二席
ポメロはライブ当日までに、エレキギターの硬い弦に対応したピック捌きを身につけました。
サクセスバンドから渡されたのは五曲の進行表。ひねりのない直截なコード進行。その全てがシンプルな三和音で構成されており、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、閉廷以上解散といった具合の、あまりに潔い構成です。
一晩あれば、主旋律に合わせてコードをなぞるくらいは造作もありませんでした。
「いい音だ、最高にサクセスに近づいたぜ!」
「クール」
「クール」
二馬車線ストリート、通称【二スト】の辻ライブ。ここは人通りが絶えない華やぎの界隈です。即席のステージに上がったメンバーたちが、弾けるような笑顔で親指を立てます。
ポメロもまた、貸し出された純白の衣装に身を包んでいました。失踪した前ギタリストの置き土産だというそれは、天使をイメージしたお耽美系の極み。
子供サイズのポメロにはあまりに大きく、ドリーおばさんに夜なべして各所をひっつめてもらった代物です。
「……これ、前が空きすぎて、すごく心もとないんですけど」
「いいんだよ、それこそがサクセス。お耽美の基本はチラリズム」
無理やり着こなしたその装束は、激しくかき鳴らすたびにV字に開いた胸元をさらに広げます。そこからうっすらと覗くのは、育ち盛りの少年にしては薄い肉付きゆえに、浮き出たあばら骨。
そんな痛々しくも儚げな天使の姿で、彼はひたむきに演奏に集中していました。
ですが、いざ本番の演奏が始まると、ポメロの心に無視できない違和感が沸き上がります。
♪―― 寂しくて震えるー
どの歌の歌詞を読んでも。
♪―― らぶらぶらぶらぶウォンチュー
どの歌を演奏しても。
♪―― 君の瞳はメジャーズ級ぅ
どの歌にハモったところで。
マイクを握るボーカルが、胸元をこれでもかと開き、甘ったるい声を張り上げます。どこまでも、どこまでも、恋、愛、恋。
サビになれば、ポメロも含めた全員で「愛すると誓うよー」と分厚いコーラスを重ねるのがこのバンドの様式美でした。
(熱い。この人たちの音、すごく熱いんだけど……)
ポメロは困惑していました。彼らには技術を上回る熱意があります。サクセスを掴み取ろうと前進し続ける覚悟が見受けられます。
だからこそポメロも手を抜かず、自分なりに弾き方にアレンジを加え、三曲目のサビではエフェクターを踏み込み、音の壁を厚くして盛り上げに貢献しました。
しかし、歌詞が喉を通るたびに、背筋がむず痒くなるのです。
僕は今、登り始めたばかりなんだ……この思春期坂をよ!
そんな純真極まりない田舎少年には、あまりに直球で浮ついた歌詞の羅列は、感動よりも照れが勝ってしまうのです。
(なんで、主題がみんな恋なんだよ……)
アプローチこそ変えていますが、そこにはシチュエーションの深みも、物語性も、瞬間を切り取ったような絵画性もありません。
ただ「好きだ、寂しい、愛してる」というラベルを張り替えているだけのように聞こえてしまいます。それが、ポメロにはどうしても不服でした。
「みんなセンキュー! 俺たちは走り続けるぜ、三番舞台に立つまでは!」
「サクセス!」
「サクセス!」
演奏が終わるやいなや、会場を埋める若い女性たちの黄色い悲鳴が嵐のように吹き荒れました。これがいわゆる青田買いのバンギャという人種でしょうか。
「君カワイイね!」「何歳?」「ギターじょうずー!すごーい!」「あばら、あばらが見えるわ!」「もう一個だけ! もう一個だけボタン外そ? 外して? 外せ!」
ちやほやともみくちゃにされながら、ポメロは必死に周囲を見渡します。だが、その視線の先に、彼が理想とする安産型の女性は一人もいませんでした。
「打ち上げだ! 俺たちは危機を乗り切ったぜ!」
「お前も来るだろ、ポメロ。新メンバーが決まるまでは、お前が俺たちの翼だ」
「はい、行きます」
「エンジョイ」
「エンジョイ」
───── ♬ ─────
打ち上げの会場は、二ストの喧騒から一本裏路地に入った、安酒と揚げ物の匂いが染み付いた地下の鳥串パブでした。ですが、乾杯の合図から三十分もしないうちに、ポメロはバンド音楽界の別の現実を目の当たりにすることになりました。
先ほどまで「サクセス!」と拳を突き上げていたボーカルとドラムが、左右にバンギャを侍らせ、鼻の下を伸ばして夜の街へと消えていったのです。
「……あれ、二人とも帰っちゃったんですか?」
「あれもサクセスの一部だよ。エネルギーの補填ってやつさ」
残ったのは、苦み走った表情で黒ビールを煽るベースの男と、そのバンド仲間という繋がりで応援に来ていた野郎どもだけでした。テーブルには、食い散らかされたポテトと、気の抜けたビールのジョッキが並びます。
「君、もともとアコ専なんだってな?」
不意に声をかけてきたのは、夜の地下室だというのに深い色の色眼鏡をかけた男でした。彼はサクセスバンドの知り合いで、自身のバンドも持っているといいます。
「本職はトルバドール。ビリビリのギターは、ここに来てからです」
「ほう、道理で指の運びが丁寧だ。このバンドは続けるのか?」
「ヘルプの引きがあるうちは。なんにせよ、生活がありますから」
「音楽一本で食うのは難しい。だが、君の今日の弾奏、あれは目を引いた。うちの連中も言ってたぜ。サビの厚みが今までと違うってな」
(これが「人脈」というやつか)
同宿のデッカ先輩が、なぜあんなに必死に顔写真付きの募集票を自作していたのか。その理由が、今なら痛いほど分かります。
このカーネギーにおいて知名度とは、単なる有名税ではありません。それは、食い扶持を繋ぎ、次の舞台へと潜り込むための、世渡りのパスポートなのです。
今日の演奏を見た誰かが、明日、別の誰かにあの白装束のガキは使えると囁く。その連鎖が、ポメロを飢えから救う手段の一つだったのです。
「もし余裕があるなら……俺たちも手伝ってもらえないか。アコギの三本建てっていう変わり種の構成なんだが、どうしても一人、カッティングの鋭い奴が欲しくてな」
「時間の都合が合えば。僕は『アコ専コ可創アリアリ』のポメロです。安くはないですよ?」
「ハッ、強気だな。だがコーラスまで頼めるとは気に入った」
男は色眼鏡の奥で不敵に笑い、自らのバンド名を名乗りました。
【アコギ3】。本当はもう少し凝った横文字の名前なのですが、どうせ短いヘルプの付き合い。特徴だけとらえておけばいいでしょう。
ポメロは確信しました。
今、自分の手元にあるパスポートに、初めての入国スタンプが押されたのだと。
───── ♬ ─────
渋み走った男なのです。色眼鏡をかけたアコギ3のリーダー・アコニキは。
彼らが掲げるアコギ三本立てという構成には、電気の力に頼らず、生音の響きと技術だけで勝負するという強い反骨精神が漲っていました。
その反骨心は、音だけでなく装いにも徹しています。
彼らのステージ衣装は、音楽家らしい煌びやかさとは対極にある肉体労働者の作業着なのです。
色はバラバラ、ジャンルもバラバラ。
ポメロもまた、彼らに倣って真っ白なランニングシャツに薄汚れたニッカポッカという出で立ちで参戦しました。
あえて社会の奉仕者である姿を見せつけることで、華やぎの界隈である音楽界の行き過ぎた虚飾を黙して示す──それは、あまりに痛烈な皮肉なのでした。
だというのに。
♪―― 愛を誓うよーーー
♪―― 「「「Wow Wow Wow」」」
奏でられるのは、またしても同じ主題でした。
工夫も捻りもない、浮ついた歌詞の羅列。
彼らの演奏技術は、先のサクセスバンドよりも明らかに数段上でした。聴かせるテクニック、緩急のついたカッティング、随所に溢れ出す経験。
それなのに、歌っている内容は「寂しくて震える」の焼き直しでしかありません。
(どうしてなんだ。これだけの腕があるのに、なんで語る言葉はこれっぽっちなんだ?)
打ち上げのない解散。
サクセスバンドよりも一段上の演奏を披露しながら、結果として得られたのは一段下の人気でした。
観客は彼らの超絶技巧に感心こそすれど、サクセスバンドのような熱狂はそこにありませんでした。
「また頼むぜ」
「おつー」
「戦慄のボトルネック」
楽器を片付け、夜風に当たろうとしたポメロに、不意に声がかかります。
「あのー、ポメ君?」
振り返ると、そこに立っていたのは、ポメロの常識を色鮮やかに塗り潰すような、強烈な色彩の少女でした。
「……誰ですか?」
「わー、態度つめたーい! 女の子のお願いなのに!」
彼女は有無を言わせずポメロの腕を抱きかかえてきます。
なれなれしい、そして恐ろしく太太しい、肉感的なふとももがポメロの脚に触れました。
「!!」
もーもー、この子ったら、ファットボトムに関しては、ホントにもー!
その格好は、まさにコーティングされた毒入りのロリポップのようでした。
着ているのは目に痛い補色関係のブロックチェック。赤と青が激しく衝突し、視覚を揺さぶります。
右目の下には、描き込みすぎたほどに大きなお星様の化粧までも。
「道化師か、それとも小悪魔か……」
ポメロが呆然と呟くと、太腿は悪戯っぽく舌を出しました。
「ポメ君ってヘルプなんだよね? ちょっとお願いがあるんだ」
「話と期間によりますけど。一応、サクセスさんとアコ3さんを優先しますよ」
「いいよいいよ、空いてる時で。あのね、ウチのギターがちょっと事故にあって……困ってるんだ」
太腿はキャンディコーティングな格好とは裏腹に、手には色とりどりの風船の束を持っていました。ステージではこれを持ちながら歌うのだといいます。
「……それで、僕に何を?」
「ウチらガールズバンドだからさ。そのまま出るのはちょっとNGなの」
太腿はポメロの顔をじっと覗き込み、その頬をぷにりと指で突きます。
「ポメ君、女装してほしいな」
「はぁ!?」
「大丈夫、ポメ君なら絶対かわいいもん。衣装はウチのが貸してあげる。あ、でもその赤茶色の三つ編みはそのまま活かせるね。最高じゃん!」
ポメロは絶句しました。
生活のため、稼ぐため、人脈を作るため。
そう決めて、この音楽のオークション会場に飛び込んだはずだったのに。
目の前の毒入りキャンディのような太腿は、ポメロの困惑などどこ吹く風で、風船の束を揺らしながら楽しげにステップを踏んでいました。
───── ♬ ─────




