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奇人街狂想曲  作者: かなぶん
第六節:慟哭

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第1話 名前

 優美な扉を蹴破ったシウォンは、担いでいた泉を長椅子へ横たえると、「待ってろ」と皮肉げに口元を歪めて、部屋を後にした。

 泉は煙のせいか気だるい身体を持て余し、しばしまどろむ。

 美丈夫のもたらした温もりが冷めていけば、ゆっくりと身を起こした。

 まず目に入ったのは、長椅子近くの大きな丸い食卓。

 次いでゆるゆる見上げた先では、天井から美麗な灯りがぶら下がる。そのまま左右へ視線を泳がせれば、壁や扉に至るまで、灯り同様、息を呑むほど美しい細工が施されていると知った。

 ぼんやり、しばし見入れば、おずおず扉が開かれる。

 現れた白い姿に、泉は小さく呟いた。

「司楼さん……」

 現れたのは、シウォンから無下に突き飛ばされたはずの人狼。

 無事な姿に図らずも安堵の息をつけば、無体な仕打ちの名残を感じさせない、呑気な会釈が返される。

「どうもっす。料理お持ちしました」

 そうして運ばれてくる品々は、どれも美味しそうな匂いで泉の鼻腔をくすぐってくる。程なく、食卓の上が埋め尽くされた。

 その間、運ぶのは全て司楼唯一人。

 幽玄楼には必要最低限の者しか入れないと聞いてはいたが、幾ら何でも品数の多さに対して、運ぶ人数が一人というのは酷なのではないかと泉は思う。

 そんな泉を余所に、運び終えた司楼は充足感たっぷりな様子で汗を拭う仕草をすると、泉へ「どうぞ」と料理を指し示した。

「……………ええと、司楼さん? これ、私にどうしろと?」

「どう……って、綾音サン、腹減ってるんでしょう? たらふく喰ってください。遠いのは俺が取りますから」

 菜箸を鳴らし、司楼が取り皿を一つ手に取る。

 鋭い爪を持ちながら器用に待つ姿。

 目を逸らし、並ぶ料理を見ては眉を顰めた。

 腹は確かに空いているが、盛大に鳴った腹の音の割に食欲は乏しい。いや、腹の音通り食べられたとしても、出された料理の二、三品で膨れてしまうだろう。

 暗に大喰らいと言われている気がして、泉は顰めた顔で正直な気持ちを告げた。

「あの、いりません。それに私、こんなに沢山食べられません!」

 すると、司楼の耳が伏せられ、黒い瞳が困惑するように揺れる。

「全部食べる必要はないっす。でも、食べとかないと身体が持ちやせんよ? たぶん親分の調子じゃ、最低三日三晩は付き合わされますから。碌に休ませて貰えないのに腹まで減らしちゃ、後々キツいかと」

「は!? いえ、いや、あの?」

 事も無げに首を傾げた司楼に対し、泉は目を白黒させる。

 似た話は周囲からも、シウォン本人からも散々聞かされてきたが、あまり物事に動じなさそうな司楼が言うと、酷く生々しかった。

 問わずとも意味は分かるが、念のため。

「ど、どういう意味ですか、司楼さん!?」

「どう……って、綾音サン、そりゃあ――――」

「三日三晩以上、俺と床を共にするって意味だろう?」

 音もなく部屋へ戻ってきたシウォンは、白い人狼の後頭部を手だけでがっしり掴んだ。具体的な話に絶句する泉とは違い、頭を掴まれた司楼は動けぬ視界を揺らす。

「お、おお親分!? な、何か、怒ってないっすか?」

「いいや? 怒ってなんかないさ。ただ……気に食わねぇだけで」

 そのまま司楼の頭がシウォンに引き寄せられたなら、見た目、人間の機嫌を伺う人狼というちぐはぐな光景が出来上がる。

 シウォンはそんな獣の耳に口を近づけ、

「なあ、司楼? どうして俺の知らねぇ小娘の名を、お前が呼んでいる? そして何故、俺より先にお前の名を小娘が呼ぶんだ?」

「そ、それは………親分の不備っきゅあ!」

 無造作に腕が払われ、白い人狼の身体が開きっぱなしの扉の向こうへ消えた。

 と同時に音を立てて扉を閉めたシウォンは、非難を呑み込んだ泉を睨みつける。

 苛立つ足取りで近寄っては隣へ座り、逃げようとする泉の腕と首を自分の方へ引き寄せた。

 殺気立つ眼を受けつつも、辛うじて泉は声を絞り出す。

「し、司楼さんは」

「違う。違うだろう、小娘。俺はお前の名を知らねぇが、お前は俺の名を知ってるはずだ」

 不遜を纏って呻く苦渋に、泉は混乱しながら、中年女の言を思い出した。

 ――軽々しく呼ぶんじゃない。

「……フーリサマ」

「………………………………くそっ! シウォンだ、シウォン! 今まで気軽に呼んでたくせしやがって、土壇場では名すら満足に呼べねぇのか!?」

「し、シウォンさん!」

 おばさんの嘘つき、と名も知らぬ人狼の中年を詰る代わりに叫べば、唐突に拘束が解かれた。締められていた訳ではないが、反射で数度咳き込む泉。すると、向けた背中が労るように優しく撫でられた。

 顔だけ振り向かせたなら、喉が短い悲鳴を凍らせる。

 にやけるのを我慢するような、満足そうな朱混じりの美貌がそこにあった。

 ……似合わないを通り越し、気味が悪いことこの上ない。

 すっかり固まってしまった泉。

 お構いなしに、シウォンは撫でる腕を伸ばすと、泉の肩へ回して引き寄せてきた。後ろから抱き締められる格好に、身じろごうとする耳へ甘える吐息が掛かる。

「それでいい。……さあ、次はお前の番だ、小娘。俺にお前の名を呼ばせろ」

「い、いずみ……綾音、泉です……」

 ひぃ、と出かかる恐怖を押し留め、告げれば耳を弄る笑い。

「泉か……中々、イイ名じゃねぇか。ええ? 泉……」

「ぅひゃっ!?」

 耳へ押しつけられた唇が、低く名を形作る。

 背筋を這う悪寒に似た感覚に耐え切れず、回された腕を両手で押さえたなら、首筋が甘く噛まれた。

 びくんっと反射的に仰け反ったのも束の間。

「――いだっ!?」

 回転する視界に頭を打ち、回る視界から首を緩く振る。

 状況を把握しようと前を見れば、ソファに上げられた足へ、シウォンが跨り近づいて来る姿がある。

「小娘とはいえ……もう、限界だ。この煙ですら持たねぇ……閨まで待てるか。せめて、味見だけも――――」

 慌てて両手を突き出す泉。

「ま、待った、待ってください! わ、私、何も食べてません!」

「いらねぇんだろう? じゃあ、イイじゃねぇか」

 煙管を食卓へ置き、泉の左手首ごと肩を押さえつけては、突き出した右手はもう一方の手で絡め取るシウォン。

「よ、良くは全くないです! だ、第一、貴方は私を妻だのなんだの言っておきながら、何一つ知らないんですよ!?」

「問題はねぇ。俺は大概、相手の名すら知らん。名前一つ知っているだけでも快挙だ」

(快挙って、自分で言うこと!?)

 非難一色の視線を受けているにも関わらず、シウォンはうっとりとほくそ笑む。

 愉しそうな様子に、全く楽しくない泉は噛みつく叫びで対抗した。

「それに、権田原さんたちだって!」

「ゴンダワラ? 誰だ、そいつは?」

 ぴたりと不穏な気配が収まったのを受け、内心でほっとしつつ、睨みつける。

「私の……友人です! あなたの部下が連れてったっていう!」

「ああ、間違ったって奴か。アイツ等なら今頃、客の一人でも取ってるんじゃないか?」

「なっ!?」

 つまらないとでも言うように、欠伸を一つ。

 中年女の予想は寸分違わず当たっていた――それも、嫌悪する方向に。

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