赤い影の過去
数日後。
二コラ商会の商隊が行き交う、ファーリン街道。
整備された街道には荷馬車が連なり、護衛の騎士たちが周囲を固めている。
その中の一台――護衛用の馬車に、イヴァンス隊は集まっていた。
御者席にはレキサルが座り、穏やかな所作で手綱を操っている。
馬車の中は、やや狭い。
だがその分、距離が近い。沈黙も、逃げ場もない。
揺れる車輪の音だけが、規則的に響いていた。
その静けさを破ったのは、イヴァンスだった。
「ジャックさんって」
視線が、斜め前に座る男へ向く。
「すごく強そうですけど……今までは何をしてたんですか?」
一瞬。空気が、わずかに止まる。
セーニャの目が上がり、プラーサの指がぴくりと動いた。
(イヴァンス君……?)
(それって……!?)
スランザは窓の外を見たまま、無言。
ベラミカは小さく息を吐いた。
そしてジャックは――肩を揺らした。
「それ聞くの?イヴァンス」
にやり、と笑う。
「まじで?相変わらず読めない性格してんね~」
楽しそうに、わざと間を空ける。
「ぼくちゃんね~」
声が少しだけ軽くなる。
「帝都ではさ~」
そこで、指が動いた。
二本。首をすっとなぞるように横へ。
軽い仕草。だが意味だけは、重い。
「――“人斬りジャック”って呼ばれてたんだよ~」
空気が、止まった。
セーニャの呼吸が一瞬遅れる。
プラーサの顔が固まる。
馬車の揺れだけが続く。誰もすぐには言葉を出せない。
その沈黙の中で、プラーサが恐る恐る口を開いた。
「も、もしかして……」
声がわずかに震える。
「ジャックさんって……あの“人斬りジャック”って言われた……連続殺人犯……?」
ジャックは、にこっと笑った。
「そ、なんだよ~ね~」
軽すぎる即答。
「ひひひ……」
その笑いは、冗談のようでいて冗談ではない。
さらにイヴァンスが、少し首を傾げた。
「え?
人斬りって……ずいぶん物騒な二つ名ですね。
言葉としてはかなり危険な部類なんですけど」
一瞬。馬車の中が、完全に止まった。
セーニャの表情が固まり、プラーサはそっと視線を逸らす。
セーニャが心の中で叫ぶ。
(イヴァンス君、そこじゃない……、そこじゃないんです……)
ジャックが、数秒だけ無言になる。
そして――
ぽかん、と固まり。
次の瞬間、吹き出した。
「いやそこ!?」
肩を揺らして笑う。
「普通さ~“怖い!助けて!”とか“やべ~逃げよ~”とかでしょ~!?」
指をばたばたさせる。
「なんで評価ポイントが“二つ名の語感”なの!?」
イヴァンスは真面目な顔のまま頷く。
「語感というより、事実として危険度の高い称号だと思ったので。
でも仲間なんで、互いをよく知っておいた方がいいかと思って」
「いやいや、そんな冷静に言われたら逆にこっちが怖いんだけど!」
ジャックは頭を抱えた。
馬車は揺れる。車輪の音だけが、一定のリズムで続いていた。
その中で、空気だけが少しずつ歪んでいく。
ただ一人。御者席のレキサルだけが前を向いたまま、静かに言った。
「過去とは、往々にして“現在の姿”とは別に語られるものでございますな」
穏やかな声。だが、その一言で場の温度がわずかに下がった。
そして――スランザが、窓の外を見たまま口を開く。
「魔約の塔のレッドシャドウ」
淡々とした声。
「それが、あたい達の呼び名だ」
一拍。
「“赤い影”」
「血に染まった、表には出ちゃいけねぇ連中って意味さ」
視線は動かない。だが、その言葉だけが重い。
「ジャックのは有名だろ」
スランザは指を軽く立てる。
「“アーカット幻惑連続殺人事件”」
次に、視線をわずかに横へ。
「レキサルは――“エリュース聖堂爆破事件”」
短く言い切る。
「名前くらいは聞いたことあんだろ」
その空気のまま、全員に視線が落ちる。
だが――
イヴァンスは、少しだけ首を傾げた。
「ストーン村から出たことがなかったので、そういう事件は全然知らないです」
一瞬。馬車の中が止まる。
セーニャが口元を押さえ、プラーサは天を仰いだ。
(そこじゃない……)
(本当にそこじゃないんですイヴァンス君……)
ジャックは一拍置いてから、吹き出した。
「いやマジで!? もう、ぼくちゃん笑いで死にそうwww」
肩を揺らして笑う。
「今の流れでさ~?
“僕知らないです”で終わりとかマジありえなくね?
それはさすがになしっしょ~」
イヴァンスは真面目な顔のまま頷く。
「仲間の過去を知っただけで、それがおかしいんですか?」
「いや“認知”の方向がズレてるのよ!」
ジャックが頭を抱える。
レキサルは静かに目を細めた。
「ふむ……この話をお聞きになってもなお、
わたくしたちを仲間と見なされまするとは。
それはまた、興味深きお心持ちにございますな」
穏やかな声音。
その時、スランザが小さく舌を鳴らした。
「ま、いいさ」
窓の外を見たまま続ける。
「あたいらの過去なんざ、知ったところで役には立たねぇ」
一拍。
「――問題は、これからだ」
その言葉に、空気が変わる。
馬車の揺れが、わずかに重く感じられた。
そしてジャックが、いつもの調子に戻すように笑う。
「ひひひ……まあまあ、暗い話はここまでにしてさ~」
窓の外を覗く。その目だけが、少しだけ細くなる。
「そろそろ“仕事”の時間じゃない?」
――馬車が、宿営地へと辿り着いたのだ。




