一席
「「「「16歳おめでと──っ!!!」」」」
奏鳴荘の食堂に、鼓膜を震わせるほどの怒号とクラッカーの炸裂音が鳴り響きました。無数の色テープと紙吹雪が、きょとんと立ち尽くす少年の赤茶けた髪に降り注ぎました。
このきょとんはあざとくないきょとん! 自然な驚きからでたきょとん!
「え? え……っ?」
ポメロが目を丸くして、手にしたままの新調されたギターケースを抱え直しました。
「寮母は?」
ドリーが火掻き棒の代わりに大きなしゃもじを突き出し、鋭い言葉を投げかけました。
「……母親、です」
「同宿は?」
「兄弟、です」
「なら決まりさね。ここでは皆で兄弟の誕生日を祝うのが鉄の掟なんだよ」
ドリーが満足げに鼻を鳴らす傍らで、珍しく声に力の入っているエレクトラが、顔に付いた金色の紙吹雪を払いながら低い溜息をつきました。
「私はもう遠慮したいのだけど。この年で馬鹿騒ぎに加担するのは……それに、祝われる側になる想像をするだけで、背筋に寒いものが走るわ」
「無駄な抵抗はお止め。ウチに住む限り、祝福からは逃れられないのさ! 二十歳を過ぎようが三十を越えようが、死ぬまで数字は増え続けるんだ。ババアの悟りの前じゃ、あんたのそのちっぽけな加齢への恐怖なんてのは、砂漠に撒いた水一杯にもなりゃしないよ!」
「……手厳しいわね、相変わらず」
ドリーの断固拒否するような勢いに、エレクトラも苦笑して肩をすくめるしかありませんでした。
初冬の隙間風を追い散らすように、テーブルの上には湯気を立てる山盛りの豆料理に、故郷を思い出させる香ばしい肉のロースト、そしてドリアが鎮座しています。エピタフは相変わらず「伝統に反する騒ぎだ」と毒を吐きながらも、ポメロの好物である甘い果実水を甲斐甲斐しく注いで回っていました。
「あはは、みんな、ありがとう!」
ポメロは、少し前まで夜の森で死にゆくギターと対峙していたことなど嘘のような、温かな喧騒に身を委ねました。デッカが持ち込んだ安ワインの香りと、住人たちが口々に語るろくでもない思い出話が、冷えた身体を内側から溶かしていきました。
白髪で小さな、歌を愛するリノがここにいたなら、きっと誰よりも大はしゃぎして、ポメロの頭をぐりぐりと満足いくまで撫で回していたでしょう。彼女が発する、感情が直接脳に届くような不思議なハミングが、この場にないことが酷く不自然に感じられました。
ですが、その「不自然さ」を指摘できる者は、この場に一人としていませんでした。
かつてリノが放った『だいじょうぶ』という名の魔法は、今も彼らの精神を優しく、そして冷酷に拘束し続けています。
彼女との別れを嘆き、領主に反旗を翻そうとするような「危うい悲しみ」を一切合切焼き払い、代わりに「晴れやかな門出」という偽りの幸福を植え付けたのです。
ふと、エピタフがグラスを傾けながら呟きました。
「……きっとリノが居たら、君を──」
「おいバカやめろエピタフ!」
デッカの鋭い制止が飛ぶが、時すでに遅し。
室内は、魔法が解けたかのように一瞬で静まり返りました。
それは悲しみによる沈黙ではありません。書き換えられた「幸福な記憶」と、魂の深淵にわずかに残った「喪失の違和感」が正面衝突し、思考が一時的にフリーズしてしまったが故の、真空地帯でした。
「エピタフお前ホントそういうトコだぞ、ノンデリが」
「……済まない。その、つい」
気まずそうに視線を泳がせるエピタフに対し、ドリーは豪快に笑い飛ばしました。
「なに言ってんだい、リノは晴れやかな門出を迎えたんだ。変な気を回すんじゃない。どのみち、どっかに嫁にいくならいつかはここから出て行ってたんだ。それが少しばかり早まっただけさ」
ドリーは寂しさを微塵も感じさせない手つきで、アツアツの皿を差し出しました。
彼女の脳内では、リノとの別れは既に「喜ばしい必然」として美しく整理されていました。
「さあ、冷めちまうまえに、こっちのドリア食っとくれ!」
「シシッ、おいちそーな湯気上げてんじゃねーの。じゃあ、俺ちゃんが破瓜のスプーン入れちゃうぜ!」
「黙れデッカ」
エレクトラの真顔チョップが、デッカの左耳の付け根を正確に捉えました。
「あだっ!?」とおどけてのけ反るデッカと、それを見て思わず噴き出すポメロ。
洗練された連携プレイが凍り付いた空気を一気に温め直していきました。
寮母は母親、兄弟は家族。
奏鳴荘という一つ屋根の下、血の繋がらない者たちが肩を寄せ合う夜は更けていきました。
───── ♬ ─────
翌日。
冬の柔らかな陽光が差し込む公園の噴水前。ポメロは新調された漆塗りのギターを抱え、軽快なリズムを刻んでいました。周囲には家族連れや老人、そして学校をサボったのか元気よく跳ね回る子供たちの輪ができていました。
「「「いよぉっ! ポメロ、もう一丁!」」」
「あはは、ありがとう!」
投げ銭のコインが小気味よい音を立ててケースに吸い込まれました。オーディエンスの手拍子やお囃子が初冬の冷えた空気を弾ませました。
ですが、しばらく前に書き上げた新曲『バイバイ。』をここで歌うことはありません。相棒の死を燃料にしたあの凄絶な決別の歌は、この穏やかな客層には刺激が強すぎるからです。
「もう五曲終わったのかよ。もっとやってくれよ!」
「ひみつきちやって! ひみつきち!」
無邪気な子供たちがリクエストを飛ばします。その横では、これまでに知り合った音楽仲間たちもちらほらと顔を見せ、品評を交わしていました。
「『ムカつくあいつの歌』ってさ──素直になれない男の子が、つい気になる女の子にイジワルしちゃう初々しさを歌ってるんじゃない?」
「ちょー鋭でー。さすが俺の女は感受性豊かだわ」
節穴!
心の中で毒を吐きながらも、ポメロは笑顔を崩しません。確かにABメロまではエピタフへの剥き出しの苛立ちを叩きつけた構成ですが、Cメロに入れば「自分だって相当に傲慢だった」と振り返る自省の旋律へと転じるのです。
あくまで友情の範疇とはいえ、素直になれぬ己を恥じるあの歌詞こそが曲の肝ですが、世間の解釈などそんなものでしょう。
一方で、鋭い耳を持つ者もいました。
「あのギター、ものすげーピーキーなんじゃね?」
「ああ。良い音はより良く、悪い音はより悪く響くようだ」
慧眼!
ポメロは顔を上げずに、漆塗りの相棒を愛おしく撫でました。
(まだいるな……)
演奏の間、ポメロは背中で気配を感じ、時折、遠間のベンチを盗み見ていました。
そこに、一人の子供が座っていました。上流階級と一目でわかる仕立ての良いナリ。ですがその表情は、この世のすべてを拒絶するかのように不機嫌でした。
ポメロが公園に入った時から、その子はそこにいました。
常連ではありません。見たことのない顔です。
演奏中、その子の意識はずっとポメロに向けられていました。
子供とは思えないほどの、重く、鋭い圧──値踏みするような視線。演奏が終わった今も、その圧は解かれたものの、視線だけは執拗に絡みついてきました。
片付けを終えたポメロは、かつて秘密基地に案内してくれた子供ファンたちに、こっそりと尋ねました。
「ねえ、あのベンチの子、知ってる子?」
子供たちは一斉に苦い顔を浮かべました。
「ヤなやつだよ」
「あそぼって言ったのに頭が高いって怒るんだもん」
「アイツの方が身長高いのにねー、へんなの」
不評。それも筋金入りでした。
(……腫物だ。さわらんとこ)
ポメロは即座に決意しました。ですが、ベンチの主はまだ見ています。
「じゃあみんな、またね! 次は三日後の同じ時間に!」
子供たちにリマインドを済ませ、ポメロは足早に家路につきました。
直後、背後でコツ、コツと靴音が響きました。
振り返らずに歩きます。
足音は一定の距離を保ってついてきます。
気持ち早足で歩く。
足音も駆けてきました。
(ヤバい……)
面倒な相手にロックオンされたと悟ったポメロの額に一滴の冷や汗が流れました。
公園の出口。
ついに耐えかねて逃げ出そうとした瞬間、先に声を掛けたのは背後の子供でした。
「お前」
目上に対する、あまりに不敬な呼び捨て。
しかし、その外見通りの立場なら、ここで無視するポメロの方が不敬罪に問われかねない。ここは絶対王政下にある、音楽と秩序の都カーネギーなのです。
ポメロは覚悟を決めて振り返り、精一杯の愛想笑いを浮かべました。
「どうしたのかな?」
「【どうされましたか】だ、不敬者。庶民は挨拶の仕方もしらんのか」
不遜。あまりにも不遜。
ですが、漂う気品と傲慢さは間違いなく貴族のそれでした。
「──大変失礼しました。僕に用件がおありのようですが、どのような?」
「朝から公園のライブをずっとはしごしていたが、お前のライブが一番ましだった。褒美をくれてやる。お前の家まで案内せよ」




