第3話 初対面抱っこ
芥屋の一階が店舗含め縦に長いとすれば、二階は何故か横に長い。
その二階、階段を背にして右端に位置する部屋を使う泉は、若草色の服に着替えて後、そーっとドアを開けた。
細く開いた先には昼夜関係なく電灯が灯る、長いフローリングの廊下。奥の突き当りには、いい加減な補強跡がある。それ以外に目につくものはない。
(よし、いない)
しかし、用心に越したことはないと顔だけ出して、もう一度廊下を探った。
二階の部屋は階段を挟んで左右に二つずつ。どれも階段・店方向に扉があり、反対側には白い漆喰の壁しかない。
泉の隣は店主であるワーズが使っているらしく、出入りする姿を幾度か目撃しているが、部屋の中がどうなっているのかは見たことがなかった。別段、興味があるわけでもないが、通りがかりに開いた際、ワーズが慌てて閉める様子は気になっている。以前それとなく尋ねれば、へらへら笑いに冷や汗浮べて「ごくごく普通の部屋だよ?」とのたまう。
とても怪しい。
が、ワーズ自体怪しいことこの上ないので、深く考えないことにしている。ヘタに想像力を掻き立てて、この街で唯一依るべき居場所を失くしては堪らない。
肝心なのは今、この部屋のドアが開くかどうか。
しばらく注視した泉は、開く様子がないと判断した。
そうして階段挟んですぐの、開きっぱなしの入り口へ目を移す。バスルームや洗濯機等の水周りが充実しているそこにも人の気配を感じられず、ほっと一息。
最後に、泉のいる部屋から最も遠い部屋へ視線を投じた。
空き部屋なのか、はたまた開かずの間なのか。一度も開閉するところは見たことのない扉。 ゆえに、これも大丈夫……なはず。
念入りに確認を終え、小さく頷いて部屋を出る。
ひょこひょこ壁伝いに、それでも音を立てないようにして、板張りの階段手前まで移動。ここからが勝負、と意気込んだのも束の間、ひょいと身体が横倒しに持ち上がった。
わざわざ向かずとも見えるへらりと笑う赤い口に、顔を赤くした泉は抗議のつもりで名を叫ぶ。
「わ、ワーズさん!?」
「おはよう、泉嬢。階段降りるんだよね? ダメだよ、言ってくれなきゃ」
少しだけ眉を寄せながら笑う黒コート。
「い、いいえ、降りません! だから、降ろしてください!!」
両手を用いて抱き上げられた己の身に、羞恥から否定を口にしても、ワーズは困惑の度合いを強めるだけ。
「んーでも、もう朝だし、飯だし。やっぱり降りるでしょう?」
「だとしても、自分で降りられますから! 足だってだいぶ良くなって――っ!?」
言い終わらぬ内に激痛が走った。目線と同じ高さにある左足に、ワーズの銃がぎゅうっと押し付けられている。
息まで詰まる痛みからワーズの肩にしがみつき、制止を訴えようと涙ぐむ目を合わせれば、小首を傾げて笑う口。
「ほらね? 泉嬢、まだ完治してないんだから、足に負担かけちゃいけないよ?」
負担かけてるのはあなたです!、と叫びたいところだが、銃を離されても痺れる痛みに、声も出せず呻くのみ。
これを了承と受け取ったのか、ワーズが揺れる足取りで階段を降りていく。ただでさえふらふらしているのに、両腕で抱える泉の分だけ余計安定しなくなる歩行。
頼りない上に恐ろしい。
(だから一人で降りたかったのにっ!)
泉は羞恥に勝る恐怖から顔を青褪めさせ、落っこちないようワーズの両肩へ必死にしがみついた。
* * *
「御免くだされ」
少年とも少女とも付かない、そんな声が届いたのは一階に辿り着いた時だった。再び恐怖より羞恥が勝り始めるこのタイミングで、何の嫌がらせか、そのまま磨りガラスの戸を足で開けたワーズが、店側に立つ声の主と話し始める。
「やあ、緋鳥。来る頃合だと思ったよ。按配はどうだ?」
「それが中々――と、お楽しみ中でございましたか?」
「っ!? 違います!!」
恥ずかしさに顔を背けつつ、ようやく出てきた声で力一杯否定しようとも、全く説得力のない状況に、助け舟は元凶からやってきた。
「ああ、泉嬢が足に怪我しててね。無茶して階段降りようとするからさ」
「む、無茶って!」
「なるほどなるほど。しかし……従業員様、羨ましい限りにございますな?」
笑いを含む声音に、カッとなって相手の方を向くが、認めた姿に珍しいと目を見開く。
ミリタリー柄の大きな帽子、同柄のジャケット、胸だけを覆う黒のチューブトップ、丈の短い青いスカート、レザーブーツ。
スカートがなければ少年と言われても納得しそうな体形の、泉より背が低い少女は、奇人街において珍しく露出の多い格好をしていた。
犯罪が一夜にして軒並み出そろう奇人街では、この手の格好は無駄に危険を招くとされている。このため、下着と見紛うドレスを愛用するクァンですら、面倒臭そうにデニム生地のジャケットを羽織っている。尤も、彼女をして襲おうとする者は、火を繰る鬼火の能力で燃やされてしまうだろうが。
不意に浮かべた炎を操る姿に、泉はふと、目の前の少女の種族が気になった。
人間以外を粗雑に扱うワーズの対応は、珍しくまともだったが、少女にはいくつか人間にはない特徴があった。
笑みに現われる牙は血を好む死人と同じ鋭さで、爪は人狼を彷彿とさせる硬質。目深に被られた帽子の下で、更に目元を隠す黒茶の髪は、帽子の中で纏められているようにも見え、膨らみは鬼火並みの長さを想像させる。
探せば他にも、他の種族と似た部分が見つけられそうだ。
何も言わず、不躾にまじまじ見つめる泉をどう思ったのか、緋鳥と呼ばれた少女は優雅に一礼をしてみせた。
「お初にお目にかかりまする。私めは合成獣の緋鳥と申します。明時の末席として此度芥屋が店主様の下、馳せ参じた次第。以後、お見知りおきを」
「キメラ……アカトキ?……あ、ええと、私は綾音泉と申します。よ、よろしくお願いします」
初めて聞く言葉に首を傾げつつ慌てて礼を返すが、抱きかかえられたままではどう頑張っても不恰好にしか頭を下げられない。
「わ、ワーズさん、いい加減降ろしてくださいっ」
「ん? もしかして痛かった? よっと」
短い掛け声で一瞬浮いた身が再度、今度はしっかりと抱えられる。
これで大丈夫でしょ、と言わんばかりに笑う顔。
焦る泉に対し、緋鳥がクツクツ笑った。
「綾音様、お諦めくだされ。店主様は従業員様たる貴女様がいらっしゃるから、用件を済ませてお前はさっさと去ね、と暗に申されているのでございますよ」
心底楽しそうに、自身を無下にした発言をする緋鳥。
眉を顰めてワーズを見れば、
「分かってるじゃないか。で、今回は何体、芥屋に回ってくるんだ?」
褒めちぎるに似た笑顔を浮べ、ワーズが首を傾げる。
幾ら人間以外が嫌いとはいえ酷くはないか、と更に眉を寄せる泉を余所に、特に気にする素振りもない緋鳥がため息をついた。
「何体どころか、全て芥屋の取り分となり申した。どうも猫の介入があったらしく」
「そう……猫が、ね?」
にんまりと笑んだワーズは、緋鳥が「では」と一礼して帰るのを見送りって後。
「さすが泉嬢、ってところかな?」
「何の……お話ですか?」
尋ねても返事は貰えず、困惑する泉を依然抱えるワーズは、居間に向き直るなり、後ろ足で器用にガラス戸を閉じた。




