第12話 周知の事実
人狼の本性は夜を好み、陽を遠ざける習性がある。
夜目が利く身体機能に依るためやら、月を好む嗜好があるやら言われているが、本当のところは、人狼であっても知る由がない。
ただ、奇人街の昼間においては、列記とした理由が存在していた。
「酔っ払ってたんですか? 陽に?」
泉の問いかけに対し、その肩へ青ざめた頭を置いたランは頷いた。
「ええ、まあ……。奇人街の陽は人狼の本性を傷つけるんです。他種に比べて人狼の治癒能力は長けていますが、陽の下では意味を成さない。いえ、それどころかただの怪我にはない酷い痛みを伴います。なので、人狼の身体はこの痛みを軽減するために、体内で麻酔成分を作るようなんです。ただ、それがアルコールに似ているらしくて、俺みたいに酒に弱い奴は泥酔状態に陥って……」
「……弱いんですか、お酒」
「うん……。呑むのは好きなんですけどね」
「…………見た目通りですね。本性で今の話聞いていたら見かけ倒しですけど」
「う……」
――「魅力がない」から始まり、肩を貸せば押し潰され、抱きつかれてはプロポーズされ、膝枕を強要されたなら憶えていない。
合間合間に抱いた色々な思いを込めて、意地悪く言えば、肩の重さが少し増して、向かい合わせに近い状態の泉の身体が、その分後ろへ傾ぐ。
完全に倒れないのは、泉と背もたれの間にランの左手が通るため。
包帯巻きのいかつい人狼の腕は、ランの膝の上で黒い爪を剣山のように突き出している。単体であれば恐ろしいが、持ち主がランである限り、危険は及ぶまい。
しかし、傍目からは恋人のように寄り添う姿、面白がる者もいるもので、
「で、ランのお兄さんはどうして、泉のお姉ちゃんに寄りかかったままなのですか?」
無邪気を装って夜色の目をぎらぎら好奇心で光らせるシイ。
質問に対するランは、力ない困惑を浮かべた。
「たぶん……安心するんだよ。なんたって猫を操れる人だからさ。一種の鎮静剤みたいな効果が――」
「猫を操る? 私、猫を操った覚えないんですけど。それに安心って?」
「あり? 泉のお姉ちゃんは猫が奇人街最強で、遊びのために殺戮繰り返しているって知らないのですか?」
「……は?」
血生臭い言葉に驚き、ランと同じくらい近い、へばりつく猫の閉じた瞳を見つめる。
「それに、シイを助けてくれたじゃないですか。猫使って」
「使って……って、それは頼んだだけで」
「あら、充分凄いことよ? 猫は自由気ままだからさ。芥屋の猫っつったって、芥屋のの言うこと聞かないし?」
シイと似たような輝きは、一人で一升瓶を空けたとは思えないほど真っ青な瞳にも宿っており、ランの包帯をちょいちょい突っつく。
「痛っ……クァン、止めろって。……まあとにかく、不本意ながら人狼が持つ根性なしの部分が俺にもあって、だからこそ泉さんはとっても安らげる、魅力のある人なんですよ」
「…………ええと?」
ふっと微笑む冴えない顔に、ワーズやシウォンが持ちえる美はないが、代わりとばかりの優しさが溢れていて、泉の頬が薄っすら染まる。
が、同時に、猫なしじゃ魅力なんてないよ、とも言われている気がして、怒ったものか怯えたものか、迷う。
なにせ相手は人狼だ。
これがランに限らなかったら――想像するだけで恐ろしい。
その恐ろしさは、別の結論を泉に提示し、口から出させた。
「……つまり、シウォンさんが私を狙っていたのは、猫を操るから? だからあの人、あんなにしつこかったんだ…………」
妙な気分だった。
ランの話を聞き、もう諦めただろうと思っていたシウォンが、また何か行動を起こすかも知れない予感に、抱くのは不安ではなく、失望。
人間だから助ける。猫を操れるから誘う。
どれも泉であって、しかし、泉でなくとも良かった理由。
高望みをしてしまったと、二日酔いとほろ酔いが入り混じったランへ頭を寄せる。
「……泉さん?」
驚く音色が己の名を奏でる。
自身より高い温度が、頬へ触れる額で分かる。
自分と、相手。
認識してくれる相手がいるなら、認識できる相手がいるなら、これ以上望むモノはない――はずだったのに。
「……未熟者」
「う……す、すみません」
「あ、いえ、ランさんのことではなくてですね」
自分への戒めを勘違いされ、慌てて弁明を図ろうとする泉だったが、
「うーん。ちょっとアンタら。お楽しみなトコ悪いけど、そろそろ開店時間だわ」
「へ? お楽しみ……?」
「えーっ!? クァンのお姉さん、いいじゃないですか、もう少し」
おかしな表現に抗議の声を上げたのはシイ。
「よかない。ウチは娘らとの駆け引きや舞台を金払った客が楽しむトコなの。金払うどころか、治療させた挙句、いちゃつかれちゃ堪ったもんじゃないわ。……それとも、ウチで働いてくれるのかしら、泉ん」
「ぃだっ!?」
にゅっと伸ばされた鬼火の手は、泉の顎へ向かうに似て、もう一方で人狼の傷ついた腕を押した。
お楽しみだのいちゃつくだの言われた泉は、痛みに仰け反ったランの呼気が首へ触れたのを受けて、みるみる赤くなる。
「そ、そうですね」
「あら、働いてくれんの?」
「や、違います。そろそろ帰らなくちゃと思っ――――!?」
愛想笑いで断り、帰る同意を得ようとランを見たなら、赤かった顔が真っ青に染まった。
もたれる重みは変わらない。
「な……何も変わったことはなかったのに…………」
だというのに、冴えない顔は、凶悪な獣の相貌を泉へ向けていた。
頭でこれはランだと理解していても、人狼の本性は恐ろしく、同時に、人狼だと恐怖を憶えていても、ランである以上支える身体を動かせず。
「どうしました、泉さん?」
じろりと射る金の眼から気遣いが届けば、喉を干からびた音が通った。
「ら、ランさん……姿が……」
「え?……あれ? いつもより早いな」
ひと睨みで殺人も可能な眼光が、鼻先へ集中するため寄り眼となった。いかつい皺を刻む凶悪さは変わらないのに、それだけで泉の緊張が少しだけ解れる。
「ついつい気持ち良くて長居しちゃったけど、店の娘らにこの姿見つかったら、すごく面倒だな」
「気持ち……良い?」
「うん。やっぱり女の子って、柔らかいし甘い香りがするし。加えて泉さんは母さんみたいな安心感があるし。ずっとこうしていたいなぁ、と……って、あ」
思いもかけない発言の数々が、気恥ずかしそうに伏せられた耳の持ち主からやってきた。
相手は人狼である。しかし中身は立派に、冴えないランだった。
少し前まで、殊勝な態度で怯えていた自分が可哀想だ。
「ランさんて……ロリコンとマザコンの複合ですか?」
「そ、そんなことないって! 俺は――――あぅ」
否定を口にしては勢い良く身を起こし、結局頭痛から倒れる身体。
完璧な情けなさを泉はため息混じりで受け止め、
「ま、マザコンだけです……!」
呻きと共に届いた言葉から、ランの肩越しにクァンを見る。真偽を問う視線に気づいた彼女は頷き、シイへ視線を向ければこれも肯定を示した。
(つまり……周知の事実ってヤツですか?)
しかも、シイは確か「二十九」とランの齢を言っていたような。
ついでに、齢を取るには条件が必要とも。それは、もしかしてもしかすると、泉の馴染んでいる加齢の仕方より、長い時を必要とするかも知れず――。
絶句しつつ抱きとめた後頭部を眺め、泉はとっとと戻って重い頭は芥屋の床なり壁なりに置いてもらおうと決意する。
一回りも年の離れた、公然とマザコンを自称する男から母のようと言われてもなお、どこかへ放置する選択肢を選ばない自分は、他から言われる通り、お人好しなのかもしれないと呆れながら。




