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第43話 想いは重い

 翌朝、障子越しに差し込む朝の光で、僕は目を覚ました。

 

 不思議と頭はクリアだった。昨夜までの胃を締め付けるような緊張感は消え去り、代わりに静かで確かな覚悟が胸の奥に据わっている。

 

 身支度を整え、障子を開けて廊下に出ると、そこには直立不動の姿勢で立つシュピーゲルさんの姿があった。


「おはようございます、シュピーゲルさん。……もしかしてずっとそこにいたんですか?」

 

 思わずそう尋ねると、シュピーゲルさんは分厚い兜の奥で小さく鼻を鳴らした。


「そんな訳ないだろう。俺を一体なんだと思ってるんだ?」


「フフッ、ごめんなさい」

 

 あまりに真面目なトーンで返されたので、僕はつい吹き出してしまった。緊張感が少しだけ解れていくのが分かる。


「もしかして、もうみんな準備できてる感じですか?」


「ああ、全員玄関で待ってる」

 

 どうやら僕が一番最後だったらしい。僕は慌てて「急ぎますね」と言い、小走りで玄関に向かおうとした。


「おい」

 

 背後から、低く重みのある声が僕を呼び止めた。

 

 足を止め、後ろを振り返る。シュピーゲルさんはその場から一歩も動かず、じっと僕を見ていた。


「死ぬなよ」


「ええ、勿論です」

 

 僕がはっきりと頷いて答えると、シュピーゲルさんは少しだけ声色を和らげた。


「随分と余裕そうだな」


「そう……ですかね」


「何か勝算でも得たか?」

 

 昨夜、僕がセイヴィアと庭で話していたことに気づいていたのかもしれない。僕は苦笑しながら頭を掻いた。


「勝算……はいまいちですけど、セイヴィアとアカリの為にも頑張らないといけませんから」


「そうか」


「それに何より、コナトスがいますからね。コナトスが勝ってくれれば、僕は戦わなくてもいいですし」

 

 本音をポロリとこぼすと、シュピーゲルさんは「フッ」と短く息を吐いて笑った。


「英雄らしくないセリフだな」


「情けない話、戦わなくていいならそれに越したことはないですからね」

 

 僕は肩をすくめた。戦う覚悟はあるが、だからといって無駄に血を流したいわけじゃない。


「いや……お前はそれでいい」

 

 シュピーゲルさんは、ひどく静かな、けれど強い熱を帯びた声で言った。


「英雄なんぞ下らん。そもそも、人には過ぎた役割だ」


「……」


「人の想いほど重たいものはない。背負い過ぎれば潰される。だからお前は……自分の為だけに生きろ。」

 

 それはあまりにも不器用すぎる気遣いだった。

 

 他人のために命を懸けようとする僕に、重圧で潰れてしまわないよう、あえて『利己的であれ』と説いているのだ。


「自分の為だけに生きるって……極論過ぎやしないですかね?」

 

 僕が意地悪く返すと、シュピーゲルさんは少しだけ口籠もった。


「確かにそうだな。だが、お前はそれくらいが丁度良いだろう」

 

 そう言い捨てて、シュピーゲルさんは踵を返し、僕より先に玄関の方へ歩き出そうとする。

 

 その背中に向かって、僕はふと思い立った疑問を投げかけた。


「……そういえば話変わりますけど、シュピーゲルさんって、一向に僕の名前呼んでくれないですよね」

 

 いつも『お前』としか呼ばれた記憶がない。


「どうでも良いだろう。そんなこと」

 

 歩みを止めず、彼は無愛想に言い放った。


「どうでもいいことないですよ。なんか壁を感じますし」

 

 僕が少しだけむくれて抗議の声を上げる。

 しかし、返事はなかった。


「……」

 

 シュピーゲルさんは一度も振り返ることなく、足音を響かせながら、黙々と廊下を歩いていく。

 

 その歩調が普段よりほんの少しだけ早くなっている気がして、僕は一人、小さく笑みをこぼしてから彼の背中を追いかけた。



⬜⬜⬜⬜⬜



 玄関に到着すると、シュピーゲルさんの言葉通り、すでに全員が揃って僕を待っていた。


「遅いぞ、アラタ。主役が最後に登場なんてベタな真似しやがって」

 

 壁に寄りかかっていたコナトスが、からかうように口の端を歪める。


「ごめんごめん。ちょっとシュピーゲルさんと話し込んでてさ」


「おはようアラタ! 今日もいい天気だね!」

 

 セイヴィアが元気よく手を振ってくる。その耳の先はもう赤くはなかったが、僕と目が合うと、ほんの一瞬だけ照れくさそうに視線を逸らした。昨夜の庭でのやり取りを思い出し、僕も少しだけ頬が熱くなる。


「おはようございます、プロデューサー。体調は万全ですか?」

 

 アカリが静かに微笑みかけてくる。その柔らかな表情の奥には、確かな覚悟の火が灯っていた。


「ああ、ばっちりだよ。」

 

 僕が頷き返した、その時だった。


「アレスは既に闘技場に居るようです。……下手したら昨日の夜から向こうに居るかもしれませんね」

 

 ゴレムさんが、どこか呆れたような淡々とした声で言った。


「流石にそれは……」

 

 あの規格外の老人が、一人で夜通し闘技場で待ち構えている姿を想像し、僕は頬を引きつらせた。いくらなんでも戦闘狂にも程がある。


「と、とにかく闘技場に向かいましょうか」

 

 ゴレムさんに促され、僕たちは重厚な玄関を出て、決戦の地へと足を踏み出した。



⬜⬜⬜⬜⬜

 


 闘技場へ向かう道中、僕たちは皆どこか口数が少なかった。

 

 これから『死合い』が始まるのだ無理もない。朝の冷たい空気が、より一層その緊張感を際立たせている。

 

 そんな中、隣を歩いていたコナトスが、ふと僕の方を見て口を開いた。


「なあ、アラタ。少しだけ俺の話を聞いてくれるか?」


「急にどうしたの? 珍しいこともあるもんだね」

 

 普段なら自分のことをベラベラと話すようなタイプではないため、僕は少し驚いて彼を見た。


「そうかぁ?」

 

 コナトスは誤魔化すように首の後ろを掻く。


「もしかして緊張してる?」


「ハハッ、そうかもな」

 

 彼は短く笑ったが、その瞳はひどく真剣で、どこか遠くを見つめているようだった。

 

 しばらく、僕たちの間に規則正しい足音だけの沈黙が流れる。

 

 やがて、ぽつりぽつりと、コナトスが過去を語り始めた。


「俺はさ……もともと奴隷だったんだ。小さい頃に親に捨てられてよ。別に珍しい話でもないが、それなりにしんどい生活だった」


「………」

 

 僕は口を挟まず、ただ黙って耳を傾ける。


「命からがら奴隷商のおっさんから逃げて、この国に流れ着いた。爺さんと初めて会ったのは、俺があの屋敷に盗みに入った時だ」


「盗み?」

 

 さすがに予想外の出会いに、僕は目を丸くした。


「ああ。爺さん勘が鋭いから即効見付かってよ。威圧感が凄すぎて、最初見たときは死ぬかと思ったね」


「よく……殺されなかったね」

 

 昨日の街中での惨劇や、庭石の無惨な切断面を思い出せば、不法侵入者が無事で済むとは到底思えない。


「それがよ。爺さん何て言ったと思う? 道端に転がってる石を見るような目で『剣以外は好きにしろ』だぜ? 思わず心の中で、興味無さすぎだろってツッコミ入れちまったよ」


「ちょっと待って? そこからどうやったら養子の話に繋がるの?」

 

 話の飛躍が凄まじすぎて、僕は思わず歩みを緩めた。


「それがよ、俺にもわかんねぇんだよ。その後も何回か盗みに入ってたら、いつの間にか養子になってた」


「む、無茶苦茶だ」

 

 本当に無茶苦茶だ。アレスの考えていることは、常人の理解を遥かに超えている。

 

 だが、その無茶苦茶ななりゆきが、親に捨てられた奴隷の少年に『帰る場所』を与えたのもまた事実だったのだろう。


「だろ? まあ、こんな風に俺と爺さんには特別な出会いもクソもない。だが……恩は感じてる」

 

 コナトスは前を向いたまま、静かに、けれど熱を帯びた声で言った。


「だから……俺は爺さんの願いを叶えてやりたい」


「敵が欲しいってやつ?」


「ああ。小さい時に約束して、結局果たせず仕舞いだ」

 

 昨日、アレスが言っていた『戦いの最中で相手の一挙手一投足に驚きたい、感動したい』という、純粋すぎる戦士としての願い。

 

 それを叶えることこそが、コナトスなりのアレスへの恩返しなのだ。彼が誰よりも先にアレスと戦うことを望んだ理由が、痛いほど理解できた。

 

 やがて、通りの先に巨大な石造りの闘技場が見えてきた。

 

 早朝だというのに、中からはビリビリとした異様なプレッシャーが漏れ出ているのが分かる。


「話は終わりだ。付き合って貰って悪かったな」

 

 コナトスはいつもの不敵な笑みを浮かべ、腰の剣に手を当てた。


「ううん」

 

 僕は短く首を横に振り、彼の顔を真っ直ぐに見据えた。


「ねぇ、コナトス。」


「ん?」


「勝つ……よね?」

 

 今日の彼は『らしく無さすぎる』。今まで見たことが無いほど穏やかな彼を見て、僕の胸がざわめく。

 

 僕の問いに、コナトスはそっと微笑んだ。


「……ああ、勿論だ」


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