに味方し、あるはずもない証拠をでっちあげてくれるだろう。
デルフィニウム男爵の隠し子もそう難しいことではない。シンデレラという前例があるのだ。しかも同じように金銭的援助を幼いころから続けていた。ここだけ見ても、ユーグが男爵にとって重要であったことが窺い知れる。たとえその実が薄汚く悍ましい打算のみで構成されていたとしても、常人に妄執は理解しがたい。いっそ隠し子であるといった方がはるかに受け入れがいいだろう。何より当の本人はすでに死亡済み。否定できる人間はいないのだ。
「この国はお前を必要としている。罪の意識があるのなら、この国に資するよう働け。学ぶ気があるなら、生きる気があるなら、せいぜい面の皮を厚くしてついてこい」
迷子の子供のような表情で見上げるユーグに、シモンは右手を差し出した。
ユーグは躊躇いながら、恐れながら、けれど抗いがたくまぶしいものに縋るようにその手をとった。
「なんだ、いやに不機嫌じゃないか」
大通りにある新しいカフェ、三段に重ねられたスフレパンケーキにボウルのような大きさのマグにたっぷり入ったキャラメルラテ。本来なら幸せたっぷりにふわふわのパンケーキを頬張るところだろう。しかしながら今の私は得も言われぬ不快感に振り回されていた。
「別に? なんでもないですけど」
「なんでもなくはないだろう。何もかも上手くいっただろ。お前の義妹とアドニスは無事結婚。男爵が亡くなって落ち目だった家も、王太子妃の家族となれば風向きも変わる。野良魔法使いの正体は割れ、手元で監視できるようになったし、宮廷魔法使いが増えて業務的にも楽になる。何より、お前の視覚は今も無事で、死ぬ未来もなくなった。これ以上のハッピーエンドなどそうないだろう」
「そう……いえそうなんですけど」
シモンが言った通り、この結果は想像以上にうまいところに落ち着いた。
誰も死なず、誰も怪我をせず、誰も不幸にならなかった。1周目の大惨事とは天地の差がある。
王宮でシモンの手をとった野良魔法使い、基ユーグは、シモンの計らいによって宮廷魔法使いとして勤めることになった。今は魔法棟の部屋を借り、そこで生活している。幸い、魔法棟の面々は野良魔法使いの顔を知らないどころか、そういった魔法使いがここ数か月うろついていたことすら知らない。純粋に潜在的魔法使いが新たに見つかったとしか思っていないだろう。教えれば教えただけ伸びるユーグは周囲から可愛がられ、期待もされている。何より必死で学び取ろうとする姿は好感を抱かせていた。
たしかにユーグの加入により私の業務負担を多少軽減された。だが心がとてもついていかない。1周目は奴のせいで死んだのだ。それが心を入れ替えたから同僚として仲よくしよう、と言われても納得できない。そしていまだに奴が仕事で使う鳥を見ると焦燥感に苛まれる。
ご機嫌に生クリームがたっぷり乗ったパンケーキを掬い取るシモンを恨めし気に見てしまう。
ユーグを拘束した直後、私はシモンに1周目の出来事をすべて話した。もはやその事実抜きには話が進まないだろうと思ったからだ。そうでなければ、ユーグの行動原理を理解することができない。
自分が魔法使いではなかったこと。義妹となったシンデレラを冷遇していたこと。
シンデレラが野良魔法使いの助けを得て、アドニスと結婚したこと。
そして野良魔法使いの扱う鳩たちによって、私も姉も母も目を潰され、間もなく死亡したこと。
すべて詳らかに話したうえで、今回のことの顛末を紐解いた。
1周目のことがなければ、ユーグは男爵家に行ったシンデレラへの手助けが不要であることはわかっていたはずだ。前回があったからこそ、“意地悪な家族”からシンデレラを救い出そうとし、前回と同じように“意地悪な家族”を罰そうとした。
何から何まで荒唐無稽な話だが、シモンは一通り笑って納得した。人の世と妖精の世の狭間にいるような彼にとってこの程度のことは一笑に付せるのだろう。
つまりシモンは私の不快感を想定したうえで、ユーグを宮廷魔法使いとして招来したのだ。
業務の効率化と不遇であった魔法使いの救済を考えれば一個人の不快感など天秤にかけるまでもない、というのはわかっているが、水に流せるかと言えば別の話だ。
「ユーグを拘束した時点では、バックグラウンドは知りませんでしたよね。私が失明して死ぬ未来を視ていたのに、なんでユーグを傍に置く方向を選べたんです?」
「それはもちろん“未来視”だ」
大きな紫色の目を指で示す。そうだろうとは思っていたが、自分では見ることができない。要するにいまいち腑に落ちない。
「お前の義妹の未来を視て、アドニスが森へ来て義妹を保護するのを知った。それから結婚式の光景も見ることができた。その中に銀髪紫眼の見知らぬ男もしれっといたんだ。見覚えのない魔法使い、であればそれが件の魔法使いだろう。それとついでにお前の未来も見た」
「ついでとかちょっととかで人の未来を勝手に見るのどうかと思いますよ」
「それで、季節が変わった後もお前が元気に笑っているのが見えた。それから数年先、切れ切れだがお前が無事に生きているのが見えた」
大きなマグでホットココアを傾けるシモンが笑う。
なんだかもう何も言えない気がして背もたれに背中を預けた。レベルが違いすぎるともはや、ああそうですか、としか言えない。もう見るも何も好きにしてくれ。
「おめでとうカトレア・デルフィニウム。妖精に祝福された呪いの子。お前は前世の呪いに打ち勝った。お前は失明と死の呪いから無事逃れた。ここから先には、お前の知らない未来がある」
ようやく口にしたイチゴの乗ったパンケーキはふわりと優しく甘かった。
誰も死なず、傷つかず、最後は優しいケーキを食べる。まるで絵本の中の物語だ。
多少の不和が残るのは、この世界が現実であるという証拠だろう。
救いがたい屑が蒔いた種が、死んだ後ににわかに芽吹いた。
意地の悪い娘たち、人の心のない妻、貧民街の女性に産ませた娘、囲い込んで孤立させた才能ある少年。
本来ならきっと誰も幸せになれなかったはずだ。
主人を失った女性ばかりの男爵家は誰に顧みられることなく没落し、貧民街の娘は誰に知られることなくただ生き、孤立した少年は誰と交わることなく孤独に埋もれたことだろう。
なのに今、私たちは豊かで穏やかだ。きっとこれは奇跡的な偶然と必然の積み重ねなのだ。
嵐に見舞われながらも、乗り越えた先の春は幸福で、優しかった。




