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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第一幕『おひるねがしたいうた』

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3/12

三席

 沈黙がしばし、二人の間に横たわりました。


 少女の消沈した姿、そのうつむいた肩の震えに、ポメロの胸には疼くような罪悪感が募ってゆきます。


 ごめん、と謝って足早に立ち去るべきでしょうか。

 ……いいえ、違います。


 さっきの歌をもう一回聞かせてよ、とねだるべきでしょうか。

 ……それもまた、違う。


「……そうか」


 ポメロはギターのネックを、折れんばかりにギュッと握り直しました。


 技術はありません。難しい音楽の理屈もわかりません。けれど、感受性だけは誰にも負けないという自負がある少年は、野生的な直感で理解したのです。


 この都、カーネギーで最初に出会ったこの少女は、「歌」でしか真実を伝えられない存在なのだと。たぶんそうだと。そんな気がすると。


 まずはそれで行っちゃえと!


「いいよ、わかった。言葉なんて、後回しでいいや」


 ポメロは無理に会話しようとするのをやめ、満面の笑みでボロギターを抱え直しました。


 そして、彼女の内に澱むノイズ混じりの言葉をすべてかき消すように、ジャカジャカと不器用で、けれど最高に明るいコードを鳴らしたのです。


「!」


 少女の目が大きく見開かれます。再度重なる、真っ直ぐな視線。


 ポメロは、やあ、こんにちわと微笑みかけました。


 そこに何を見たのでしょうか。少女の顔から影が消え、まるで春の花のつぼみがほころぶかのように、自然で柔らかな笑みを返してくれたのです。


 少女はまたくるりと回り、翼のように毛布を身にまとって――。


 急転直下! まさに至近距離!


「こらクソガキ! へたっぴなギターがちゃがちゃしてんじゃないよ!」


 少女のいる家、その玄関から、痩せぎすのおばあさんが弾丸のように飛び出して……手には火掻き棒! フルスイング! 風切り音!


「うちの孫に手ぇ出したらただじゃすまさないよ!」


 再びの火掻き棒! フルスイング! 風切り音!


「ぴぇえ」


 ヤンキーがメンチを切り合う距離で、お婆さんの血走ったギョロ目がポメロのキョロつく瞳を貫きます。


 涙目のポメロがびくんと肩を跳ねさせたのはもちろんのこと、ベランダの少女までも驚いて跳び上がります。


 体は細く筋張っていて、小柄なおばあさん。どう見たって非力で、弱々しい体躯のはずです。


 けれど、その剣幕たるや凄まじい。火掻き棒スイングはもっと凄まじい。なにより、生まれてこのかた村の誰もが絶賛してくれた自分のギターを、真っ向から「へたっぴ」なんてけなされたのは、ポメロにとって初めての経験でした。


「でもでもだって」


「あぁ?」


 おばあさんの威圧に、ポメロはすっかり白旗気分の意気消沈。


 つい先ほどまでの、都に祝福されているような浮かれ気分は、一瞬で木っ端微塵に消し飛んでしまいました。


「す、すみません。騒がしくして……」


 随分としおらしく謝るポメロを、おばあさんはじろりと一瞥しました。火掻き棒は左肩に着地。ホームポジション。


「なんだ、随分としおらしくなったじゃないか。アタシゃてっきり、リノに色目使って寄ってきた馬の骨だと思って、ケツを四つに割りに出たんだが……どうもそうじゃなさそうだねえ」


「今日、上京したばかりで宿を探していたんですけど、なんか凄い歌が聞こえてきて……。聴いてたら、なんかこう、リラックスしてきちゃって。それで、目が合っちゃって。誓って、その、変な下心があったわけじゃ……」


「もういいよ分かった、皆まで言うんじゃない。あんたも【魔法】にかかっちまったんだね」


 魔法。


 実を言えば今のポメロにとって、ひどく聞き慣れない言葉でした。なぜなら、この広大な世界において「魔法使い」なんて職業はどこにも存在しないからです。


 火の玉を飛ばす老魔術師も、杖を一振りして傷を癒やす聖女も、この世界の理には組み込まれていません。ファンタジー世界のくせして。


 あるのはただ、喉から溢れる旋律と、指先が弾く弦の響き。それだけが、この世界における唯一の超常現象であり、人の為し得る奇跡でした。


 なお、神の奇跡は例外とする。


 だからこそ、ポメロはこの小柄なおばあさんの口から出たその単語に、妙な重みを感じてしまったのです。


「魔法……?」


「あたしゃリノの歌をそう呼んでる。あの子は言葉を失っているけれど、誰よりも歌が上手いのさ。上手すぎる歌は心に直接届く。見えないはずの情景が見えてしまう。だから魔法さ」


 老婆はそう言うと、深い皺の刻まれた目尻を少しだけ緩めました。


 都の住人にとって、音楽はもはや空気と同じです。けれど、リノの魔法の歌は、ハートトゥハート。聴く者の心に直接、リノの心象風景を届けてしまいます。音楽理論では説明のつかない領域の話であり、誰にも理解できない現象でした。


 だからリノの歌を知る者はこう表現するしかないのです。


「魔法……」


「怖いだろ?」


「え……いいえ。心地よい魔法でしたよ。ぽかぽかして、ぬくぬくして……不謹慎ですけど、このままお昼寝しなきゃ、って思っちゃったくらいですから」


 ポメロが素直な感想を漏らすと、老婆は「ふーん……」と、値踏みするように彼を凝視しました。彼女の視線は、ポメロのボロいギターケースを通り抜け、彼の未熟な魂そのものを透かし見ようとしているかのようです。


 カーネギーには、野心を抱いて音楽を志す若者が掃いて捨てるほどいますが、リノの歌を聴いて「お昼寝しなきゃ」などと抜かしたのは、目の前のエビのような髪のボウズが初めてだったのかもしれません。


「なんですか、そんなにじろじろと」


「まあ、ね。……なあリノ! このボウズ、どうだい!?」


 おばあさんがベランダを仰ぎ見ると、身を乗り出して二人のやり取りをハラハラと見守っていた少女――リノは、喉を震わせました。奏でられたのは、言葉ではない楽しい歌。


 説明なんて一切いらない、弾むような喜びを乗せた歌声。

 ポメロの胸に、新たな情景が浮かび上がります。


 リノとおばあさんと、そして自分が手を繋いで、輪になって踊っている賑やかで温かな情景でした。そのうちにチャラそうなアニキや薄幸そうな美人や四角い小太りくんも輪に加わって、皆で笑い合うのです。まるでみんなは家族。そんな親愛の情が、心の底から溢れ出てきます。


「歌はダメっていつも言ってるだろ! 言いたいことは表情かハンドサイン!」


 慌てて歌を中断したリノの首がバネ仕掛けの人形の様に高速上下運動!


 この婆さん強い!


「ははっ……」


 老婆が孫娘にお説教をまくし立てる中、ポメロの口元が、またしてもゆるりと綻びました。


 音楽の都カーネギー。ここでは誰もが音楽を奏で、誰もが音楽に酔いしれます。


 けれど、こんなにも真っ直ぐに、理屈を飛び越えて心の中へ入り込んでくるような音楽に、ポメロは生まれて初めて出会ったのです。


(魔法使い…… いや、魔法少女リノ!)


 ドリーは、ようやく険の取れた人情味あふれる顔立ちになり、ポメロの背中をばちーんと景気よく叩きました。


「あ痛てて」


「ひと月だけタダで住ませてやる。その先は、しっかり家賃を入れるんだよ!」


 この乱暴老婆、もしかして人情家か!?


「え、ええっ!?」


「孫がボウズを気に入った。あの子は悪い奴には懐かない。空き部屋もある。ま、そういうこった」


 やっぱり人情家だ!


「ありがとです」


「【奏鳴荘】のルールはただ一つ! しっかり覚えな!」


「あ、はい」


「寮母は母親! 同宿は兄弟! はい復唱!」


「寮母は母親、同宿は兄弟」


「元気がない!」


「寮母は母親ァ! 同宿は兄弟ィ!」


「合格! 今晩はあんたの入居祝いで、うまい晩飯つくってやる」


 ドリーはそれだけ言うと、まだ呆然としているポメロを放っておいて、のしのしと玄関の奥へ引っ込んでいきました。


 ポメロは、慌てて重いギターケースを持ち直し、もう一度ベランダを見上げました。


 そこには、毛布を抱えたまま、最高に愛らしく微笑むリノの姿がありました。くすぐったそうに。こねこみたいに。


今晩【22時】までかけて区切りとなる第9話まで逐次投下いたします。

よろしければまたのご来訪を。

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