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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第十二幕『シャンドスOp.11:熱情』

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35/58

一席


 ことの起こりはポメロが奏鳴荘に入る少しだけ前。


 九番舞台の裏手、石造りの重厚な練習室には、絶え間なく続く精緻なピアノの旋律と、それ以上に重苦しい沈黙が同居していました。


 伝統派の棟梁、モトロードによる個人レッスンは、呼吸をすることさえ許されないような規律の檻です。


「──打鍵が弱いですね。十六分音符が連続すると、音が尻すぼみになってしまう。特に同じ音の連打の場合、その傾向が顕著です」


 モトロード。【六歌仙】が一。伝統の冠を抱く男。人呼んで「グレートコンポーザー」「音楽の正解」「天才を追い抜いた秀才」。

 

 ピアニスト出身。長じて作曲にも通じ、年功序列の向きが強い伝統派にて、若干36歳で指導部入り。翌年、指導部の総意で以て、伝統の冠の譲位と相成った。

 

 外部から見ればモトロードが伝統派の統領とも見えましょう。しかし実際は、幹部会である指導部にて最若手の役員でしかない。一年生議員。ペーペーです。

 

 つまりモトロードに実権などはなく、看板として重用されているのです。

 

 ですが、そんな彼でも自分が指導する徒弟くらいは選ぶことが出来ます。

 

 彼は掌中の玉として、15歳の少年を特待生とし養成所に招いていました。自分の直弟子として。


 少年の名はエピタフ。同じピアニスト。

 音叉脳を持つ、狂わぬ音を拾える鬼才。


「はい、先週も同じご指摘を受けていたのですが……如何様に克服すべきか、訓練方法がみつからず。同じ譜面の同じ箇所を何度も繰り返しておりました」


 鍵盤から指を離したエピタフは、額ににじむ汗を拭うこともせず、うなだれるように首を振りました。

 

 モトロードは師匠として、正しく弟子を導きます。


「同じ曲で指を慣らした。成程。なので楽曲が変わると同じペースの同じ連符でも音の尻つぼみが発生してしまうわけですか」


「師匠! 不肖の弟子をどうかお導き下さいませ!」


 椅子の脚を鳴らし、エピタフが縋るような視線を向ける。伝統派の正解を体現する師は、深く、深く眉間に皴を刻んで愛弟子を見つめました。


「我が弟子エピタフよ……これはピアノの練習では克服できない問題です」


「では!?」


「根本的な筋肉の問題です」


「エッ!?」


 エピタフの目が点になります。理論と規律の化身である師の口から、およそ音楽とは無縁に思えぬ単語が飛び出したからです。


「あなたはまだ成長期が終わっていませんから、体が出来上がるまでは指筋トレはしないつもりでしたが……あなたの演奏の技術取得速度が早すぎるのがいけないのです」


 モトロードが胸ポケットから取り出したのは、鈍い光を放つ指ギプスでした。それは指に装着し、曲げ伸ばしの際に不自然なほどの負荷をかけるための、楽器というよりは拷問器具に近い代物です。


「それをつけて第三関節……第二関節……第一関節を毎日それぞれ100回曲げ伸ばし、を、100回行ってください」


「師匠、それはあまりにも───」


「打鍵を舐めてはいけませんよ我が弟子エピタフよ」


 その瞬間、モトロードが上着をバッ! と脱ぎ捨てた。


 ガシャン!


 練習室の床が悲鳴を上げる。


「何だ今の音は? 服装が立てる音ではない!」


 エピタフは驚愕しましたが、直後に目にした光景はそれを遥かに上回る衝撃でした。モトロードが羽織っていたのは、装束の形を模した巨大なウエイト──オーバーボディ。


 しかし、エピタフの心を射抜いたのは重りの重量ではありません。


 露わになった師の肉体。

 鋼の五体。

 巌もかくや。

 ミスターオリンピア。


 それは領主お抱えの精鋭部隊の誰よりも、厚く、固く、デカイ。


 バリバリ!


 筋肉が咆哮を上げるような錯覚すら覚える威容で、モトロードは静かに語りかけた。


「わかりますか、我が弟子エピタフよ」


「わかりません」


「演奏は筋肉です」


「!」


 悟り。エピタフの蒙は、今この瞬間、劇的に拓かれました。


「あなたの打鍵が尻つぼみになるのはあなたの指の筋肉が鍵盤に負けたからです。ならば答えは至極簡単。殴り負けない指を作ればよろしい……筋トレで!」


「殴り負けない指……」


「ですが我が弟子エピタフ。筋肉による打鍵には、魔が宿ります」


「魔……」


「ええ。筋肉をつければつけるほど……指は覚えていた筈の繊細なタッチを失うのです」


「なんという矛盾!」


 戦慄するエピタフを、モトロードの眼光が射抜きます。


「我が弟子エピタフ。筋トレと同時に筋肉を制御する練習もするのです。100回指屈伸したら100回ソフトタッチをするのです……このように!」


 モトロードが拳を真上から鍵盤に叩きつける!


 その薬指が不自然に立っています。彼のパワー×このままの勢いで衝突すれば、指の骨などひとたまりもないでしょう! 解放骨折不可避!


 しかし。


「なんと……いう……」


 エピタフは、その光景に魂を震わせました。


 鍵盤に衝突する寸前、師の拳はピタリと静止したのです。

 いえ、違います。

 ミリミリと、数センチだけ動いているではないですか!


 眼にも留まらぬ速度的落差。


 そして突き立てられた薬指は、黒鍵を優しく沈め──

 

 ぽん。


 それは、ピアノが出せる音色の最小値を狙い澄まして穿ったような、至高のピアニシモ。


「この緩急は……どのように……」


「筋肉です」


「やはり!」


「筋肉の解放で筋肉を打ち込み、筋肉の収縮で勢いを殺し、筋肉の調整で音を出す……」


「それでは、まるで」


「そう。ピアノとは筋肉なのです」


 真理。伝統派の頂が見せる景色は、あまりにも筋肉に満ちていた。


 汗と筋肉の熱気が冷めやらぬレッスンの最後。モトロードは呼吸を整え、愛弟子に運命の言葉を告げた。


「この課題をこなせたら、あなたの九番舞台デビューを考えましょう」


 そしてそれが、ポメロの十三番デビューの直後に、実現することになります。



───── ♬ ─────



 九番舞台へのデビュー。それは楽壇──とりわけ伝統派の楽師として、一人前たる立場に登ることを意味します。


 正式な目録を授かり、流派を名乗り、自らの意志で音楽的行動を起こす権利。その重みを噛み締め、エピタフは独り、練習室の椅子で深く息を吐きました。


(ポメロに先を越されてしまったが、僕もとうとう……)


 胸に去来するのは、筆舌に尽くしがたい感無量の思い。師モトロードへの尽きせぬ感謝。そして、麒麟児と謳われた己の矜持。それらすべてが、今まさに結実しようとしていたのです。


 デビュー公演の演目は、一曲。師匠は「あなたという存在を、世に知らしめるのです」と、自由な選曲を許してくれました。


 通常であれば、選択肢は限られています。

 

 たとえば、端正な構成美を誇る『ソナタ・ハ長調:朝露の散歩道』。

 あるいは、伝統派の教科書とも言える『練習曲:銀の燭台』。

 少し背伸びをするなら、指の独立性を証明する『練習曲:石造りの回廊』。

 

 そのようなところでしょう。


 九番舞台において、新参者が極大難易度の曲を弾きこなすことは、必ずしも成功とは見なされないのです。そこには、新参者が演奏すべき新参者向けの楽曲群という暗黙の了解が存在するからです。


 序列の金型に己をはめる謙虚の強要。それこそが、伝統派しぐさ。


 これまでのエピタフであれば、それを不服に思うことなどありませんでした。型があるからこそ得られる安らぎを、彼は誰よりも肯定していたからです。


 この春までの彼ならば、間違いなく正解を選んでいたでしょう。


 しかし───。


 エピタフの脳裏に、あの日の光景が蘇ります。

 あの社会見学の夜に生まれた『ムカつくあいつの歌』。


 直接聴かせてもらったわけではありません。ですが、エピタフは見たのです。ストリートで、なりふり構わずギターを掻き鳴らすポメロの姿を。


 かつてポメロの部屋から漏れ聞こえてきたのは、エピタフへの剥き出しの怒りでした。Aパート、Bパートと続くマシンガンジャブのような旋律。そこで終わるはずの、底の浅い感情の爆発だと思っていました。


 ですが、あの日。ストリートで聴いたその曲には、続きがあったのです。


 二度目のBパートが終わり、アウトロが弾け、象徴的に音が締められたその瞬間。心臓の鼓動のごとき、低音の短音が四分音符で刻まれ始めたのです。


 四小節、八小節、十六小節。

 

 そして、鮮やかな転調と共にCパートが開幕しました。


(……!)


 そこに現れたフレーズに、先ほどまでの怒りは微塵もありませんでした。


 代わりに詰まっていたのは、拗ねたような、済まなそうな、ちくちくとした繊細な感情。


(ああ、あの朝……)


 ケンカから一夜明け、廊下でばったり顔を合わせた時、ポメロは屈託のない笑顔で「ごめんね」と頭を下げました。エピタフはそれを、創作の衝動を吐き出し尽くしたことによる単なる怒りの消化だと思っていました。


 しかし、このCパートを聴いてしまえば、悟らざるを得ません。

 

 ポメロはあの夜、暗い部屋で一人、後悔し、逡巡し、羞恥に震えていたのです。その果てに、あどけない顔をして謝罪の言葉を口にしたのです。


 その時、エピタフの胸を貫いたのは、未知の熱情でした。

 

 自分をこれほどまでに見つめ、己を無様に晒した曲を成したポメロに対し、自分からも音楽を贈りたい。貴様という存在を、僕の音楽で表現したい──。


 伝統派のライブラリの中から、一曲のスコアが浮かび上ります。

 

 完全な持ち曲ではない。だが、習得はしている。あと一ヶ月、師の教えに従い筋肉を鍛え上げれば、九番舞台で弾ずるに相応しい完成度へと昇華できる確信がありました。


 ですが───その曲は「三段目」に属するソナタです。

 デビューから三年は経たねば解禁されない、格上の楽曲群。

 もしデビュー戦でこれを弾けば、エピタフは「おきばりんぼ」──身の程を知らず、前のめりになりすぎている者として、伝統派諸兄から冷ややかな視線を浴びることは確実でしょう。


 将来の評価か。それとも、今この胸を焦がす情熱か。


(いや、迷う必要などない。僕は……)


 エピタフは、震える手で楽譜を広げました。

 その表紙に記されたタイトルを、強く、指先でなぞります。


「僕は、この曲──『シャンドスOp.11:熱情』を選ぶ!」


 熱情。

 

 それは、あの少年を象徴する言葉。

 

 エピタフが憧れ、唾棄し、そして今、誰よりも強く共鳴してしまった矛盾の正体。



───── ♬ ─────



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