あなたへ
「何をしたの?」
それは仲邑絵美の声だった。闇の中に彼女の全身が青白く浮かび上がると、何かとても恐ろしいものを見たという表情になり、そのまま青い炎に飲み込まれて消えてしまった。
その闇に一つの火が灯り、今度は燭台を手にした一人の髪の長い女性が浮かび上がる。
私は彼女に見覚えがあった。
彼女は手にした燭台を並木のテーブルに置くと、その前に取り出した手紙を重ねてから一度並木のことを見て、微笑した。嬉しさと悲しさとどこか寂しさと、入り混じった表情が短い間に変化し、唐突にそれが消えた。
彼女が火を吹き消したのだ。
刹那、全てのロウソクに青い炎が灯る。
続いて窓が割れ、突風が店内を渦巻いてから抜けていく。
一分以上続いただろうか。
目を開けた時には荒れ果てた店内と、割れたコーヒーカップ、それに端の焦げた一通の手紙の封筒だけが残されていた。あの綺麗な長い黒髪の女性の姿もなく、仲邑絵美の姿もなければマスターの姿も見当たらない。私だけだ。
手紙を開け、読んでみる。
※
あなたは覚えているでしょうか。あの人形を作っていた寂しい女のことを。
百物語は異界の扉を開き、誰かの魂と引き換えに願いを叶える儀式でした。それを絵美という女は死神と契約し、本来は既に死んでいるあなたの魂を差し出すことで、自分の願いを叶えようとしたのです。
けれど儀式は失敗しました。それは私があなたの書いた原稿から一つ、抜いておいたからです。
失敗したことであの女は死神との約束を破り、あなたに儀式のことを口外してしまいました。それによりこの世ではないどこかに飛ばされてしまったのです。
しかし一度始めた儀式は終わらせなければいつまでも呪いとしてあなたに付き纏います。ですから私のこの手紙を百作目として、百物語の儀式を完成させました。
私の願いはただ一つです。
本来死神が切り離すはずだったあなたの魂を、そのままあなたの中に残すこと。
どうかこれからも、素敵な作品を書き続けて下さい。
私はあなたの、一番最初のファンです。
あなたは他の男たちとは違い、約束をちゃんと守ってくれた。
でもそんなあなたを私は心のどこかで信じていなかった。
だから少し距離を置いてしまった。今はそのことをとても後悔しています。
できることならもう一度あの日に戻って、あなたとやり直したい。
けどそれは叶わぬ願い。
さようなら。
やがてあなたの記憶から、消えてしまうとしても。
私は、あなたを、愛しています。
(了)