第11話 クァンの店
うつ伏せのままでは苦しかろうと、仰向けにした。
その際、寝惚けた動きで引きずられ、困惑しつつ、膝を貸す。
眉を顰めているのを見れば、なんとなく、眉間に指を置いて皺を解してやる。
解けたなら、まだ赤い額をひと撫で――。
「泉ぃ? アンタさ、お人好しって言われたことない?」
「ぅえっ!? 何をいきなり」
いつかの日、寝込む泉がされた行為をなぞっていたなら、下着のような白いドレスに薄いショールを羽織るクァンが、呆れながらジュースの入ったグラスをテーブルに置く。
といっても、用意されたのは泉の分だけ。
泉の様子をにまにま見ているシイは血しか呑まないし、猫は泉にへばりついたまま動こうとせず、気絶したランは言わずもがな。
ジュースの提供者であるクァンは、自分用の一升瓶をどんっと置くと、王冠を長い爪で弾き飛ばした。
夕方頃から開くというパブの、まだ薄暗い室内を調子よく飛行する王冠は、泉たちが座るボックス席のライトをきらりと反射するが、その足元へ沈んでも床にはつかない。
ついたところで、上質のカーペットが敷かれた床は転がれまい。
自然と追った眼は、消えた王冠の先に、緞帳のような薄布が幾重にも下ろされた舞台を見る。てっきり、気だるげなクァンの雰囲気から、泉が考え得る限りのいかがわしさを詰め込んだ店を想像していたのだが……。
もちろん、炎を自在に操れるクァンへそのまま告げる真似はせず、ほう、と吐息をつく。そんな泉の耳へ、くすりと笑みが届いた。
「どうよ、泉。アタシの店は。なかなか小奇麗でしょう?」
「……はい。びっくりしました。劇場みたい、ですね」
「そ。劇場なの。そういう構造なのよ、この店は。だから入れる奴は狩人か、アタシが認めた奴だけね。壊されちゃ堪んないからさ」
愛おしそうに目を細めて語る姿は、少しだけ寂しそうに内装へ、半分まで減った一升瓶を掲げた。
先ほどまでたっぷりあったはずのそれは、漂う香りから間違いなく酒。
(どういうペースで呑んでるんだろう、この人?)
率直な感想が泉の内に生じたが、それはそれ、各々好ましいペースがあるというもの。とはいえ、見ているだけで胸焼けしそうな画を嫌い、視線を内装へと投じる。
最下層に位置する舞台を中心に、扇状に広がる座席代わりのボックス席。幾層にも連なる広さは大劇場のソレであり、クァンの店の広さが、奇人街に見合うだけの敷地を備えていると伝える。
装飾は華美に依らず、舞台の周囲は金を用いながらもクラシカルな雰囲気を漂わせ、精巧な細工が施された衝立で囲われた席は、遊興に耽るだけではもったいない、厳かな造りと色彩を演出していた。
同時に、ここで泉に歌えというクァンの正気を疑う。
ぐびぐび瓶を傾けて煽る姿を見てしまえば、慢性のアルコール中毒で頭がやられてしまったんじゃなかろうかと、密かに失礼なことを考えもした。
しかし、幾らなんでもそれは酷かろうと、入店を許可しているというニュアンスの単語へ考えをすり替えた。
(…………タリシって、何? タニシ?)
すり替えたは良いが、浮かぶのは淡水に住まう黒い巻貝。
聞き間違いかもしれない。
そう思ってクァンへ尋ねようとした矢先、身じろぎを感じて膝へ視線を落とせば、ぼんやりした金色と出会った。
「あ、おはようございます、ランさん。気分、どうですか?」
「…………ん……悪くはない…………け、どっ!?」
言ったランの眼が驚きに開かれる。
音がしそうなほど固まってしまったランは、泉――正確にはへばりつく猫を凝視しながら、おもむろに左手で頭が置かれている場所に触れ、
「…………あ、あの、この状態は一体?」
どうやら記憶が抜け落ちているらしい。
混乱し過ぎて動けないのは分かるが、しきりに腿の外側を撫でる手は厄介だ。
いやらしさが欠けているため、嫌悪よりも身を捩るくすぐったさが、困惑を苦笑へ変えてしまった。
「ええと……膝枕、ですかね?」
「えっ、ひっ、やっ、ごめん!――――って、クァンっぐぅ、き、気持ち悪」
「うわ、ランさん!」
把握した状態から逃れて身を起こした先にクァンを見たランは、決して彼女が原因というわけではないだろうが、顔色を悪くし、またも泉に身体を預ける形となり――。
「……喧嘩、売ってんのかい、ラン?」
青筋を立てて拳を握るクァンは、泉の腕の中のランへ胡乱な目を向けた。




