勘違い貴族の嗜み、再び
宰相家の広間。
張りつめた空気が漂う中、バリンスがまず口を開いた。
「兄上。明日は、学園へお越しください」
リーパルは背筋を伸ばし、父の前に進み出る。
昨日は父上に制止され、動かなかった――だが、今日はもう我慢できなかった。
「父上よ。学園の卒業生として、
イヴァンスという庶民の一連の行動は、看過できるものではありません」
バリンスは顔を歪め、今日の学園の出来事を声にする。
「学園の訓練場が、戦場のように焼け焦げていたんだ。
あの荒廃――すべて、イヴァンスとあの生き物の仕業なんだ。
勝手なことばかりして、学園はめちゃくちゃだよ。」
リーパルは抑えていた苛立ちを押し出すように、静かだが鋭い声音で続けた。
「父よ。学園を戦場のように荒らす者を野放しにはできない――
しかも、それが庶民であるイヴァンスという者の仕業とあれば、なおさらです。
――我々貴族の存在意義そのものが、問われている。
昨日は、父上の面目を立て、学園を訪れる行動を控えました。
しかしもう、我慢の限界です。私が、庶民に“立場”というものを教えねばなりません」
「しかも王女殿下の周囲を出入りし、
あたかも当然の顔で言葉を交わす――
その卑しい身分で分不相応な振る舞いを、分からせなければならないのです」
リーパルと父の前で苛立ちを抑えつつも、
バリンスは顔を赤らめ、声を震わせながら言った。
「そうだ。あいつのせいで、俺のセーニャに話しかけることすらできないんだ。
イヴァンスさえいなければ……くそ……俺のセーニャに手を出しやがって」
その言葉が放たれた、まさにその瞬間――
◆◆◆
ベラミカ姉妹が借りているお部屋のキッチン。
外はすっかり夜の闇に包まれ、ランプの柔らかな明かりが鍋や皿に反射し、
部屋全体を温かく照らしている。
「……くしゅん」
「セーニャ、風邪?」
ベラミカが振り返る。
「いいえ……」
セーニャは胸元に手を軽く当て、首を振った。
その直後、ぞくりと小さく身を震わせ、
無意識のうちに両腕で自分の肩を抱く。
「ただ、今、ぞっとするような悪寒が走りました」
その視線は、床を見つめたまま。
けれど声には、はっきりとした嫌悪が滲んでいた。
「誰かが……
とても不快で、あり得ないことを口にした気がします」
「ふふ」
ベラミカは肩をすくめ、含み笑いを浮かべる。
「もしかして、あのバリンスが
“俺のセーニャに手を出すな”なんて言ってたりして?」
「……やめてください、お姉さま」
セーニャは即座に、そして明確に否定する。
肩をすくめるように、眉を寄せて顔をしかめた。
「冗談でも、聞きたくありません。
本当に……あり得ないですよ。もう、ぷん」
◆◆◆
「――というわけで、です」
リーパルは軽く咳払いをひとつしてから、改めて父の方へ向き直った。
「庶民であるイヴァンスが、学園内で過度に目立ち、
貴族子弟や王族、近しい関係を築いている現状は――
極めて危険です」
その声音は冷静だが、論理はどこか空回っている。
「これは単なる個人の振る舞いの問題ではありません。
学園の秩序、ひいては帝国の階級意識そのものを
揺るがしかねない事態です」
バリンスは、ここぞとばかりに口を挟んだ。
「そうだよ、父上!」
勢いよく身を乗り出す。
「俺たち貴族が何のために学園で学んでると思ってるんだ?
庶民に混じって、肩を並べるためじゃないだろ!」
リーパルは一瞬だけ弟を見やり、低く、しかし確信に満ちた声音で言った。
「その通りだ。
明日、私は学園へ向かいます」
さらりと言い切るその背筋には、微塵の迷いもない。
「学園の卒業生として、
秩序を乱そうとする庶民の行動を正し、
必要とあらば、未然に混乱を防ぐ措置を取らねばなりません」
父は腕を組んだまま、無言だ。
その沈黙を、リーパルは肯定のサインと受け取ったらしい。
「また、そのような“危険な場”に、
マルティア王女が立ち会うことがあってはならない。
ああ、マルティア王女・・・私が守って差し上げます」
一拍置き、さも当然のように付け加える。
「殿下は、庶民の暴走に巻き込まれるべきお方ではありません。
私が責任をもって、事前に適切な配慮を――」
「そうだそうだ!」
バリンスが勢いよく頷く。
「兄上の言う通りだ!
セーニャも、マルティア王女も、
あんな庶民の近くにいる必要はない!」
リーパルは一瞬、言葉を選ぶように間を置き、やや慎重に続けた。
「……その点については、
特にマルティア王女は、立場上、利用されやすい存在ですから」
父は相変わらず沈黙したまま、
ただ、組んだ腕の指先だけが、わずかに動いた。
だが、リーパルは気づかず、話をまとめに入る。
「ゆえに――
明日は私が学園に赴き、
すべてを“正しい形”に戻します」
その声音は、使命感に満ち溢れていた。
だがその「正しさ」が、
誰のためのものなのか。
どこまでが秩序で、
どこからが私情なのか。
――少なくとも、
本人たちは、まだ気づいていなかった。




