中断された洗礼
「――“狩られる側”、君たちだから」
その一言が、森の奥へと静かに沈んでいく。
風が、止まった。
ざわめいていた木々の葉が、ぴたりと動きを止める。
さっきまで確かに感じていたはずの気配が――
まるで最初から存在しなかったかのように、ふっと消える。
音が、ない。
息を吸う音すら、やけに大きく感じるほどの静寂。
世界から、何かが削ぎ落とされたような違和感。
――心臓が、強く跳ねた。
どくん、と。
やけに大きく、耳の奥で響く。
一瞬の静寂。
誰も、動けなかった。
「……あれ?」
ぽつり、と。
ベラミカが呟いた。
「セーニャは?」
空気が止まる。
「……え?」
プラーサが振り返る。
さっきまで、すぐ隣にいたはず。
肩が触れるほどの距離に――いたはず。
――なのに。
「……いない」
視界のどこにもいない。
気配もない。
音もない。
「まじかよ……今の一瞬で……?」
イヴァンスの声が低く沈む。
あり得ない。
この距離、この人数、この状況で。
誰にも気付かれずに、一人を“消す”?
「人の話はちゃんと聞かなきゃだめなのよ~、言ったでしょ?」
くすくすと笑う声。
今度は、頭上から。
「“血の洗礼”ってさ~」
ぞわり、と全員の視線が上を向く。
木の上。
枝の影。
そこに――
「まずは一人、なのよね~」
ジャックが、楽しそうに笑っていた。
その隣。
見下ろす影が、ひとつ。
「……っ!」
プラーサの呼吸が止まる。
枝に――
力なく座らされているセーニャの姿。
ぐったりと項垂れ、抵抗の気配すらない。
「安心して~、まだ生きてるよ?」
ジャックがひらひらと手を振る。
「ただちょっと――」
その指が、セーニャの首元に触れる。
「“眠ってもらってる”だ・け♪」
ベラミカが舌打ちした。
「……上等よ」
その瞳に、明確な怒りが宿る。
ジャックは楽しそうに肩を揺らした。
「さあさあどうする~?」
にやり、と笑う。
「助ける? それとも――次、行く?」
一瞬の選択。
イヴァンスは迷わない。
「プラーサ、サーチだ。ベラミカは俺と迎撃だ」
短く、鋭く。
「――奪い返すぞ」
森の空気が、張り裂けた。
プラーサがサーチをかける。
先ほどのジャックの助言通り、“気配”ではなく“鼓動”を追う。
魔道具テレパスで念話を送る。
『ベラミカ、右!』
咄嗟にベラミカは右側にバリアを展開する。
ガシッ!
ボルックスの一撃を、間一髪で受け止める。
「さすが、セラフィス様の弟子ですね。次はどうかな?」
ボルックスの声と同時に――
六つの気配が、同時に弾けた。
左右、背後、上空。
「ちっ……数で来るか!」
イヴァンスが低く吐き捨てる。
「ベラミカ、前面維持! 無理に押すな!」
「分かってるわよ!」
半透明の障壁が、次々と衝撃を受けて軋む。
ガンッ! ギィンッ! ドンッ!
重なる打撃。
「くっ……重っ……!」
一撃一撃が軽くない。
遊びではない――確実に“落としに来ている”力。
「プラーサ!」
「……っ、待って!」
目を閉じ、集中を深める。
鼓動。
一つ、二つ、三つ――
違う。
これは撹乱。
リズムが不自然に揺れている。
「……混ぜてる……!」
「そうそう♪ 分かる~?」
頭上から、ジャックの声。
「鼓動も分けられるんだよね~。ほらほら、当ててみてよ~」
くすくすと笑う。
プラーサの額に汗が滲む。
(落ち着いて……“全部を見る”んじゃない……)
ジャックの言葉が蘇る。
“正解を当てるんじゃなくて、間違いを削る”
(揺れを……探すんじゃない……)
呼吸を整える。
(“無いもの”を見る……)
――一瞬。
世界が、静まった。
風の流れ。
葉の擦れる音。
魔力の微かな波。
その中で。
“そこだけ”、何も無い場所。
「……そこっ!」
プラーサが念話を送る。
『イヴァンス、左上、三歩先の枝の影!』
「行く!」
イヴァンスが即座に踏み込む。
地面を蹴る音が一つ。
視界が跳ね上がる。
――いた。
影の中に、ほんのわずかな歪み。
「もらった!」
剣が振り抜かれる。
キィン――!
甲高い音。
弾かれた。
「おっと、惜しいね~」
ジャックが笑う。
その瞬間。
「っ!?」
ジャックの背後。
いつの間にか回り込んでいたベラミカが、両手を突き出す。
「捕まえたわよ!」
障壁が、箱状に閉じる。
完全封鎖。
「へぇ……」
ジャックの目が、わずかに細まる。
「いい連携じゃん」
だが――
その口元が、歪む。
「でもさ」
ぱきん、と。
障壁に、ひびが入る。
「“捕まえたつもり”が一番危ないよ?」
次の瞬間――
バリンッ!!
障壁が内側から弾け飛ぶ。
衝撃波が二人を吹き飛ばした。
「がっ……!」
「くっ……!」
地面に叩きつけられる。
視界が揺れる。
「ほらほら、止まらないよ~?」
今度は――真後ろ。
「次は誰かな~?」
ぞわり、と背筋が凍る。
その時。
「はい、今日はここまで」
セラフィスだった。
その一言で――
場の空気が、強制的に切り替わる。
さっきまで自由に動いていた六人の気配が――
ぴたり、と止まった。
「え~、セラッち。折角これからいいとこってのに~」
ジャックが眉をひそめる。
「も~、まだちゃんと教えてないでしょ。ジャック。
実践はそれが終わってから」
呆れたように言いながらも、その口元はどこか楽しげだ。
ジャックが、くつくつと笑い出した。
「いや~、でもさ~」
にやり、と笑う。
「グッドな連携だったし~。でも、ベラミカがまだだよね~。
スリープちゃんと使えるように、べ・ん・きょ・う、だね~?」
「ふん、あんたに言われるまでもないわよ」
ベラミカが立ち上がりながら吐き捨てる。
その目には、悔しさと闘志が混じっていた。
「ベラミカは私が教えてあげるわよ。
昔みたいに。楽しみ~」
セラフィスがにこにこと笑う。
だが、その“楽しみ”が何を意味するのか――
この場の誰もが、直感的に理解していた。
訓練は終わった。
だが。
――“血の洗礼”は、まだ始まったばかりである。




