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家族ごっこ  作者: 悦司ぎぐ
第5章 かさなる、かさねる
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十九話 鋭い女




 平日の昼時はすんなりと席に座れた。まずはウーロン茶を二人分、届いてすぐに海鮮玉と、明太チーズ玉、ついでに、鶏のたたきと帆立バターも注文した。

 鶏のたたきはすぐに届いた。武本りさは手際よく鶏を小皿に取り分ける。


「若い舌と中年の味覚が混合してるわね。」

 そして俺のセレクトに対する感想をのべた。「注文は任せる」と言った手前、難癖ではないのだろう。彼女の性格から察するに、本当にただの感想だ。


「言ってくれんなよ、微妙な年頃なんだから。」

「私も大して変わらないわ。」

「この年齢(とし)ってさ、色々考えるよなあ、」


 大して変わらない、と明言する武本りさの年齢については、あまり触れずに話を広げた。年下か年上かはわからないけれど、たぶん同じくらいだろうとの推測だけは確定したのだから、それで充分だ。


「私はむしろ、あまり考えなくなってきたわ。」

 あくまで大真面目に、武本りさは言う。


「この年齢って、物事を一通り目にするっていうか、一周するっていうか、目新しい物が無くなってくるから、何でもシンプルに捉えるようになるの。てっきり、あなたもそういう(たぐい)だと思っていたのだけれど?」



 どうやら俺は、けっこう誤解していたようだ。



 武本りさには、確かに可愛げが無い。愛想も乏しく常に冷たい印象を残す。

 しかしだからといって、会話の器量や幅が皆無、というわけでもないらしい。彼女は案外、受け答える能力も、そこから話を広げる(すべ)も心得ている。


「買被りすぎだって。教育者ってのは案外、稚拙な人間が多い職業だしな。」


 謙遜を盾に話題を変えた。


「あんた確か、別の仕事もしてるんだってな、」

「ええ、母の店。」

「何の店なんだ?」

「ブティック。」

「あー、動くマネキンってやつだ、」

「……。」

「あ。褒めてるから、今の。」


 俺は若干、調子に乗り始めていた。


「ダブルワークじゃ大変だろ、」

「そうでもないわ。」

「そりゃたくましい。俺なんて、今の仕事だけでも精一杯だけどな。」

他人(ひと)に物を教えるのって、けっこう労力遣うものよ。」

「そう言ってもらえるとは、光栄だ。」


 調子に乗って話を広げ続けた。武本りさの、薄くて律儀な反応が癖になっていた。


「今日の休みなんて、貴重だったんじゃないのか、」

「別に。動いてるほうが性に合ってるから。何もしないのは、苦手。」

「前日酒呑んで、翌日は何もしない休日とか最高だけどな。……あ、全然呑まない人?」

「呑もうと思えばいくらでも。」

「へえ、いいねえ。じゃあ今度は呑みにでも……」



「ねえ、」



 調子に乗りすぎて、武本りさの視線が沈んでいることに、気づかなかった。



「私は今日、何のために呼ばれたの?」

 ここまでが限度か。



「もちろん、話をしてもらうためにだろ、」

 とりあえず、すっとぼける。

「こんなどうでもいい話を?」

 頬杖をつく俺を真似るように、武本りさも肘をついた。


 乾杯の合図もせず各々口をつけ始めたウーロン茶が、お互い、まだ半分以上残っている。更にこのタイミングでお好み焼きの生地も届いた。

 焼くお手伝いをしましょうか? 愛想良く尋ねる店員に俺は、いえ大丈夫です、と出来るだけ感じよく返した。



「一枚目だけ、焼いてもらったほうが無難だったかもな。本当言うと、自信なくてさ。」

 店員が厨房へ消えるあたりで、武本りさに笑い掛けた。


「あなたの得意技ね、()()、」

 肘をついたまま、武本りさは目を据わらせた。


「面倒なことに笑って、冗談を挟んではぐらかす。逃げるくせして、相手との関係も壊さないようにしているのね。」


「そんなに器用じゃねえよ。」

 俺は視線を手元に置いて、生地の入った小鉢をかき混ぜながら適当に笑った。


 卵と山芋と、キャベツや海鮮なんかの具がどっさり入った小鉢は、最初こそ混ぜ難いものの、だんだん馴染んでクリーム色の塊になってゆく。


「その手が通じない相手もいるって、判らないのかしら。月乃やサキみたいに。」


 本題であるはずの二人の名前に、心臓がざわついた。

 これ以上は逃げ切れそうにないし、ずるいままでもいられない。

 鉄板に緩い生地をおとす。音をたてながら円状に整えたところで、今度はちゃんと、武本りさに視線を合わせた。


「別に、あいつらを見くびってるつもりなんて、無いけどな。」


 やわらかく、俺は言った。

 言い争いを避けたいとか、怒らせたくないとかが理由ではなくて、これは順応だ。武本りさは言い回しこそきついが、その反面態度やしぐさはやわらかい。俺が『限界』だと察した時点からずっとそうだ。だから順応した。


 ひと息おいて、武本りさはちいさく首を振った。


「見くびろうとしているのは、むしろ、あの子達のほう。」


 あいつらの?


「ええ。子どもはあなたが思っているより、ずっと傲慢よ。だから繊細にあなたの手の内を察知して、ひとりで勝手に崩れる。」


 喋るにつれ、武本りさの視線は俺から離れてゆく。顔も身体も真っ直ぐ向けているのに、目の行き場だけが沈むように伏せてゆく。


 その様子のせいだろうか。

 それとも、たった今諭された「あいつら」の話が影響したのか、不意に、彼女の姿が佐喜彦と重なって見えた。


 焼鳥屋で、オレンジジュースのジョッキを支えて俯き、『結婚』の『約束』について話す佐喜彦を、思い出させる。



「ごめんなさい。」

 やわらかい謝罪の音が、武本りさの姿を取り戻させた。


「こんな話も、違うわね。」

 彼女は続けてやわらかく言い、まだ半分以上残っているジョッキを両手で持ち上げ、顔の傍まで寄せた。俺に視線を戻して小首を傾げる。乾杯、の意だろうか。俺もならって、ジョッキを低く持ち上げながら薄く笑って頷いた。


「いただいても?」

 ことばの無い乾杯が済んですぐに、武本りさは手のひらで鉄板を指し示した。裏返した生地がだいぶ厚みを増している。

 あ、ちょっと待ってな。俺はへらで四等分に切り分けた物を、小皿に乗せて手渡した。鉄板の隣に、味の違う二種類のタレと、マヨネーズと、青海苔と鰹節が並んでいる。

 武本りさは少々悩んだ末、関東風のタレと鰹節をぱらりとのせて、一口食べた。


「おいしい。」


 短い感想と静かにこぼれる笑みが、胸に響く。武本りさの笑った表情(かお)は初めてじゃないはずだ。ただ、いつどこで見たのかが、なかなか思い出せない。


 ……そうだ。たしか最初に出逢ったときだ。

 それは、初めて喫茶店を訪れた日でもあって、俺の隣には、月乃がいた。

 あの日あの時を思い出したその刹那、「おいしい」と俺に向けて微笑む武本りさが、今度は、月乃と重なって見えた。


「月乃とはどういう知り合いなんだ、」

 深刻な話、というふうにならない範囲で、月乃の話を振った。

「妹の親友なの。」

 有り難いことに武本りさも、相談にのる、みたいな姿勢はみせなかった。


「親友?」

「そう、親友。私の妹、あまり社交的な子ではないのだけれど、月乃とだけは馬が合うみたいで。人懐こいでしょう、あの子。だから、いつの間にか私のことも、姉みたいに慕ってくれるようになってて。」


 武本りさの説明する月乃の人物像やその情景が、あまりにも容易く脳裏に浮かぶものなので、思わず吹き出した。


「だからあなたのこと、話には聞いていたの。ずっと。」

「へえ。だからあの、会計のとき。」

 彼女からの打ち明け話を、相槌をうつ程度にきいた。二つ目の生地をかき混ぜながら、どうあっても深刻にならないように。


「サキの身内と同一人物だって知ったときは、驚いたけれど。」

「はは。身内なのか、俺。」

「違うの?」

「まあ、若干な。」



 月乃だろうと、佐喜彦だろうと、どちらの名前があがっても平静を装った。

 動揺と言うには大げさかもしれないが、あいつらは様々なかたちで俺を揺さぶる。

 俺はたぶん、恰好つけていた。こんな可愛げの無い女相手に、年甲斐もなく恰好つけていた。







「今日はごちそうさま。」

 改札手前で武本りさは顔を向けた。

「言うほどご馳走してないけどな。」

 お決まりのようにふざけると、彼女もまたお決まりのように、「どうして?」なんて真面目に返す。なかなか進展しないやり取りに、参って笑った。


「今度は居酒屋なんてどうだ、」

「何が、」

「次こそ本当に相談。今日はナンパだったからさ。」


 笑う延長で、最後にもう一つふざけた。数時間ぶりの冷たい視線が突き刺さる。



「とんでもない卑怯者ね。」


 解散間際の、このタイミングだったから気が大きくなっていたのかもしれない。同じように、武本りさも、寛大になっていたのかもしれない。

 俺のへらっとだらしない顔も、彼女の涼しげな無表情も、少々の間を挟んで、同時に薄ら口元を緩ませた。


 本日はこれにて終了だ。そう悟って手のひらをかざす。武本りさの丁寧な辞儀を最後に、俺はきびすを返した。



「……私、あまり関係良くないの、……妹と。」



 背後から投げられた声に足が止まる。

 振り向いた先で武本りさが、視線を泳がせながら髪をいじって佇んでいた。手持ち無沙汰な指が櫛のように、ゆっくりと長い髪を梳かす。


「でも……大切。今の、私の家族だから。月乃……いつも、私と妹を、取り持ってくれたわ。」


 とぎれとぎれに、武本りさは言った。



「優しい(やつ)なんだよ。いつも、他人が優先だ。」


 やっぱり俺は極力、深刻を避けるように笑った。

 武本りさの視線が、俺と同じところにとどまる。彼女は最後にもう一度軽く頭を下げて、


「食事のお誘いだけど、割り勘なら考えておくわ。」


 なんて、涼しく、静かに、やわらかく微笑んだ。

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