第53話 長子の宿命
「俺は……兄を救えたか……?」
蒼夜は、眠るようにも穏やかな表情だった。
「兄……」
蒼夜を抱き抱える塔夜の腕に力が入るが、蒼夜は砂が崩れるように消えていく。
蒼夜の姿を巻き上げるようにビュウッと風が吹き抜け、キラキラと光を纏って天に昇っていった。
それでも塔夜は、腕を下ろす事はなかった。
天に……昇ったか。
魂は天に昇り、魄は地に下る。魂は精神に宿っていた陽の気、魄は肉体に宿っていた陰の気……死ぬとその陽と陰の気は天地に散る。天に昇った魂は神になり、地に下った魄は鬼になる……か。
蒼夜の姿が消えても、その腕にはまだ力が籠っている。
顔を伏せ、歯を噛み締める塔夜に麻緋がそっと塔夜の腕に触れた。
「麻緋……俺……」
「……分かっている」
塔夜の心情に理解を示す麻緋に、塔夜は小さくも頷いた。
「だから……手を下ろせ。塔夜」
塔夜は頷いたが、力を抜く事が出来ないようだ。
麻緋は、塔夜の腕をゆっくりと下ろす。
その瞬間に、金色の蛇が塔夜の腕から麻緋に戻るように消えていく。
一気に力が抜けたのか、塔夜はその場に崩れるように座り込んだ。
麻緋が塔夜と目線の高さを合わせて屈むと、塔夜は話を始めた。
「生まれつき名代……そうはいっても兄は、生贄でしかなかったんだ。降神巫は身内の誰かが供犠同然となる。神とはいえ、それは鬼だ。人を食うのは鬼だしな……聞いた事あるだろ……? その供犠が誰かっていっても、それは降神巫の『初子』に限定されるんだよ。だから……兄は……。どんなに逃れようとしたって、例え他の誰かが身代わりになったとしても、兄には印をつけられているんだ、契約も同然なんだよ……変える事は出来ない……その命が尽きるまでは」
塔夜は、悔しさを掴むように手をギュッと握り締めた。
「兄の目に九重の天が見えなかったのもそれが理由だよ……だけど親父は兄を名代にしたかった。長子だから跡を継ぐのは当然といえば当然なんだけどな……兄が名代であれば偽の神ではなく、本当の神と繋がる事が出来る……そしたら、そんな印なんか吹き飛ばせるだろ……」
蒼夜のあの言葉……。
『やっと……僕も仲間になれるんだから』
「こんな事になったのは元々降神巫だったお袋の……親父と結ばれる前の……神降ろしの失敗なんだ」
その後も塔夜の話は続いた。
神降ろしに失敗したという蒼夜と塔夜の母親。
その時に渾沌と繋がってしまい、名代に助けを求めたのは母親で、彼女を救う為にも二人は結ばれたという。
だが、それだけに留まらず、時が立つ程に渾沌を崇める者が増えていき、南の地は大きく荒れてしまう。
新たに名代が南に神を降臨させたが、追い遣られたのは西……。
その時には、既に生まれていた蒼夜にその時の条件は結び付いていた。だから東へと向かう事が出来たんだ。
きっと母親は、蒼夜の左目が無かった事よりも、蒼夜を人質のように取られた事を嘆いていたのだろう。
だから……舞ったんだ。
自分を代わりに……と。
だけど蒼夜と結びついてしまった渾沌は、時と共に力を得て蒼夜を媒介に四方を潰し始めた。
それも全て蒼夜の罪と転換しながら……。
そしてそれが僕たちの闇になった。
真っ先に麻緋の両親を殺したのは、天帝の力までをも歪める為であったのだろう。
渾沌自体、麻緋に執着していたのだから。
……夜が明けていく。
陽が昇り、明るくなっていくと成介さんと悠緋、そして伏見司令官がやって来た。
闇に集まった者たちが、陽が昇っていくのを眺める……なんだか不思議な気分だった。
西に沈んだ陽の光が、東から顔を出す。
伏見司令官がふっと笑みを漏らすと僕たちに言う。
「任務終了と言いたいところだが、この地も見ての通り元に戻ったとは言えない。これからの任務は更なる長期戦を覚悟しろ」
その言葉に僕たちは、覚悟は出来ていると頷く。
伏見司令官は、静かに二度頷きを見せると、強い目を向けてこう言った。
「私を含め、各々、望むべき未来を実現させろ」
それは一人では難しい事だ。だけど、一人から始める事でもある。
この地にもいつか……。
僕たちは、それぞれ顔を見合わせ、頷き合うと向かうべき方向へと足を進めた。
僕は、彼らの姿を見送ると、自分の家があった場所へと向かった。
墓さえも建てる事が出来なかった。
何もない地にそっと手を触れる。
「父さん……母さん……」
何年掛かるか分からない。
何年掛かっても同じ景色は見る事は出来ないだろう。
だけどそれでも……。
新たな未来の為に僕は。
(頑張れ)
風が擦り抜けていくと同時に声が聞こえたようだった。
僕は空を見上げた。
晴天だ。
自然に漏れる笑みが、僕が僕自身でつけた枷を外したように思えた。
成介さん……麻緋。
もう何も見たくないなんて、僕はもう逃げ出したりしない。
彼らとの出会いは、僕にとって大きなものだった。
教えられた強さを忘れはしない。
だから必ず……。
また会おう。