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第12話 別れ道

 月光が銀色に降り注ぐ森の境界線。祝祭の喧騒は遠い地鳴りのように背後に消え、夜の静寂が僕たちを包み込んでいた。


 束の間の安らぎ、


「ここまで来れば大丈夫だろう。」

 

 鉄兜の奥から響くシュピーゲルさんの声には、平時と変わらぬ冷静さと、微かな安堵が混じっていた。

 

 王宮脱出劇は、想像よりも鮮やかな結末を迎えた。追っ手の数が不可解なほど少なかったこともあるが、何よりセイヴィアと「接続」している間の僕の肉体は、自分のものではないような万能感に満ちていた。風を斬る速度、重力を無視した跳躍。その全てが、彼女と僕の魂が溶け合った証だった。

 

 けれど、その超人的な機動力に平然と着いてきたシュピーゲルという男の底知れなさに、僕は改めて戦慄する。


 この世界の人間は、無属性の魔術による身体強化が常識だとはいえ、彼はその枠組みさえ踏み越えている気がしてならない。


「聖女様、接続を解いていいぞ。」

 

 その言葉を合図に、僕の手の中にあった黄金の輝きが粒子となって弾け、一人の少女の姿を結んだ。

 

「さて、今後の予定だが。追跡を撹乱するため、一度バラバラに逃げる。一週間後、エペ共和国の『剣の像』の前で合流だ。」

 

 指示を出すシュピーゲルさん。だが、僕の意識はその言葉の半分も入ってこなかった。……セイヴィアが、さっきから一向に僕の手を離してくれないのだ。


「あの……セイヴィアさん? そろそろ手を離さないと、移動に支障が……」


「……だって、これから一週間も会えないんでしょ? だから、もう少しだけ。あと少しだけ、こうしてて」

 

 俯き、僕の指を壊れ物を扱うようにぎゅっと握りしめる彼女。

 

 戦場で見せる「鏡の聖女」としての凛々しさはどこへやら、そこにいたのは、たった十年の生を孤独に耐えてきた、年相応の……いや、それ以上に幼い少女の姿だった。

 

 彼女は、ただ寂しかったのだ。遥か未来の世界で目覚め、兵器として扱われ、誰とも体温を分かち合えなかった歳月。その重みを今、僕の右手の熱だけで埋めようとしている。

 

 守らなきゃいけない。予言なんてゴミ箱に捨てて、この小さな手が二度と凍えないように。僕は決意を込め、その手を強く握り返した。


「……仲良くするのは構わないが、俺の話はちゃんと聞いているんだろうな? 」

 

 シュピーゲルさんの冷ややかな、けれどどこか呆れたような視線が刺さり、僕は慌てて背筋を伸ばした。



◻️◻️◻️◻️◻️

 

 

 それぞれの逃走経路を確認し、僕は一人、ヴァルト王国を目指す前に「彼女」の家へと向かった。

 

 深い森の奥、木々の隙間から漏れる月明かりが、アルデーレさんの隠れ家を幻想的に照らし出している。


(守護者がダンジョンの外に家を構えてるって、やっぱり不思議な光景だよな……)

 

 そんなことを考えながら、古びた木の扉に手をかけようとした瞬間――。


「あら。その様子だと、「王子様」の役目は完遂したようね」

 

 耳元で囁かれた艶っぽい声に、心臓が跳ね上がる。振り返ると、そこには夜の闇に同化するように立つアルデーレさんがいた。


「驚かさないでくださいよ、アルデーレさん……。ええ、おかげさまで上手くいきました。今から僕は、ヴァルト王国へ向かいます。」


「そう……」


「だから、アルデーレさんも一緒に来ませんか? 恋人探しの約束もまだ途中だし、何より、アルデーレさんがいてくれたらセイヴィアもきっと心強いと思うんです。」

 

 僕が精一杯の提案を口にすると、彼女は深い湖のような青い瞳を僕に向け、静かに問いかけた。


「……貴方たちは、逃げた先で何をするつもり?」


「僕は……ダンジョン攻略を続けます。最下層の十層を目指して。予言の真実を確かめたいし、何より彼女が自由になれる方法を見つけたいから。……まあ、お尋ね者だから、もしかしたらシュピーゲルさんみたいに鉄兜でも被って潜ることになるかも」

 

 おどけて笑ってみせた僕に対し、彼女は表情を消し、俯いた。


「そう。……それなら、私は行けないわ。守護者は、自分の担当階層より先へは行けない……着いていっても、貴方の足枷になるだけ」

 

 その声は、夜風にさらわれて消えてしまいそうなほど、悲痛な響きを帯びていた。


「そんなこと! 邪魔だなんて思うはずが――」


「それに私は……」


 彼女は何か言おうとして、途中で止まる。


「とにかく……私は行けない。だからその前に、一度だけ私の『想い』を聞いて」

 

 彼女が顔を上げた。金糸のような髪が肩で踊り、神秘的なオーラが彼女を包み込む。


「貴方が、好きなの。……だから、私を選んで」

 

 時が止まった。

 

 心臓の鼓動が耳元でうるさく打ち鳴らされる。


「何かをしてほしいわけじゃない。ただ、隣にいてほしい。私はただ何でもない『日常』が欲しいの。失った思い出なんてどうでもよくなるくらい、貴方との新しい記憶を積み上げたい……」


「……応えてくれる? 私の願いに」

 

 潤んだ瞳。今にも零れ落ちそうな涙を堪え、僕を見つめる彼女。


 その提案は、毒のように甘かった。


 ここに留まれば、もう誰の死に怯えることも、予言に抗う必要もない。僕が求めていた、何者でもない『僕』に戻れる。


 ……けれど。僕の右手にはまだ、あの黄金の熱が、彼女を救うと誓った痛みが、消えずに残っていた。


「……ごめん、アルデーレさん。その気持ちには、応えられない」

 

 沈黙が森を支配する。一筋の涙が彼女の頬を伝い、地面に落ちた。

 

 しばらくして、彼女は顔を上げると、憑き物が落ちたような……けれどどこか決然とした表情でこちらを見つめる。


「そう……やっぱり、あの子なのね。……いいわ、それじゃあ約束通り、貴方には『試練』を受けてもらう。そして、私の望みを叶えて頂戴。」



 心のどこかでこの結末を予感していたのかもしれない。でも目を逸らしてきた、そんな自分の甘さを呪いながら僕は彼女に問いかける。


「……戦うことが、あなたの望みなんですか。」


「いいえ。――戦わないことよ。私はもう戦うのが嫌になったの、大切な記憶を失い続けるこの運命と」

 

 彼女が掌を広げると、周囲に揺らめく炎が爆発的に膨れ上がった。

 

 夜の冷気は一瞬で熱風へと変わり、彼女の纏う「劫火の代行者」としての圧倒的なプレッシャーが森を圧していく。


「だから、貴方が終わらせて」

 

 絶望的なまでに美しい炎の舞の中で、彼女は静かに、けれど苛烈に、僕に向かって踏み出す。


 戦いの火蓋は切って落とされた。


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