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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第六幕「ムカつくアイツの歌」

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15/60

一席


 今日の社会見学は【伝統派】音楽教育のカーネギー総本山、伝統派の音楽理論及び技術における徒弟養成所――略して【養成所】です。本編に移る前に、伝統派とはなんであるか、簡潔に開示しましょう。

 

 伝統派とは、音楽を感情の垂れ流しではなく「数学的かつ論理的な構築物」と定義する規律の信奉者の集まりです。


 彼らは先人が積み上げた厳格な理論を絶対とし、譜面通りの正確無比な技巧こそが正義であると説きます。正装に身を包み九番舞台を聖域とする彼らにとって、理論なき音は野蛮なノイズに過ぎません。


 その高潔すぎる選民意識と、他者を排する尊大な態度は、皮肉を込めて【伝統派しぐさ】と揶揄されることも少なくありません。


 まあ鼻持ちならん連中なんです。

 

 つまり鼻持ちならんエピタフとは、鼻持ちならん界のエリート候補生なわけです。


 「ねえ、エピタフ。その頭どうなってんの。今日は一段とデカくない?」


 「デカいとは失礼な。これはアロンジュ・ペリュックの最上級、マエストロ・モトロードに倣った黄金比による構築だ」


 「黄金って金髪じゃないじゃん。銀髪じゃん?」


 「黄金で区切るな、比まで纏めて一単語だ。比率が美しいことの典雅な比喩表現。覚えておけ。和音や合奏にもよく使われる言葉だぞ」


「あーはいはい、ひゆひゆ、ひゅひゅひゅ」


「いいか、今日という日は君にとって、泥水のような感性を清水で洗う記念碑的な一日になるのだぞ」


 「僕の頭もそんな風にガチガチに固まったらヤダな」


 「黙れ。さっさと歩け。左足から、四分の四拍子のテンポを崩さずにだ」


 「はいはい、一、二、三、四……。ねえ、このリズム、さっきから鳴ってる時報の鐘と絶妙に不協和音なんだけど。君的には大丈夫なわけ?」


 「世界は不協和音で既に満たされている! だから正しい音を希求し、我ら伝統派が満天下に知らしめるのだ! テンポを乱すな、田舎者!」

 

 バロック時代からタイムスリップしてきたとしか思えない、この馬鹿げたアロンジュ・ペリュック──羊の群れでも飼っているのかというほど過剰なカールの塊を頭上に戴き、彼は胸を張らずに堂々と、街を行進してゆきます。


 エピタフ。この少年の「型」に対する執着――こと音に対する潔癖さは、度を越していました。


 ギターのチューニングが、半音の半分も狂っていないのに「音に濁りがある! 耳音痴め!」と不快感を露わにし、どこからともなく取り出した音叉を、まるで汚物でも取り除けと言わんばかりに鼻先に突きつけてくるのです。


 まあ仮にも音楽でメシ食っていこうっていうんだから、そんだけ音狂ってたら自分で気づこうよ、ポメロ君。

 

 (……あー、思い出しただけでも腹が立つ。確かに、あいつに無理やり音叉を押し付けられて、言われた通りに合わせたら、驚くほど気持ちよく弾けたことはあったけどさ。でも、あの上から目線はやっぱりムカつくわ! 何が耳音痴だよ、あの音叉脳!)


 ポメロは、認めざるを得ない正解の心地よさと、それを提示する男の傲慢さの間で、お礼と罵倒を行き来させていました。


 「……いいか、ポメロ。これから向かうのは、伝統派の音楽理論及び技術における徒弟養成所だ」


「なんて?」


「伝統派の音楽理論及び技術における徒弟養成所」


「わんもあ」


「ああ、もう養成所でいい。養成所で」


「最初からそういうべき」


「そうだな。貴様の知能の程度に合わせた発言を心がけるべきだったな。済まない」


「バカにしないでほしい」


 街を行くエピタフの歩みは、それ自体がもはや移動というよりは演劇でした。背筋を垂直に保ち、顎を引き、視線は常に前方十五度。


 街ゆく人々が二度見するのは、彼の気高さに打たれたからではなく、あまりに場違いな正装への困惑からなのですが、エピタフはそれを伝統を知らぬ大衆の驚嘆と解釈して鼻を高くします。


 彼にとって大衆とは、真理を知らぬ無知で哀れな存在に過ぎません。だからこそ、礼節と歴史を知る高貴な身分として、彼らを導き、啓蒙してやらねばならない。


 この歪んだノブレス・オブリージュの使命感こそが、彼の絶え間ない伝統派上から目線の正体だったのです。


 ポメロはといえば、石畳の隙間をわざと踏み外すような不規則な足取りで、エピタフの後に続きます。


「ねえ、エピタフ。さっきから思ってたんだけど、三拍目が来るたびにその頭、重そうにぷるぷる揺れてて、見てるこっちが肩凝るんだけど」


「黙れ! これは、僕が受け継いだ歴史の重みだ。お前のような、その日暮らしの旋律を奏でるトルバドールには理解できない領域の話だ」


 「はいはい。歴史だか、領域だか知らないけどさ。……ムカつく」


 ポメロは鼻を鳴らし、第一のムカつきを胃の奥に溜め込みました。



───── ♬ ─────



 歩くこと三十分、二人の前にそれは現れました。


 養成所。それは、カーネギーの街外れに鎮座する、冷徹な音楽秩序の象徴。

 

 石造りの重厚な建築は、左右対称の極致。入り口の門扉には、五線譜を象った装飾が施されていますが、それも音を楽しむためのものではなく、ポメロには音を監禁するための檻のように見えました。


「伝統派にとって、音楽とは法だ。そして法を守るためには、礼節、衣装、振る舞い……そのすべてが正解でなければならない。世の知識人たちはこれを【伝統派しぐさ】などと揶揄するが、我々にとっては、過去の巨匠たちへの敬意の表明に過ぎないのだよ」


「ほうほう。ホーホー」


 門をくぐり、養成所の回廊に足を踏み入れると、エピタフのしぐさはさらに加熱しました。


 すれ違う人々に対し、腰の角度を三十五度に保ち、扇子を三段階に分けて開きます。音楽の修行に来たはずなのに、やっていることは中世の宮廷マナーの教室です。


 廊下の端で立ち止まり、右足を半歩引いて左手を通路の反対側へ向けるあの動作に至っては、もはや「私はここにいます、見てください」という、肥大化した自意識の仮託行為にしか見えません。


 ポメロは、その一つひとつの無駄を、さらにその度に誇らしげに鼻を鳴らすエピタフを見て、第二のムカつきを煮え立たせました。

 

(音楽を聴きに来たはずなのに、なんでお辞儀の作法なんて見せられてるんだ。あいつの解説、さっきから僕はこんなに伝統を知ってるんだぞって自慢してるだけじゃん。……ホントにムカつく)


「ごきげんよう、徒姉上あねうえ」 


「こんにちわです」


「おほほ。徒弟おとうとエピタフは、なんとも可愛らしいご友邦をお連れですこと」


「照れちゃいます」


 照れてる場合じゃないぞポメロ君。彼女の冷たい目線と、胸元に置かれた三本の指が、音も無くトントンと叩かれていることに気づくんだ。


 ああ、そのしぐさは「指先の揺籃フィンガー・クレイドル」。可愛らしいという言葉と連動し、赤ちゃんをあやす行為を模したその意味は、「常識知らず」を指摘するサイン!


 これを見逃すと……


「おほほほほ。ますますお可愛らしいこと」


 笑いが深まり、可愛らしいがお可愛らしいとなり、親切な指摘が一転。「あなたを軽蔑します」という恐ろしいしぐさに早変わり!


 常識が違う! 住む世界が違う!


 これがカーネギー最大派閥、伝統派の日常プロトコル!


「……お前はもう口を開くな」


「なんで?」


「それがわからんから開くなと言っている」



───── ♬ ─────



 回廊の両側には、厚い扉の付いた個人練習室が並んでいます。そこから聞こえるのは、一音の狂いもなく反復されるスケール。


「聴け、ポメロ。これが正しい音だ。ここには個人の我儘な解釈など入り込む余地はない。楽譜という名の絶対的な設計図に基づき、一糸乱れぬ演奏をすること。それが、我々が目指すべき地平だ」


 エピタフの声は、どこまでも冷たく、傲慢でした。


 一方、ポメロの耳に届くその音は、まるで血の通わない機械の鼓動、あるいは魂を削ぎ落とした単なる振動にしか聞こえませんでした。

 

 上手い。確かに、音程もテンポも、非の打ち所がないほどに完璧です。

 

 けれど、そこにはポメロが大切にしている、内側から噴き上がる「パトス」が、一滴も含まれていないように思えました。


 「……ねえ、エピタフ。あっちの部屋のピアノ、弾いてる奴の顔、見た?」


 ポメロが、小さな小窓を指差します。


 「目が死んでるじゃん。あんなに完璧な音を出してるのに、あいつ、全然楽しそうじゃないよ。あれも正解なわけ?」


 「当然だ。音楽とは娯楽ではない、学問であり、祈りだ。個人の楽しさなど、伝統の前では砂粒ほどの価値もない」


 エピタフは言い切り、顎を上げてさらに奥へと進みました。ポメロは、その頑なな横顔を見つめ、第三のムカつきを溜め込みます。

 

(……あいつ、自分の言ってること、本気で信じてんのかな。だとしたら、あいつの脳みそは、この建物の石壁と同じくらい冷たくて、重たくて……ムカつくこと、この上ないよ)



───── ♬ ─────




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