第五十話
「んっ……んん~~!!」
これほどまでに朝の目覚めが爽快なのは久しぶりだった。
アンシュルとの会議が憂鬱だとか、嫌だだとかではないが、明確な道筋が見えないという漠然的な不安が常に付きまとっていたこともありいつもどこか心が重かった。
とはいえ、今の現状だってすべての懸念が片付いたわけではない。
アンシュルに渡した計画書で修正を行わなければならない箇所が出てくればそれはそれで面倒だし、全て可決されたとしてもそれはそれで面倒なのだ。
つまり、この爽快感はアンシュルが答えを出すまでのほんの僅かな間だけ。
それでも、これまでの怒涛の日々を思い返せば僅かでも憂いがない時間と言うのはとてもありがたい。
「お嬢様、シアにございます。」
「入って頂戴。」
「おはようございます。あら、今朝は何やらご機嫌でいらっしゃいますね?」
「ええ!ちょっね!」
とはいえ、ルナの護衛は継続なので朝食を食べて今日の講義を終えたらルナの仮住まいに行かなくてはならない。
それを仕事だと思えば気合は入るが、メーバルの脅威がなくなった今となっては護衛と言うよりも談話の為に行くようなものだ。
この清々しい心持のまま、ルナが望んだレシピを共に挑戦するのもいいかもしれない。
きっと、これまでの中で最高の出来になる気がする。
「お支度が整いました。」
「ありがとう。」
いい日になるに違いない、この時の私はそう信じて疑わなかった。
「…今、何とおっしゃいました?」
「メリンダ、お前の婚約が決まったんだ。」
「……」
今の心情を素直に口に出せるとしたら「oh、マジか親父よ」だ。
朝食の席で、後で執務室に来るようにと言われてすぐに告げられたのがこれだ、情緒もへったくれもあったもんじゃない。
極めつけに私を見るお父様の顔はニコニコだ。
これが私利私欲の為に私を利用しようとしているゲス親父の笑みだったならまだよかったが、残念ながらこの笑顔は娘の希望を叶えてあげられたと信じている顔だ。
しかも、トドメと言わんばかりに隣に控えるお母様まで同じ顔をしている。
似た者夫婦って奴か、やってられんわ。
「それは、命令ですか?」
「!?な、何故そう思うんだい?!」
「王族との婚約なのです、そう思うのが自然でしょう。まさか、友人知人が未来を語るような約束の延長戦だとか、小さな希望を叶えてやりたいだとか、そんな理由ではありませんよね?」
刺々しい物言いだという事は分かっている、可愛くない事を言っているという事も分かっている、それでも止められない。
もしも、両親が勝手に仮定した娘の願いを叶えようと暴走した結果が今なら私の今まではなんだったんだ。
アンシュルとルナが幸福になる光景が見たかった、アンシュルが恥ずかしそうに笑う顔が見たかった、ルナが幸せそうな表情が見たかった、それが叶うなら私の命を懸けたってよかった。
それを、目の前の二人がぶち壊したかもしれない。
冷静になれと念じつつも、声は低くなる。
只ならぬ娘の雰囲気に先程まで嬉しそうだった両親も流石に気づいたのか、どこか顔色が悪い。
「命令ではない、ないが、随分前から打診は受けていたんだ。国内情勢的にも我が公爵家と王家が縁を結ぶのは最善なんだ。それに王妃様とお母様は学園時代からの友人で、メリンダの事も実の娘の様に思ってくださっている。メリンダが王宮へ行ったとしても手厚く歓迎してくださるだろう。」
「それに、王妃教育は早く始めた方が後々楽になるのよ。メリンダは淑女教育にも力を入れていたからもっと上を目指すことだってできるわ。」
「…勝手なのですね。」
「え?」
「いえ、失言でした。公爵令嬢としてあるまじき言葉、申し訳ございません。情勢につきましては私も把握しております、公的な書類は既に発行されているのでしょうか?」
「い、いや…まずは殿下と顔合わせをした後に書類にサインをする予定だ…」
「さようですか。婚約に関しましては命令として受諾いたしますが、最後にどうか未熟な私に発言の権利をいただきたく存じます。」
「メリンダ、一体どうしたの?嬉しくないの?貴方、殿下の事をお慕いしているのでしょう?」
「発言の許可を求めます。」
「…分かった、言いなさい。」
「ありがとうございます……私の願いを勝手に決めないで、不愉快よ。」
そう言い切ると同時に、私は執務室を後にした。
*
「ふっ…ひっく…うぅ……」
「お嬢様…」
「私は一体、なんの…ために……なんで…なんでかってなこと…嫌いよ…だいっきらい!!!」
執務室を辞した後、自室へと駆け込んだ。
驚くシアやレイに構うことなくベッドに潜り込むと、堪えていた涙を流す。
分かっている、両親は娘の幸せを願い良かれとしてやった事だ。
この世界、いや、貴族令嬢にとって王族との婚姻は幸せの象徴であり身に余る栄光だ。
望んだところで手に入るものではない、権力の均衡が取れているとしても資格がなければ打診なんてこない。
それが出来たのは一重に、あの両親が尽力したから。
貴族令嬢としてなら、この婚約話を喜ばなければならなかった。
でも、出来なかった。
私が一番欲しい幸せを、私の幸せを願った両親が打ち砕いたのだ。
誰を憎めばいい、誰を怨めばいい、誰に怒ればいい、誰を貶せばいい。
分からない、分からないけれど今この身に渦巻く感情をどうにかしないと自分がダメになりそうだった。
「…お嬢様。講師の方がお見えですが…」
「……体調不良だと、言って帰ってい、ただいて…お詫びにお菓子でもお渡しして…」
「承知しました。」
それを言うのが、精一杯だった。
(もう少しで、講義が終わる時間…いつもだったら、この後ルナのもとへ行く…)
それはアンシュルに任命された大切な仕事だ。
だが、どんな顔をして会いに行けばいい?
分かっている、ルナにしてみれば私もアンシュルもただの友人のようなものだろう。
恋とか愛とか、そういうのに発展する前の関係だ。
いや、だった。
(私が…踏みにじった…)
咲くはずだった花が、咲かせたかった花が、芽吹く前に摘み取られた。
もしそれが悪意からであれば、私は遠慮なく報復したことだろう。
極めて残忍に、冷酷に、無慈悲に、それこそラスボスの名に相応しいほどに。
だけど、違うのだ。
はじめは、ただの思いやりだったのだろう。
それが分かるから、やるせない。
誰も悪くないのに、いや、誰も悪くないからこそなぜここまで私が苦しまねばならないのか。
「……」
シーツを被りながらテラスへと向かう。
空は茜色に染まり始めている。
このまま、ここから飛び降りれば大怪我は免れないだろうが死にはしない。
医療が発展した前世だったならいざ知らず、この世界でなら後遺症の一つや二つ残るかもしれない。
いや、それ以前に体に傷が残るかもしれない。
そうすれば、王族からの打診は白紙になる可能性がある。
体が不自由な王妃はいざという時に枷となるし、女性の頂点たる王妃が傷持ちだなんて体裁が悪い。
(なんだ、簡単なことじゃない。)
ここから飛び降りれば、全部何とかなる。
少し手こずるだろうがアンシュルの功績は十分だし、ルナはメンシス国の王族だった。
ポロス国にとっても隣国との関係強化が図れる両国の婚約は喜ばしいことだろう。
メンシス国もガルツ国の不祥事を収めた王子の元ならばと、ルナを嫁がせてくれるかもしれない。
そもそも、私の目的は生き残ることだ。
傷が残ろうとも生きているのなら私の目的は完遂されたも同然、むしろその後の人生だってある意味では生きやすくなるかもしれない。
(良いこと尽くめじゃない。)
真っ暗だった目の前に、一本の道が見えた気がして仄かに口角が上がる。
後四歩、三歩、二歩、一歩…このまま進めば…
「何してる!!?」
「!」
あと少しなのに、誰かが私の手を掴む。
やめて、離して、あと少しなの。
あと少し進めば望む世界が手に入る。
アンシュルが笑って、ルナが笑って、私も笑って、誰もが幸福な世界が待っているの。
だからお願い、離して、行かせて…いかせて!!!
「そんなことしたって誰も幸せになんてなれるはずがないだろ?!しっかりしろ!!お前の大切な奴はお前が死ぬことで喜ぶようなゲスなのかよ!!」
違う、違うけど、違わないの…だって、もうこれしか手がないの…ほかにどうすることもできないの…私がいるだけで、損なわれる現実があるの…だから、だから…!!
「ふざけるな!!そんな現実なんてあるわけねぇだろ!!もし、そんな現実にお前がいるなら俺が攫ってやる!!お前が死なずに済むのなら、どんなところからだって攫ってやる!!だから、だから俺の前からいなくなろうとするな!!!」
抵抗する私を力でねじ伏せるように引き寄せると、キツく抱きしめる。
この体温、なんだか懐かしい。
さざ波が聞こえるどこかで、同じように抱きしめられた。
あの時は唯々混乱していて、どうにかして穏便に戻ろうと考えていて、でもうまく考えがまとめられなくて…そんなに前のことじゃないはずなのにひどく昔のように感じる。
(そういえば、あの時も抱きしめてくれたのは彼だった…)
「……クー…」
「頼むよ、お嬢…」
痛いほど抱きしめてくる彼の声は、小さく震えている。
それは、何かに恐怖している者特有の震え。
彼は、何に恐怖している?
私が死ぬこと?私が傷つくこと?いや、そのどちらもなのだろう。
それが分かるのに、この抱擁が解かれたらまた同じことをするだろう。
彼の腕の中はとても居心地がいいけれど、だからこそ自分が許せなくなる。
自分が、諸悪の根源に思えてならないから。
「…クー、お願い…」
「その願いだけは、絶対に聞かねぇ…」
「お願いよ…もう、耐えられないの…怖いのも痛いのも我慢できる、でも、大切なものを壊されるのには、壊す要因になってしまうことは、耐えられないの…」
前世の私は決してうまく生きていたわけじゃない、遣る瀬無いことのほうが多くていつも後悔しながらせめて誰かの迷惑にならないように生きていた。
そうすれば、誰かに認めてもらえると信じていたから。
でもそれは違うと、そんなことをしなくても私を認めてくれる人と出会えた。
その人が恋願う人も私のことを純粋に慕ってくれて、誰かを庇護したいと初めて思わせてくれた。
二人に幸せになって欲しくて行動して、失敗もあったけど結果として間を取り持つとっかかりにはなれたと思っていた。
だというのに、結局私はラスボスだった。
いいや、小説のメリンダは結果として二人の愛を強める要因となった。
私は、それ以下だ。
なら、いないほうがいい。
「大丈夫だ、お嬢は何も壊さない。俺が壊させない。」
「無理よ…もう、道は閉ざされてしまった…進めないのなら、落ちていくしかない…」
「道がないなら俺が作ってやるよ。お嬢は知ってるだろ?俺が空を飛べる事。」
「知ってる、知ってるけど…先がないのなら、いずれは落ちていくだけ…クー、貴方まで落ちる必要はないわ…不要な私だけいなくなれば…」
「認めねぇ、絶対にだ。」
「!」
そういうや否や、クーはテラスから飛び降りた。
いや、正確には空に駆け出した。
いつかの日、夜空を駆けた時のように風を浴びながら走るクーの視線はまっすぐ前を見ている。
まるで、本当に道があるかのように。
「お嬢、見えるか?」
「?」
「あの先に、海がある。すげぇ広大で、少し沖に出れば周りは海だけ。世界に一人だけみたいな感覚になってさっきのお嬢みたいなことを言ったやつがいたんだ。」
「…」
「道がない、進めない、どうするってなった時そいつさ、なら進って言ったんだ。」
「進めないのに…?」
「そ。破天荒だろ?道を作るでも落ちるでもなく、進むって言ったんだ。進んでりゃいつかどこかに辿り着く。辿り着いた先が楽園かどうかは分からないけど、どうせどん底にいるんだからこれ以上悪くなりようがないってさ。楽観的といえばそれまでだが、今お嬢に必要なのはそういうことじゃないか?」
「…私がどん底なのはいいの、でも…」
「お嬢がどん底だと、俺もどん底なんだよ。」
「…なんで?」
「そりゃぁあ…その…」
「?」
「あー!!とにかくそうなの!!だから…俺のためにも、死なないでくれ。」
「…」
励まして、くれているのだろう。
でも、頷けない。
私が楽観的になって好転するのならいくらでもなろう、アホになったってかまわない。
でも現実はそんな簡単ではない。
そんな私にクーは呆れるでも、困るでもなく、ただ寄り添ってくれる。
優しくしないでと叫びたいのに、離れないでと縋りたくなる。
「…もう、ぐちゃぐちゃよ…」
「なら、泣いちまえ。」
「泣いて、どうにかなる話じゃない…」
「どうにかなる話なんだよ。泣いて、泣いて、ぐちゃぐちゃをスッキリしてから考えればいい。そうすりゃ、きっといい考えも浮かぶからよ。」
「…楽観的ね…」
「いったろ?今お嬢に必要なのは、それだって。」
泣けと言われて泣けるほど、単純ではない。
そう言い返したいのに、悔しいぐらいに涙が出てくる。
ベッドに潜り込んで、バケツがいっぱいになるほど流したはずなのに後から後から涙があふれてくる。
そして、涙に引っ張られる様に嗚咽もこぼれる。
でも、知るもんか。
この涙は、今私を抱えているその人が流せといった涙だ。
だから、責任をもって受け止めてもらう。
「ひっく…ふっ……っわあぁあああっぁあああん!!!!」
読んでいただきありがとうございました!
もし良ければブクマや評価をつけていただけると、とても励みになります。
ついに五十話達成!
ここまで長かったような、早かったような…




