二千字の迷宮・前編
「私が入山清秋を殺したのです」
入山は昨年末に自殺した小説家だ。それを四月の今頃になって自分が殺ったと出頭してきた。久慈は眠い目を擦りつつ、改めてその女、岸野笑美を見る。
小豆色の作務衣姿の彼女は髪を後ろできつく縛り上げ、化粧気のない顔に眼鏡を掛けた地味な女だ。印象としては入山のところで世話係として働いていた太田ふみに似ている。ただそのふみは入山が亡くなる一月ほど前に病死していた。
「入山さんについては服毒自殺を図ったというのが我々の見解ですが、あなたが彼を殺したというのはその毒薬を手に入れて使った、ということですか?」
事件発生当初、自殺と他殺両面から捜査が行われた。しかし毒薬も入山自身が購入し遺書が残されていたこと、一週間ほど前から部屋の整理が行われ当日の人払いもされていたことから、警察は自殺と判断した。
「これを読めば、分かります」
「こちらは?」
「入山の遺稿です。私が預かっていました」
笑美が封筒から取り出したのは手書きの原稿用紙だった。確かに入山清秋とサインがある。
「読ませてもらっても宜しいですか?」
久慈は原稿を受け取り、ぺらぺらと捲る。枚数そのものは多くない。十枚程度だ。ただ字の癖が強く、随分と読み辛い。
※
薄暗い納屋の中で私はずつと其の時を待つていたのです。窓を押し上げて眺め遣れば山の稜線が光を放ち、朝日が昇ろうとしていました。其れを目にして私は、何故彼女が陽の昇るのを見乍らの死と云うものを選んだのか、若しかすると此の美しさの内で果てる事に意味を見出しているのであろうか、と思つた次第です。手許には彼女より託された毒薬、其れに私が用意した灯油と燐寸が有りました。
手に吹き掛ける息は闇の中でも充分な白さを保つているようでした。其の白さと温もりに、私は生きているのだと云う事を唐突に思い知らされ、自分達の考えの恐ろしくもまた何と愚かな事か、幾らふみさんの親に認めてもらえない我が身でも、彼の世で一緒になろう等とは早まつた考えでは無かつたのかと思つたのです。
果たして、軽い音で木戸は叩かれました。私は其の音に些か軽薄さを感じて、どうにも開ける事を戸惑つていましたら開けない内に二度、三度と強く叩かれるものですから、やおら立ち上がつて木戸を開けました。其処に立つていた彼女の母親が手にした洋灯で私の顔を照らし、彼女は口元を緩めましたが、其の意味を私が知るのはずつと後の事に成るのです。
(続)




