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第10話 王子様

「なんとか侵入できましたね。」

 僕は、共に闇に溶けているシュピーゲルさんに小声で話しかけた。

 

 彼から借りた灰色のマント――その性能は、僕の想像を絶していた。発動中、周囲の景色は水面に映る陽炎のように歪み、音も匂いも、存在そのものが世界の層から切り離される。

 

 すぐ側を通り過ぎる衛兵たちは、僕たちのすぐ横を風が吹き抜けたことさえ気づかない。まさに神の悪戯のような魔道具だが、外部への干渉が一切できないという制約は、分厚い扉を抜ける際などに細心の注意を強いた。

 

「ああ……運良く、兵士の巡回が薄い区画まで一気に来られた。このままなら聖女様の居室まで楽に辿り着けるかもな」

 

 鉄兜の奥で、彼が微かに安堵の息を吐いた――その瞬間だった。冷酷なまでの「格の違い」が、廊下の空気を一変させた。


「……何か不審な気配を感じて来てみれば、シュピーゲル殿と英雄様じゃないか。お前さんたちは、王宮への立ち入りは許可されておらぬはずじゃがのぉ?」

 

 角を曲がった先に立っていたのは、一人の男だった。

 

 アルデーレさんのような狐の耳も、ウィータのような異形の体もない。一見すれば、どこにでもいるような風貌。

 

 だというのに、僕の本能が最大級の警鐘を鳴らし、全身の産毛が逆立つ。彼が発する圧は、一人の人間のものではない。軍隊そのもの、あるいは研ぎ澄まされた一振りの「神剣」が人の形をして歩いているような、絶望的な威圧感。


「バレるようなヘマはしていないはずだが?」

 

 シュピーゲルさんが、低く構えながら問う。


「聖女様の護衛を任されておるからのぉ、王宮内すべてに意識を張り巡らせておったんじゃよ。そしたら急に、今まで存在しなかった気配が『無』から急に現れたからの。慌ててすっ飛んで来た訳じゃよ」


「なるほど、貴様対策の魔道具だったのだがな。次からの参考にさせてもらおう。」

 

 自嘲気味に言いながら、シュピーゲルさんは腰から二振りの剣を抜き放った。


「お前さん、前から思っておったが、相当な腕じゃろ? ずっと戦ってみたかったんじゃよ」

 

 剣聖アレス・シュバートは、吸い込まれるような美しい動作で、腰の日本刀を鞘から引き抜いた。ただそれだけで、廊下の壁や床に、目に見えぬ剣気の細かな傷が刻まれていく。


「行け! !!!」

 

 シュピーゲルさんの怒号を合図に、二人の超越者が激突した。火花が散るよりも速く、鋼のぶつかり合う轟音が王宮を震わせる。



◻️◻️◻️◻️◻️


 

 背後で繰り広げられる神速の剣戟を振り切り、僕はセイヴィアの居室を目指して疾走する。だが、異変を察知した近衛兵たちが次々と壁のように立ちはだかった。


「カガミ様! これ以上進むなら、我らも容赦はしません! どうかお引きを!」


「……悪いけど、それはできない!」

 

 叫びながら、僕は一気に距離を詰める。


「仕方ない……魔術部隊、放て!!」

 

 十数人の魔術師が同時に詠唱を完成させる。


『火よ…燃やせ!』『水よ…吹き飛ばせ!』

『風よ…切り裂け』『土よ…叩き潰せ』

 

 四属性の濁流が、狭い廊下を埋め尽くしながら迫る。以前の僕ならここで終わっていただろう。だが、あの特訓の日々は僕に「理不尽な法則」を自覚させた。


『魔術よ……凍れ』


 迫る力の濁流を、僕の剣が撫でる。


 瞬間、放たれた魔術そのものが白く凍りつき、ガラガラと硝子の破片のように砕け散った。放たれた魔術の「機能」そのものを凍結させ、停止させる。それが、僕にあった力。


 シュピーゲルさんが言うには、僕の力はセイヴィアや守護者たちの持つ力に限りなく近いものらしい。既存の氷とは違うもの


 僕の使う氷は簡単に言えば『停止』させる力が極端に強いようだ。それも魔術やそれに類する物に対しては、さらにその効力を増す。


「なっ……魔術が!?」

 

 戦慄する兵士たちの足元を、僕は逃さず氷結させる。


「悪いけど、少しの間だけ動かないでくれ!」

 

 動きを止めた兵士たちを飛び越え、さらに奥へ。セイヴィアの剣術の残影が、僕の足運びを最適化している。だが、真打ちの障害はまだ先にいた。


「流石は英雄様だ。雑兵では足止めにもならんな」


 重厚な足音と共に現れたのは、身の丈ほどもある巨大な戦鎚を担いだ重装騎士だった。全身を覆うフルプレートには無数の戦傷が刻まれ、鉄兜の奥に光る瞳は、純粋な武人の闘志で燃えている。


「楽しいねぇ、祭りはこうでなくちゃな」


 言葉が終わるより速く、大理石の床を粉砕して巨漢が跳んだ。

 

 空気を押し潰すような「爆鳴」を伴い、鉄塊が振り下ろされる。咄嗟に横へ転がった直後、僕がいた場所には直径数メートルのクレーターが穿たれていた。


「……っ、まともに受けたら、ひき肉だな。」


 本能が叫ぶ。受け流すことさえ許されない、絶対的な質量。


「よく避けた! ならばぁ!」

 

 男はハンマーの重さを遠心力に変え、独楽のように回転した。死神の羽ばたきのような風圧が頭上を掠め、背後の石柱が飴細工のように粉砕される。

 

 僕は降り注ぐ瓦礫を紙一重でかわし、ハンマーを振り抜いた瞬間の隙を突いて懐へと潜り込んだ。

 

 勝った。そう確信した瞬間、男の口角が吊り上がった。

 

 彼はハンマーの柄を短く持ち直し、石突の部分を僕の腹部へ最短距離で突き出した。


 本能が死を告げた瞬間、僕はとっさに『停止』の力を自分自身へと向けた。


 自らの肉体を一時的に『停止』させて硬化させる。

 

 それでも、巨漢の生み出す圧倒的な質量を完全に殺し切ることはできず


「がはぁっ……!!」

 

 鉄杭で貫かれたような衝撃。肺から酸素が無理やり搾り出され、視界が火花を散らす。


 数メートル吹き飛ばされ、床を転がった僕の眼前で、再び不吉な鈍色の鉄槌が振り上げられた。


「祭りはお開きだな……英雄様!!!」

 

 無慈悲に振り下ろされるハンマー。――だが、その動きは空中でピタリと凍りついた。


「な……に……体が、動か……ん」


「……良かった、間に合って」

 

 吐血しながらも、僕は不敵に笑う。

 

 先ほどの接触。僕は衝撃を受けると同時に、彼の鎧を伝わせて『魔術を凍らせる魔術』を流し込んでいた。


 彼が肉体強化のために全身に張り巡らせていた無属性魔術の循環は、今や僕の氷によって完全に沈黙している。


「誰かさんのスパルタな特訓のおかげで、攻撃を耐えるのだけはちょっと得意なんだ。」

 

 膝をつく重装騎士を横目に、僕は再び前を向く。

 ダメージは深い。視界がかすみ、腹部が焼けるように熱い。だが、止まるわけにはいかない。

 

「悪いけど……無理矢理にでも、通らせて貰う!!」

 

 迫りくる増援の足音を聞きながら、僕は黄金に輝く意思を剣に込め、最後の一線へと踏み出した。



◻️◻️◻️◻️◻️



~王宮の最上階、聖女の居室~

 

 厚い硝子窓が、外の世界の狂騒を冷酷なまでに遮断していた。地を揺らす祭りの太鼓、人々の歓喜の歌。それらはすべて、水底から眺める夢のように遠く、おぼつかない。


 部屋の中は、耳が痛くなるほどの静寂に満ちていた。

 窓辺に座り、ただ暮れてゆく街を見つめていた。白く曇った硝子に映る自分の顔は、どこか自分ではない誰かのように疎かだ。


(……行かないの?)


 自分の中の誰かが問いかける。

 人の輪の中にいたいと願う心と、自分は「兵器」であるという冷徹な自覚。その狭間で揺れ続けた十年間が、ようやく終わろうとしている。

 

 この喧騒が止み、祭りの終わりを告げる鐘が鳴れば。ボクは役目を終え、この命を「捧げ物」として差し出す。

 

 そうすれば、もう疎外感に胸を締め付けられることも、鏡の中の自分を怖がることもなくなる。ようやく、この孤独から解放されるのだ。

 

 怖くはない。後悔もない。……ただ一つ思い残したことがあるとすれば。

 

「……アラタの作った物語、読みたかったなぁ」

 

 消え入るような独り言が、冷たい部屋に落ちた。

 その時。

 

 音もなく、部屋の重厚な扉がゆっくりと開かれた。

 

 儀式の従事者ではない。その歩法は乱れ、肩で息をする音が静かな部屋に響き渡る。


「……ああ。だから、読ませに来たよ。お姫様」

 

 振り返ったボクの瞳に映ったのは、返り血と埃に汚れ、ボロボロになりながらも、眩いばかりの黄金の光を纏った一人の男。

 

 ボロボロに輝く王子様が、そこにいた。


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