懺悔室のイヴァンス
翌朝。
ワーランの食堂には、いつもと変わらない朝の光景が広がっていた。
仲間たちの声。
食器の触れ合う音。
いつもの穏やかな時間。
……のはずだった。
「おはよう、クラリス」
イヴァンスが声をかける。
だが。
「……フン!」
返ってきたのは、冷たい鼻息だけだった。
「……。」
イヴァンスは苦笑する。
昨日から分かってはいた。
クラリスが怒っていること。
それも、かなり本気で。
「まだ怒ってるのか……」
小さく呟く。
すると、隣にいたレックが心配そうにイヴァンスを見上げた。
「ぴぃ……」
「ん?」
レックの小さな鳴き声。
その表情には、不安が浮かんでいた。
イヴァンスはレックの頭を優しく撫でる。
「ごめんな、レック」
「ぴ?」
「俺が……こんなんだから」
少しだけ笑おうとする。
でも、うまく笑えなかった。
「お前の居場所まで……なくしてしまうかもしれないな」
レックが首を傾げる。
「ぴぃ……」
「クラリスの言う通りなのかもしれない」
イヴァンスは視線を落とす。
「俺は、自分のことばかりだった」
「一番近くにいた人の気持ちにも気付かなくて……」
昨日のクラリスの言葉が頭に蘇る。
――セーニャは、あなたのことが好きだったのよ。
胸が締め付けられる。
「……だから」
イヴァンスは決意するように顔を上げた。
「教会に行って、懺悔してくるよ」
「ぴぃ……」
レックが不安そうに鳴く。
「大丈夫だ」
イヴァンスはレックに笑いかける。
「クラリスのところで待っててくれ」
「ぴぃ……」
それでもレックは心配そうに、イヴァンスの姿を見つめていた。
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帝都聖教会。
その大聖堂は、朝から多くの人々が訪れていた。
祈りを捧げる者。
悩みを抱え、神へ言葉を届けに来る者。
その中に、イヴァンスの姿もあった。
大聖堂の奥。
そこには懺悔室が設けられている。
聖教会では、懺悔をする者が本心から語れるよう、ある決まりがあった。
中に入っている者が誰なのか、互いに分からないようにする。
そのため、懺悔室へ人が入ると、中にいる聖職者が壁越しにノックを返す。
それが、この教会の習わしだった。
本来ならば、今日の担当は神父だった。
しかし、体調を崩してしまい、急遽代わりを務めることになっていた。
その人物は。
セーニャだった。
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イヴァンスは懺悔室へ入る。
扉を閉める。
小さな部屋。
向かい側には、声だけが届く仕切りがある。
誰がいるのかは分からない。
それが、この場所の意味だった。
イヴァンスは椅子に座る。
しばらく沈黙が続く。
そして。
コン、コン。
壁の向こうから、優しい音が響いた。
準備ができたという合図。
イヴァンスは小さく息を吐いた。
「……神父さん」
声が少し震える。
「俺……」
言葉が詰まる。
こんなことを誰かに話すのは初めてだった。
「ある女の子に……ひどいことをしてたんだ」
静かな部屋に声が響く。
「その子、セーニャって子なんだ」
向こう側にいるセーニャは息を止めた。
まさか。
その名前を聞くとは思わなかった。
しかし、声を出すことはできない。
今は神父の代わり。
ただ、彼の言葉を受け止める役目だった。
「実はその子……」
イヴァンスはゆっくり続ける。
「俺のこと、好きだって思ってくれてたんだ」
「昨日……クラリスから言われて」
「初めて知ったんだ」
セーニャの瞳が揺れる。
「ずっと……そばで俺のこと支えてくれてた」
「苦しい時だって」
「辛い時だって」
「いつも笑顔を見せてくれて」
イヴァンスは拳を握る。
「俺にとって……すごく大きな支えになってた」
「なのに……」
声が震える。
「俺は、自分の気持ちに向き合わなかった」
「当たり前みたいに思ってた」
「セーニャが隣にいることを」
セーニャは静かに目を閉じる。
涙がこぼれそうになる。
「こんなことになって……」
「初めて、自分自身の気持ちに向き合ったんだ」
しばらく沈黙が続いた。
イヴァンスは俯いたまま、何かを探すように言葉を探す。
「俺……」
声が震える。
「……何で気付かなかったんだろうな」
「ずっと近くにいてくれたのに」
「いつも俺のことを考えてくれていたのに」
拳を握る。
「……俺」
イヴァンスの声が震えた。
「セーニャのことが……好きだったんだ」
セーニャの手が震える。
「ずっと……ずっと」
「たぶん……最初に会った時から」
「なのに俺は……」
「この気持ちと向き合わなかったんだ」
その瞬間。
セーニャの頬を、一粒の涙が伝った。
イヴァンスは続ける。
「ここまで来たら……」
「俺は、彼女の幸せを願うしかないんだ」
「それは分かってる」
「分かってるんだよな……」
自分に言い聞かせるような声。
「ハハ……」
小さく笑う。
「聞いてくれてありがとう」
「少し……心が軽くなった」
そして。
「あ……」
思い出したように付け加える。
「セーニャには……言わないでくださいね」
その言葉に。
セーニャの胸が締め付けられた。
「……」
返事はできない。
返してはいけない。
だから。
セーニャはただ、両手を合わせた。
「……はい」
小さく呟く。
声にならないほど小さな声。
イヴァンスには届かない。
イヴァンスは立ち上がる。
「ありがとうございました、神父さん」
扉が閉まる。
足音が遠ざかっていく。
残された懺悔室。
セーニャは一人、椅子に座ったまま動けなかった。
そして。
両手を合わせる。
いつものように。
祈るように。
涙を流しながら。
ただ静かに祈り続けた。




