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家族ごっこ  作者: 悦司ぎぐ
第6章 再度笑む
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二十四話 これまでとこれから




「……朝帰り、」

 軽蔑の眼差しで、佐喜彦は呟いた。

「不潔です。」

 続けて、吐き捨てるように言った。


 時計の針は、起床予定時刻をとっくに過ぎている。

 結局二時間では起きられなくて、俺が目覚めたころにはすでに洗濯機も回っていて、当初企てていた機嫌取り作戦は失敗に終わっていた。対して、朝の仕事をやり遂げた佐喜彦は、自分で淹れたカフェオレを啜りながら、やっと起きた俺を不機嫌に睨んだ。


「不潔です、不埒です、ふしだらです。」

 どうかと思います。目を据えて何度も非難する。

「終電逃したんだって。」

 俺はありきたりな言い訳をした。


「それで、やらしいお店に行ったんですね。」

「ネカフェからの始発コースだよ、バカ。」


 やはり今朝も、佐喜彦の様子は相変わらずだった(だからこそ機嫌取り作戦を企てたわけだが……)。

 朝帰りなんて今までにもあったのに、むしろ佐喜彦自身も前科はあるはずなのに、理不尽な文句を投げつけてくる。


「身近に未成年がいるって、もっと自覚してください。」


 理不尽だ。今のはさすがに群を抜いて理不尽だと、かちんときた。


「おまえが居座ってるだけだろ。だいたい、子ども扱いして怒るのは誰だよ、」


 目覚めの一番で気が立っていたのかもしれない。それでも、喧嘩にならないぎりぎりの語調で抑えたつもりだ。しかし現状の佐喜彦にとっては、充分な燃料だった。

 俺の言い分に、一層不機嫌な表情をみせた佐喜彦は、乱暴にタオルや下着を引っ張り出し、音をたてて箪笥を閉める。


「何してんだよ、」

「体洗ってきます。誰かさんのやらしいにおいが感染(うつ)ったので。」


 理不尽だろ、本当。


 浴室から響く水音を聞きながら、頭を抱えた。

 なんだよ、何が気に入らないってんだよ。つーか勝手に布団に潜り込んできたのもおまえだろ。

 届くはずのない独り言も溢した。



 じゃあ捨てちゃえば?



 伊織の声が、抱えた頭をかすめる。


 うっとうしいんだよ、あいつ。



 ……ほんとにな。まさしくその通りだよ。

 記憶のなかで言い捨てる伊織に、ことばを返した。



 うっとうしいよな、本当。

 かまって茶化せば冗談通じないし、生意気に言い返してくるし、そのくせ放っとけば拗ねるし。好き嫌いは多いし、貴重な休日に飯作れとかぬかすし、外で食うときはいっつもあいつの希望優先だし。


 今でこそ家事任せてっけど、最初のころはひどかったんだよ、もう。

 ごみの分別も、柔軟剤を入れるタイミングも、知らなかったんだからな。つーか今は片付き過ぎなんだよ、この部屋。だからこの間、AVとキャバクラの名刺が目立ったんだよ。あんときも「不潔です」連呼されたし。おまえがいるせいでそっちのほうが御無沙汰なんだから、気ぃ遣えって。ったく。



 頭の中の伊織に返していたはずの言葉はいつの間にか、佐喜彦に向けられていた。



 部屋を見渡すと、本当申し分ないくらい綺麗に片付いている。

 戸棚やテレビには埃一つ積っていないし、リモコン類まで規定の位置に並べられている。

 ピーと洗濯完了を報せる音が届いた。

 スーツの隣には、明日着ていくシャツが皺をのばして干されている。……アイロン、もう済ませたのか。そういやあいつが来るまでは、スーツもシャツもまとめてクリーニングに出してたんだよな。


 ばかな奴。

 こんな所で真面目に生活しやがって。

 懸命になりやがって。約束なんか信じやがって。

 なんにも見えてないんだな、あいつ。本当のこと教えて、からかってやったら、どんな顔すんのかな。



 『ぼく、一生伊織くんがいいんです。』



 ……みじめだな、子どもってやつは。





 水音が聞こえ始めてから三十分。佐喜彦は無言のまま浴室から戻ってきた。タオルを頭にかぶせ、髪から水を滴らせている。


 タオルから覗く彫刻のような貌と、目が合った。


「佐喜彦、」


 まだ不機嫌の影を残す佐喜彦に、俺は手を招いて呼びかけた。警戒した視線が突き刺さる。


 あえて暢気に、でも茶化すに至らない塩梅で、手招きした。

 その甲斐があったのか、もしくは気紛れか、睨んだままではあったけど、佐喜彦は正面まで歩み寄ってきてくれた。


「座れ。」


 ちょうどいい位置まで近づいてきたところで、次の指示を出す。

 佐喜彦が不機嫌のまま、無言で従った次の瞬間、俺は佐喜彦の頭をタオルごと両手で掴み、わしゃわしゃと乱暴に拭きだした。


「ちょっ、なんなんですか、」

 佐喜彦は情けない声をあげる。


「拭いてくれって言っただろ、この前、」

「言いましたけど……」

「じゃあ拭かれとけ。」

「………。」


 すんなりおとなしくなった佐喜彦の頭を、俺は更にぐしゃぐしゃと拭き続けた。

 でかい犬を洗うような手つきで、俯いた首から上を丸ごと、タオルで包む。顔は全然見えないけれど、毛先だけが時折タオルからはみ出した。水っ気がなかなか無くならない。


「本当に伸びたなー、髪。長いほうが好きなのか?」

「切り行くの忘れてただけです。」

 佐喜彦がつっけんどんに言う。


「そうだよな。家のこと、任せっきりだったもんな、」

 俺はやっといつもどおり、へらっと笑った。



 佐喜彦、そのさ、



「先月はありがとな。助かったわ、色々。」



 佐喜彦の顔が見えなくてよかった。こいつが顔を上げてしまわないように、俺はほとんど無理やり俯かせたまま、ひたすら髪をわしゃわしゃ、ぐしゃぐしゃ、拭いた。



「……別に。史世さんのためじゃないです。」

 タオルの中から生意気な声が聞こえる。



「やらないと追い出すでしょう、ぼくなんか。」

 さっきとは少し違う、情けない声。


「そしたら、困るのは僕ですから。伊織くんとの約束、守れないし、」

「別に。追い出さねーよ。」

 俺は意地悪く、情けない声を遮った。



「俺、おまえのことそんなに嫌いじゃないし。」



 次にタオルから聞こえる声を待った。

 「史世さんに言われても嬉しくないです」だろうか。

 それとも、「僕は史世さんなんか嫌いです」かもしれない。

 「じゃあもっとちゃんとしてください」「年相応に落ちついてください」「ラーメンにピーマン入れないでください」「脱いだ服は籠に入れてください」「エッチなDVD置きっ放しにしないでください」「もっと大人になってください」……頭んなかで、予想できる限りの台詞を並べて、全部佐喜彦の声で再生した。


 でも、どれも聞こえてこなかった。



「……もっと、やさしく、です、」



 やっと、蚊の鳴くような声が届く。

 乱暴な手つきをやめないまま、俺は耳を傾けて音を拾った。


「拭き方、伊織くんはもっと優しいし、丁寧です。伊織くんなら、そんな乱暴じゃないです。……もっと優しく、拭いてください、」



 伊織くんは 伊織くんなら



 繰り返す佐喜彦に、俺は手を止めて言い聞かせた。



「仕方ないだろ。俺は、伊織じゃねえんだから。」



 とたんに佐喜彦が顔を上げる。

 その瞬間、わかってしまった。



 ……武本りさ。残念ながら、あんたの推測は間違ってたみたいだ。


 こいつは、我慢をやめたんじゃない。やめられてなんかいない。

 逆だ。膨れあがっている。こいつのなかで抑えているものが、はちきれそうなくらい、膨れあがっている。


「……やだ、」

 伊織くんが、いい。タオルの中から覗いた顔が赤ん坊みたいに崩れた。


「伊織くんみたいにしてください、」

 湿り気と震えを帯びて、赤く染まってゆく。

「伊織くん、みたいに、」

 紅潮した頬に何筋もの涙が走る。涙は輪郭の端で、大粒の水滴となってぼろぼろと零れた。



 ………伊織くんに、会いたい、

 両手が、泣きわめく子どもの頭を抱き寄せ、力をこめた。



 何かが産声をあげている。







「なに、待ち伏せ?」


 この日も、伊織の終業時刻は日を跨いでいた。

 店から出てきたところを見計らって立ちはだかると、人形のような貌が、挑発的に瞼を細める。続いて淡々と、近距離で顔を覗き込んできた。


「やっぱり相手してほしくなったの?」

 誘うように声を潜めてくる。

「まあな。」

「悪いけど、今夜は先約があるから。」

 そりゃお盛んなこった。ぶれない伊織に先日同様、肩をすくめて笑い飛ばした。


「ここでいいって。すぐ済むからよ。」

 時間はとらせない旨を伝えたところ、伊織はげんなりと溜め息をついた。


野外(そと)ではやんないよ、法に触れるから。あと早漏はお断り。」

 まあそう言うなって。内容(なかみ)が濃けりゃ満足すんだろ。抵抗させる隙も与えず、伊織の腕を掴む。勢いにまかせ路地裏の壁に追い込んだ。


 俺と壁に挟まれても、伊織は然程の動揺すら見せない。ただただ、無気力な視線で睨みつけてくる。

 どこまでも曇りきった人形の(つら)を見おろしながら、俺は声を潜めた。


「来週で半年だ、」

「なんの話、」

「佐喜彦が、俺んとこ来て。」


 しばらく見据え合った。伊織の、真っ黒な眸に俺が映る。

 俺にも伊織が映るように、更に更に、壁との空間を狭めた。体温と呼吸が近い。



「残り半年。俺は絶対、あいつと暮らす。」



 伊織のなかの俺が、悪い顔をしてやがる。


「おまえも約束守れよ、」


 一生、佐喜彦の家族になっちまえ。

 俺が俺にむかって、にっと笑った。

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