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第38話 勝算

「俺みたいになるなよ」——その言葉が、耳の奥で何度もリフレインしていた。

 

 一瞬だけ見えた後ろ姿。人見知りという不器用な誤魔化し。シュピーゲルさんが鉄兜の奥に隠し、背負っているものは、僕の想像よりもずっと重いものなのかもしれない。

 

 僕は小さく息を吐き、空になった皿を手にして皆の待つテーブルへと戻った。


「あれ? シュピーゲルは?」

 

 一人で戻ってきた僕を見て、シチューを頬張っていたセイヴィアが不思議そうに首を傾げた。


「……明日の朝には戻るって、出かけていったよ。セイヴィアにもそう伝えてくれって」


「むー……あいつまた。」

 

 セイヴィアは不満げに唇を尖らせたが、それ以上は追及せずにシチューの続きを食べ始めた。


「まあ、彼には彼のペースや事情というものがあるのでしょう」

 

 ゴレムさんは温かいお茶をすすりながら、穏やかに微笑む。


「……そうですね。」

 

 僕はシュピーゲルさんの背中を思い出しながら呟く。



⬜⬜⬜⬜⬜

 

 

 食後の片付けを終え、僕たちが温かいお茶で一息ついていると、再びギルドの扉が開く音が響いた。


「ただいま戻りました。 」

 

 声と共に姿を現したのはアカリだった。そしてその後ろからはコナトスが続いて入ってきた。


「お?アラタ、起きてるじゃねえか。よく寝れたか?」


「うん、誰かさんの右ストレートのお陰でね」

 

 僕が少しばかりの皮肉を込めて返すと、コナトスは悪びれる様子もなく豪快に笑った。


「ハハッ、そりゃ良かった!」

 

 その顔には以前のような陰りはなく、憑き物が落ちたように晴れやかだった。


「全員揃ったことですし、早速アレスとの戦いに向けて話し合いをしましょうか。セイヴィアさん、そこの余ってる椅子を二人に」


「はいはーい」

 

 ゴレムさんの言葉に、セイヴィアが元気よく返事をして部屋の隅から椅子を二つ運んでくる。

 

 アカリとコナトスが促されるまま椅子に腰を下ろし、僕たちはテーブルを囲む形になった。


「話し合いと言っても何を話すのですか? 単純な一騎討ちですし、『あれ』相手に付け焼き刃の作戦が通用するとは思えないんですが」

 

 アカリが冷静な、しかしどこか諦観を帯びた声で口火を切った。


「……シュピーゲルさんも前言ってたんですけど、そんなにヤバイんですか?」

 

 僕は思わず身を乗り出して聞いた。強敵であることは重々承知しているが、彼らの口ぶりは『強い』という言葉の次元を超えているように感じるのだ。


「ヤバいというより、ワケが分からないという側面が大きいでしょうか」

 

 アカリが静かに首を横に振る。


「ワケが分からない?」

 

 僕が首をかしげると、ゴレムさんがお茶の入ったカップをコトリと置いて口を開いた。


「前に『魔力』についての話をしたのを覚えてますか?」


「はい、代行者の持つ力……でしたよね」


「そうです。アレスはその『魔力』を持ってないんですよ」

 

 ゴレムさんの言葉に、僕はさらに首をかしげることになった。


「ん? でもアレスは代行者なんですよね?」

 

 代行者は、魔力を行使して戦うものではなかったのか?


「アレスは魔力ではなく、己が剣技で世界を歪めます。」


「え? ……それどういう原理ですか?」


 剣を振るう技術だけで世界が歪む? まるで意味が分からない。物理法則を無視した馬鹿げた話だ。僕が食い下がると、ゴレムさんはひどく困ったように苦笑した。


「それが分からないんですよ。多分本人すら分かってないんじゃないですかね」


「……」

 

 つまり、理屈抜きの絶対的な暴力。剣の頂に至った結果、世界そのものがバグを起こしているとでも言うのだろうか。

 

 僕は背筋に冷たいものが走るのを感じながら、その異常な実力をよく知っているであろうアカリとゴレムさんを交互に見つめた。


「その……本人の実力を知ってる二人から見て、僕は勝てそうですか?」


「「無理ですね」」

 

 二人とも、一秒の迷いもなく即答だった。


「えぇ……」


「正直、アレスとの一騎討ちは回避して、国から逃げ回る方が賢明だと思いますよ。」

 

 アカリが真顔でとんでもない提案をしてくる。いや、彼女なりに本気で僕の生存確率を計算した結果なのだろう。


「あ……で、でもセイヴィアとの接続っていう奥の手もあるんです!」

 

 僕が慌てて反論すると、隣でセイヴィアもぶんぶんと首を縦に振った。


「そうだ! そうだ!」


「その接続とやらが何なのかは知りませんけど。そうですね……プロデューサーは首を切られたら死にますか?」

 

 アカリが淡々とした口調で、身も蓋もない問いを投げかけてくる。


「そりゃ……首と胴体が離れたら死ぬでしょ」


「「無理ですね」」

 

 ゴレムさんとアカリが再び口を揃えて、無慈悲な宣告を下した。


「剣で殺せる生物なら、アレスに殺せない生物はいませんよ」


「えぇ……」

 

 アカリの言葉に、僕は完全に言葉を失い困惑するしかなかった。


「関係ねぇよ」

 

 沈黙が降りたテーブルに、今まで黙って傍観していたコナトスが口を開く。


「心配しなくても、爺さんは俺が倒す」

 

 迷いのない、力強い声だった。


「……勝てる根拠はあるのですか?」

 

 アカリが静かに問い掛ける。


「ない。それでも倒す。迷うのはもうやめだ」

 

 コナトスは真っ直ぐにアカリを見据えて言い切った。


「勝算もクソも関係無い。俺は……爺さんとの約束を果たす。」

 

 その瞳には、確固たる決意が宿っている。それは己の弱さを認め、それでもなお立ち向かう覚悟を決めた者の顔だった。


「……そうですか。これ以上は野暮ですね」

 

 アカリは小さく息を吐くと、ふっと優しく微笑んだ。


「アレスについての話はこれで終わりましょう。無駄ですし、聞きたいことがある人は別途聞きに来て下さい」

 

 どうやら、これ以上の作戦会議は不要と判断したらしい。


「あと話し合うことは……どうやってエペ共和国まで行くかでしょうか? だいたい馬車で一日程ですけど、それで良いですか?」

 

 ゴレムさんが話題を変えるように提案する。


「あ! それなら馬車よりも良い方法があるよ!!」

 

 その時、セイヴィアが何かを思いついたようにパッと顔を輝かせて声を上げた。



⬜⬜⬜⬜⬜

 


 次の日の朝。

 

 冷たい朝霧がまだ残る中、僕たちは約束通りギルドの前に全員集合していた。そこには、昨夜どこかへ出かけていたシュピーゲルさんの姿もちゃんとあった。


「シュピーゲル、早速だけど送迎よろしく!!」

 

 セイヴィアが満面の笑みで彼に頼み込む。


「送迎って……まさか『あれ』をやるのか?」


「うん!」


「どうなっても知らんからな。」

 

 シュピーゲルさんは兜の奥で深い深いため息をつき、ひどく呆れたような声を出した。


 ……どうしよう。凄く嫌な予感がする。


「あの……一体何を?」

 

 僕が嫌な予感を覚えながら尋ねた瞬間だった。


『風よ……運べ』

 

 シュピーゲルさんが低く、しかしよく通る声でそう唱えた。

 

 ——フワッ。

 

 突然、僕たちの体が重力を失ったようにふわりと宙に浮き上がった。


「ちょ……え!?」

 

 急な出来事に、僕は思わずパニックになり困惑の声を上げる。


「喋るな、舌噛むぞ」

 

 シュピーゲルさんの短く無慈悲な警告が響いた。

 

 次の瞬間。

 

 ——ドギュウゥゥゥンッ!!!!

 

 僕の体は、まるでジェット機のような凄まじい速度で空の彼方へと飛翔した。凄まじい風圧と重力加速度が全身に襲いかかる。


 遠ざかる地面。流れる雲。悲鳴すら風に掻き消される。

 

 この日、僕のトラウマが一つ増えた。


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