二席
「僕がお前のライブを最も評価していた理由がわかるか?」
並んで歩きながら投げかけられた問いに、ポメロは首を傾げました。わかるわけがありません。
「なぜでしょう?」
「それはな、お前の曲が一番頭を使わずに聴けるからだ」
「なんて?」
一瞬、馬鹿にされたのかとも思いましたが、言葉の響きは子供の口から出たとは思えぬほど鋭く、冷徹な講評としてポメロの耳を打ちました。
褒め言葉なのか、それとも貶されているのか。ポメロもどう消化してよいかわからず、戸惑いの視線を隣に送りました。
「……もうすこし噛み砕いて」
「【噛み砕いて下さい】だ不敬者!」
「……噛み砕いてください」
「つまりだな……難しい曲という物は、読み解く楽しみを提供してくれるものではあるが、それを理解し、胸に収めるには知識や感性、思考力が必要になる。だが、庶民はそのような才を持ち合わせて居らん。ことに日中から公園に屯する程度の連中の理解力など犬か猫並みだ。だからこそ、一聴して【わかる】という事は、ここ公園で演奏するに於いては何物にも勝る力になる。客層にしてもそうだ。あんなにガキどもが寄って集っていたのは、お前だけだったぞ」
驚きました。ちゃんと噛み砕いたどころか、今の状況を完璧に言語化してみせたのです。論理立ち、確かな知性と分析力に裏打ちされたその言葉。
「すごいね、君!」
ポメロが手放しで称賛すると、お坊ちゃまは「ふふん」と鼻を鳴らして、これ以上ないほど嬉しそうに偉ぶってみせました。ですが、すぐに顔を引き締めました。
「【すごいですね】だ不敬者! あと僕の名前はアンドレックだ。お前には特別にアンドレック様と呼ぶことを許す」
「どこが特別なん!?」
様付けを強要しておいて何が特別なのか。ポメロのツッコミを、アンドレックは不遜な一瞥で切り捨てました。
「名前を直で呼ぶ栄誉を与えてやったんだ。そんなこともわからんか」
あからさまに偉そうでした。ですが、それはエピタフのような後天的な思想による上から目線とは違いました。育ちそのものが「上」であると疑いもしない、天然もの。地に足のついた、ナチュラル・ボーンの傲慢さでした。
「ところで」
アンドレックが足を止め、こちらを見上げました。
「お前の家はまだ遠いのか?」
「10分くらい……あ、アンドレック様の足なら20分近くかかるかも」
「……馬車を呼べ」
「辻馬車? 使ったことないなあ」
そもそもどこにどうやって頼めばいいのかさえポメロにはわかりませんでした。
「そもそもこの先の通りでは、馬車が入れないかも知れないし」
少なくとも奏鳴荘のある通りは、小型馬車がようやく一台通れるかどうかの狭隘な路地です。それを聞くと、アンドレックは心底嫌そうな顔をして、ついに信じがたい命令を口にしました。
「では、僕をおんぶする栄誉をくれてやる」
「えー……」
「なんだその不遜な態度は!」
「疲れたなら、ちょっとあそこのベンチで休もっか」
「そうか……お前、純朴な態度を取っているが、遠回しに労働の対価を欲していたのか。がめつい奴め」
アンドレックは独り合点して、懐から革の袋を取り出しました。
「そんな下心はない!」
「金貨でいいか?」
「村長最高!」
欲に目がくらんだポメロは、秒でアンドレックの前に屈み込み、その小さな身体を背負い上げました。
ここから奏鳴荘までは、歩いて十分少々の帰路。去年まで野良仕事で鍛えていた農民の足腰なら、子供一人を運び切るなど造作もないことでした。
首筋に伝わる、子供特有の確かな重さと温度。アンドレックの前頭部がポメロの後頭部に重なり、歩く振動に合わせて揺れます。
「お前は華奢なようでいて……結構鍛えているのだな」
「去年まで農民やってましたから」
「農民か。そうか。ご両親は息災か?」
「手紙によると、そのようです」
「そうか、仲は良いのか?」
「どうでしょう。手紙には僕への心配ばかり書かれています」
「心配な。よい両親ではないか。孝行せいよ」
「こないだ、仕送りを初めてしてみました」
「そうか……」
しばらくの間、沈黙が訪れました。規則的な靴音だけが路地に響きます。
(寝ちゃったのかな?)
そう思った矢先、耳元で呟きが再開されました。
「夏まではな」
「はい」
「こうしてよく、父上におんぶしてもらった」
「……」
突如として始まった身の上話でした。
(──あ、これ、早まっちゃった?)
金貨に釣られて踏み込んではいけない領域に関わってしまったのではないか。ポメロが後悔し始める間にも、小さな主の独白は止まりません。
「庭園で私を背負って走るのだ。東屋で見ている母上は、遊び終わった僕にティーを淹れてくれる。ミルクもだ。僕の飲みやすい量と温度に、ちゃんと整えてな」
「……」
「今、おんぶするのは使用人だ。ティーを淹れるのはメイドだ」
アンドレックの声が、微かに、ですが決定的に震え始めます。
「両親はな。お姉様の方が可愛いんだ」
奏鳴荘はもう目の前でした。ですが、背中には震えているアンドレックがいます。推定十にも満たない子供の、隠しきれない慟哭が伝わってきます。
ポメロは、あえて奏鳴荘を通り過ぎ、散歩の延長を決めました。
面倒ごとです。関われば厄介なことになるのは目に見えています。ですが、もう突き離せませんでした。
どこか知性と感情のバランスが歪なこの少年が、背中から伝わってくる体温としがみ付いた腕の強さで、無言のままに告げていたからです。「ひとりにしないで」と。
そして悲しいかな、ポメロの業は──胸の奥で、熱情がうごめき始めていました。
この少年の嘆きを糧に、新しい一曲として育てたいのだと、ポメロの魂が主張して止まりません。
「…………」
「お話は、もう終わりですか?」
「いや、迷惑を掛けた。このような泣き言を庶民にこぼすなど、まだ僕も──」
「いいんです」
「いやしかし、高貴なる者として庶民に示す範というものが──」
「どうでもいいです」
かつてマンモスは、眠るリノの髪を「エアなでなで」しながら呟いていました。『リノにはただの女の子として笑ってほしい』と。
アンドレックはどうだ? ただの男の子か? 違う。この子は傷つきながらも、子供であることより尊い身分であることを優先しようと背伸びしている。
『歌の理論や街の都合で子供を消費するべきではない』──ポメロは思います。真相は知りませんが、この子には明らかに、精神がすり減っています。
ポメロはまだ十六歳になりたての身ではありますが、王国法律上、十五歳は既に成人です。
ポメロは大人。
アンドレックは子供。
(……やってやらあ!)
決意に同期して、熱情も心の中を暴れ狂います。初めは隅っこでじっとしていた、控えめな熱情だったはずです。ですが、今はもう止められません。
それはまるで、狭い筐体の中を跳ね回るピンボールの如く、ポメロの思考を叩き、加速させていきます。
「お前、道を戻ってないか?」
「良くお気づきで」
「僕などを家に入れたくなくなったか?」
「そうじゃないです」
「では僕の身分に恐れ入ったか?」
「そんなの今更です」
「では、何故」
「まず、腹ごしらえです。創作にはエネルギーがいりますからね」
「創作?」
「それから公園へ戻ります。アンドレック様がずっと座っていた、あのベンチまで」
「……捨てに行くのか?」
「拾いに行くんですよ。アンドレック様があのベンチにこぼして来た、たくさんの想いを」
「想いを? 庶民は無知だな。思いには形も重さも無いから、手で拾うことは叶わんのだ」
「拾えますよ」
「だから」
「拾えます。僕が拾ってみせます」
「……自信満々だな」
「僕はずっと、そうやって楽曲を紡いできました。大丈夫、拾えます」
「そうか。良きに計らえ」
「お任せください、アンドレック様。あなたが評してくれた『一番頭を使わずに聴ける歌』──ご両親に、ぶつけてやりましょう」
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