第48話 魂魄の離散
守られている事と仕わされている事の違いに気づかない、本当の『生贄』……。
桜花が初めて僕に姿を見せた時、麻緋と交わしていた言葉を、蒼夜を目の前にして口にした桜花。
蒼夜の顔にそっと手を触れる桜花に、憐れむような思いが滲んでいた。
「麻緋様……後はわたくしに任せて頂けますか」
「ああ、構わないが、それは成介が決めた事だろ」
「はい。それがわたくしが受けた、成介様からの命ですので」
「それならダメだとは尚更言えねえな」
「成介様は、麻緋様の返答次第で……とは仰っていましたが」
「ふん……お前がここに現れた事が、この間、俺と来が任務放棄した事を咎めない理由にもなるんだろ」
麻緋の言葉に桜花は、クスリと静かに笑みを漏らした。
「咎めるなどと……そんな事は」
「まあ……なんにしても早くしてくれ。呪いが体から離れちまったからな、それを掴んでいるのは俺だ。正直、体内に留めて置くよりも、掴み続ける方が難しい。生きた魚を掴んでいるようなもんだからな。逃げられたら水場へと戻るのが当然って訳だ。戻る水場は何処になるか……成介が来ていないって事は、悠緋の事は成介が責任持って守ってくれているんだろうな?」
「勿論です、麻緋様。ご安心下さいませ」
「はは。そうはいったって、お前がそんな事態を招くとは思えないがな?」
「はい。そのご心配は無用かと」
「それなら何の問題もないな」
「お任せ下さいませ」
桜花は、また笑みを見せると、蒼夜の左目へと手を動かした。
桜花の口から呪文のような言葉が流れる。
「天の式、陽が離るれば死に至り、一身にして二を協するに能うは象り難いもの……」
麻緋の手にある呪いがパッと弾け、桜の花弁に変わると花吹雪となって舞い始めた。
「天より地に下り、死すればその身、分かれて地に散る……」
桜花は言葉を続けながら、蒼夜の左目に触れるように手を滑らせた。
吹雪のように舞った桜の花びらが、蒼夜の体に鎖のようにぐるりと巻き付く。
「白間……兄は……もう……どうする事も出来ないんだろ……」
「まだ……息はある」
「だったら……! ……っ!」
言える訳がないと、塔夜は直ぐに口を噤んだ。
分かってはいても期待せずにはいられない。その思いは痛い程に分かるが、ここから先は僕の……いや、人の領分じゃない。
それに手を出せば、それが禁忌となる。
そもそも禁忌とは摂理に反するもの……法則を無視し、可能性など微塵もない『無』を『有』に変えるものであり、人の生き死にもまた自然の摂理だ。
『混沌の中に神が生まれた。神が生まれると天は日毎に高さを増し、地は厚くなった。やがてその神が死を迎えると、頭は山になり、血は海に、髪は草木に、涙は川に、呼気は風に、声は雷に、右目は月に、左目は太陽になった』
自然物は神の体……万象を支配しているのは神であるという事。それに手を出す事は神に逆らうという事だ。
離れた呪いは塔夜へと向かわず留まっているが、それは今や桜花の采配次第だろう。
だが、僕たちと同じ場所に身を置く事になった塔夜は、蒼夜と同じ色に染まりはしない。
それがどう動こうとも、受け止めなければならない事だ。
塔夜の隣に立った麻緋が、その不安を宥めるように肩をポンと叩く。
塔夜は小さく頷きを見せたが、やはり不安は拭い切れないだろう。俯き、手をギュッと握り締めていた。
「塔夜……僕が今、お前に言えるのは、桜花に……成介さんに任せて信じろ。それだけだ」
僕の言葉に塔夜は答えなかったが、分かってくれてはいるだろう。
強く握り締めた手の力が、少しだけ緩くなった。
蒼夜の体に巻き付いた桜の花弁が、幾重にも巻き付き、その姿を隠した。
同時に遠方から光が浮かび上がった。
僕たちは、光の見える方へと目を向けた。
……南……。
直感的に頭に浮かんだ思いは、麻緋と同じだ。
呆れたようにも鼻で笑う麻緋に、僕も釣られて笑みが漏れてしまう。
「そっちに来てんのかよ、成介」
「そのようだね……成介さんらしいと言えば成介さんらしいけど……やっぱり彼の真意は分かりづらいな」
「はは。だろうな。それが分かったら、神を神だと呼べなくなる」
南から浮かんだ光がパッと弾けると、蒼夜を包んだ桜の花弁も弾けて互いの方向へと向かったが、互いを結ぶ中央で渦を描くように混ざり合った。
桜の花弁が光を帯びて一体となる。
真夜中に見るその光景に、麻緋が言った言葉を思い出す。
『闇の中でしか見えないんだよ。簡略化せずに正式である……本物の呪力ってやつはな』
中央で混ざり合った光は、まるで月のように浮かんでいる。
それを見上げる僕たちは、降り落ちる答えをただじっと待っていた。
天に昇った魂は神になり、地に下った魄は鬼になる。
散った陽と陰の気は再び戻る事はない。
だが……。
『天の式、陽が離るれば死に至り、一身にして二を協するに能うは象り難いもの。天より地に下り、死すればその身、分かれて地に散る』
桜花が口にした言葉が今……。
答えとなって降り落ちる。