第9話
「俺には兄貴がいたんだ。」
ダイが言った。初耳だった。
「俺が6歳の時に儀式で死んだんだ。」
儀式では、数年に一度死者が出る。たいていは役員入りを狙って、干潮気味の時に飛んで、方向を誤り岩場に激突して死ぬ。
「そんなことを今もちだすなよ。縁起でもない。」
僕は言った。
「お前には俺の気持ちを伝えておきたいんだ。聞いてほしい。」
ダイは言った。
「お前も知っている通り、俺の家庭はそれほど裕福ではない。でも、俺の兄貴が儀式を迎えたころはもっとどん底だった。親父がアル中で、仕事もろくにせず、酒ばっかのんでたからお金が本当になかった。母親は兄貴に期待していた。兄貴が役員になってくれれば、一家の家計は救われるから。
だけど兄貴はそんな度胸のあるタイプではなかった。内気で外にいるよりは、家の中で過ごす方が好きだった。
でも、頭がすごいよかったんだ。将来は貿易関係の仕事に就きたいと言っていた。兄貴の話じゃ、今貿易は外国相手との取引がはじまってまたとないチャンスだったらしい。でも、貿易の仕事は、儀式で飛んだ奴しかつけないから、頭の悪いやつばっかりで、もったいないと言ってた。会社のトップの連中も外国語をしゃべれたらもっと商談もすすむのにって、悔しがってた。だから、自分が頑張って、儀式をクリアして、この村の貿易を引っ張るんだって意気込んでた。
そのために、運動は得意じゃなかったのに、必死で学校に通って体を鍛えたんだ。満潮の時なら、飛ぶ自信があるって兄貴は言ってた。そんな兄貴のことが、俺は誇らしかった。尊敬していた。
だけど結局、兄貴は母親思いだったから、無理して干潮の時に飛んだんだ。そして、失敗して死んだ。仕方ないんだ。前日までは、干潮時に飛ぶつもりなんてさらさらなかったんだから。
周りの大人は度胸のない奴が無理するからだって馬鹿にしていた。笑っていやがった。役員の連中だけでなく、満潮の時でさえ飛べなかった奴らでさえも兄貴のことを見下していた。俺は許せなかった。本当は、兄貴は誰よりも度胸があるやつなんだ。母親に頼まれたからって、死を覚悟してとべる男がどこにいる。皆何も知らずに、兄貴を失敗した奴とひとくくりにした。俺の家の事情も、兄貴の夢も知らずに。そんなこと許せなかった。
俺は兄貴の死を知って以来、この儀式を恨んでいる。最初は、儀式を誰よりも勇敢に兄に代わってクリアすることが復讐になると思った。だけど、次第にこの儀式そのものがおかしいと思うようになった。そこは、お前と考えていることは同じだ。度胸があるかないかなんてどうでもいいことさ。そんなことで人生の選択がかぎられてくるなんて馬鹿げてる。だから、俺はこの儀式をぶっ壊してやりたいと思うようになった。そもそもこんな儀式がなければ兄貴は死ななかったはずなんだ。きっと、いまごろは貿易で世界中を回ってたはずなんだ。」
ダイは夢中でしゃべっていた。目には力がこもっていて、瞳孔は開きっぱなしだった。
「俺は飛ぶ。こんなチャンスは二度とない。絶対に成功させる。」
ダイはそう言って、僕の元から去っていった。
儀式の開始時間まで残された時間は僅かだった。もう一度、崖の下を覗きこむとさらに潮は引いていた。僕はこれ以上、海面が下がらないでくれと強く願った。




