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第14話「お忍びの皇太子」

 アルフォンスはいつものようにグレイスンを伴って馬車を走らせていた。


「アレクシス様との待ち合わせ場所までもうすぐでございます」


 プリュメ街にほどなく近い宿に、馬車は到着した。


「待ってたよ、アル」


 宿の庭で、大きな犬と戯れているのはアルフォンスの学友でもあるアレクシスだった。


 妹のレティシアと同じ紫の瞳が優しく微笑む。


「待たせて悪かったな、アレク。午前の授業が長引いてしまった。」


「いいんだ、僕もいまさっき着替えたところさ」


 普段は質の良い生地で仕立てられている上衣を羽織り小侯爵として着飾っているアレクシスだった。


 アレクシスは少し色褪せた灰色の上着を着て、頭にはバンダナを巻いて銀髪をうまく隠している。


 すっかりもうどこにでもいる街の青年にしか見えない。


 もっともその端正な顔立ちは隠れていないが...。


「急いで着替える」


 宿には、ひとのよさそうな女将が待っていた。


「どうぞ、こちらへ」


 女将はアルフォンスを手際よく、どこにでもいる町の青年に仕立て上げた。


「世話をかけた。いつもながら手際が良いな、女将」


 女将はふふと笑い、お辞儀をした。






 馬車はプリュメ街へ続く道のすぐそばの林まできた。


  二人はそこで降りることにした。


 林の中を歩いて行こうとした二人を、グレイスンが呼び止めた。


「殿下、少しお待ちくださいませ」


 グレイスンは一切ためらわなかった。


 しゃがみ込み、足元の泥を指先で掬う。


「失礼いたします」


 そして、そのままアルフォンスの頬に置いた。


 びちゃ。


 アルフォンスは数秒、動かなかった。


「……必要なのか」


 低い声。


 グレイスンは手を止めずに答える。


「はい。非常に」


 アレクシスは肩を震わせながら、必死に顔を背けた。





 アレクシスは笑いをこらえ、小刻みに揺れていた。


「もう笑うな」


 祭りの喧騒の中を二人は歩いていた。


 アレクシスはまだ笑っていた。


「無理だ…あはは、ごめんよ…だって。」


 アルフォンスはわざと隣を歩くアレクシスをじろりとにらんだ。


「…あんな無表情で、帝国の皇太子殿下の顔に泥を塗れる人って、彼くらいだろ」


「物心ついた時からの付き合いだからな。グレイスンはまだ私が赤ん坊に見えるときがあるのだろう」


 グレイスンの機転は素晴らしかった。


  祭りを楽しむ人たちは、だれもふたりが高貴な存在であることに気が付かない。


 二人は噴水のある公園で屋台で買った食べ物を楽しむことにした。


「それにしても、完璧な変装をして正解だよ、アル。なんてったって、お忍びで来てるからね。それに...」


 アレクシスが密りんご飴にシャクッと音を立ててかじった。


「元騎士団長のガレス殿が、今回の武闘会の審査員に入っているらしいからね」


 アレクシスがわざと小声で話した。


「あの屈強なガレス殿か。それは…会いたくない相手だな」


 アルフォンスは、ガレスに何度か会ったことがあったが、無口でよくわからない人だという印象しかなかった。


「だろ。武闘会には近づかないでおこう」


 二人は同時に、シャクッとりんご飴をかじった。


 噴水の音と同じくらい大きかった祭りの喧騒が、少し静かになった。


「そういえば……」


 アレクシスが、ふと視線を上げた。


 りんご飴をかじりながら軽い調子で続ける。


「今回の武闘会さ、ただのお祭り騒ぎじゃないらしいよ」


 りんご飴をかじりながら続ける。


「“騎士団の次期編成の選別場”らしいって」


 その瞬間、アルフォンスの手が止まる。


「……選別?」


 アレクシスは肩をすくめる。


「勝敗じゃなくて、皇室騎士団に優秀な人材を探すための場だって」


 アレクシスは肩をすくめた。


「ガレス殿が審査に入ってる理由も、それだと思う」


 アルフォンスはしばらく黙る。


 視線は遠く、武闘会の会場がある方向へ向いていた。


(表向きは祭りの武闘会......、裏では...)


「……なるほどな」


 アルフォンスは低くつぶやいた。


 アレクシスはその横顔を見て、小さく息を吐いた。


「で、どうする?」


 アルフォンスは少し考えた。


(迷いはない…正しい。)


「行く」


 その一言だけだった。


 アルフォンスは立ち上がる。


 りんご飴の棒が、指の間でわずかに軋む。


 アレクシスは小さく笑う。


「やっぱりね」


 二人は歩き出す。


 人の流れは同じ方向に向かっている。


 武闘会は、もうすぐ始まる。


 アレクシスが後ろから言う。


「できるだけ目立たないようにね」


 アルフォンスは一度も振り返らない。


「元からそのつもりだ」


 武闘会の会場は、もう目の前に迫っていた。

【主要登場人物です】

■ レティシア・ヴァレンティーヌ

この物語の主人公。絹糸のような淡い銀髪で紫水晶を思わせる大きな瞳をもつ公爵令嬢。未来の皇后候補として厳しく育てられ全てに秀でた“完璧令嬢”として知られていた。


■ アルフォンス・ルーヴェル

ルーヴェル帝国の第一皇子で、次代の皇帝として期待される存在。

金髪でアイスグレーの瞳をもつ端正な顔立ちをしている。


■ ルシアン・エヴラール

隣国であり友好国であるラヴィエール公国の小公爵。レティシアの幼なじみ。

軽薄そうで何を考えているかわからない。黒髪の危険な色気があり女性からもてる。 

レティシアの本性を知る数少ない人物。


【ルーヴェル帝国 関係者】

■クラウディウス皇帝

ルーヴェル帝国を長年統治している偉大な皇帝。

理性的で威厳があり、民から敬愛されている。


【 ヴァレンティーヌ公爵家】

帝国屈指の名門公爵家であり、代々皇室騎士を輩出している武門の家系でもある。

 

■ ヴィクトル・ヴァレンティーヌ

ヴァレンティーヌ公爵家当主。厳格で威厳ある人物で皇室からの信頼も厚い。


■ セラフィーナ・ヴァレンティーヌ

ヴィクトルの妻であり知性と品格にあふれる公爵夫人。


■ アレクシス・ヴァレンティーヌ

3歳年上のレティシアのでヴァレンティーヌ家の後継者。聡明で冷静。


■ ノエル・ヴァレンティーヌ

1歳年下のレティシアの弟。剣術好きで明るい性格。


■ベアトリス・ローエン

レティシアの教育係。

帝国最高の淑女を育て上げることに強い誇りを持っている。


■ガレス・オルディン

かつて帝国騎士団を率いていた元騎士団長。熊のように大柄な体格と、頬に走る古傷のせいで恐れられることも多いが、その剣技は帝国内でも伝説的と語られている。


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