13.番外編 幸せな夜
ロイセル視点です。
シホがポプラの樹の下に指輪を埋めた後、俺は閉店間際の宝飾店へシホと共に行った。
だが、シホの指に合わせて作る物のほうが、丁寧だし綺麗に仕上がると聞いて、既製品を買うのをやめた。二人で選んだ形は、流線形のシンプルな指輪。もちろん俺も同じ物を作る。
結局指輪ができるのは十日後。待ち遠しいが、こればかりは仕方ない。嬉しそうなシホの横顔を見ることで、俺は満足することにした。
ついでに夕食も外で済ませ、軽い酒とつまみを買って、二人で歩いて家路に着く。
ポプラの樹の前までくると、シホは何も言わず、夜空と高いポプラの樹を見上げた。俺はその様子を黙って見ていた。
あの指輪は十日前までは、俺の敵だった。
シホが不安そうな顔をする時、泣いている時、思い悩んでいる時、必ずあの指輪を胸に抱えるようにしていた。
俺が見ていないと思っている所で、そっと左手の薬指を見つめて撫でる仕草は、俺の中の嫉妬心を燃え上がらせるに充分だった。シホが眠っている間にあの指輪を引き抜こうと、何度思ったことかしれない。
だが十日前にシホを抱いた時、それは消えた。シホのご主人は俺よりも器の大きな男だった。……認めたくないことだが。
しかもシホはこの十日間、ついに指輪を嵌めることのないまま土に埋めた。嬉しいような罪悪感が残るような、複雑な気分だった俺に、シホは指輪を買ってほしいと言ってくれた。
………とても嬉しかった。
きっと彼女はこの先ずっとその指輪を大切にしてくれるだろう。
家に着き、本当ならシホとふたりでバスルームに行きたかったのだが、さすがに露骨すぎるかと思って今日のところは諦める。
彼女にはまだ告げていないが、実は明日から三日間の休みをとっていた。もちろん、リルリルにもだ。
シホがバスルームから出ると、いつもはお茶を淹れるのを、今日はグラスに酒を注ぐ。彼女が飲めそうな、軽く甘い酒だ。つまみのチーズも添える。
「きれいな色ね…。」
「今日はお祝いだから。」
そう言うと、シホは湯上りの頬を赤く染めた。彼女の頬と同じ色の酒。正直俺には物足りないが、今夜はこれでいい。
「シホは飲める?」
「う〜ん、好きだけど得意ではないの。」
…弱いのか……それもいい。
俺の脳内では「酔ったシホ」が暴走する。よし!今夜は暴走してもいいぞ!いくらでも受け止めてやる!
「ああ…、やっとだ。」
グラスの甘い酒を味わって、溜息が出た。
「やっと?」
「やっと、シホを俺の妻にできた…。こんなに嬉しいことはない。」
そう言って彼女を見ると、暖炉の炎で黒い瞳が揺れていた。…いや炎のせいではない。シホの瞳が潤んでいる。じっと彼女を見つめていると、恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
「シホ、シホ、頼むからこっちを見てくれ。」
「……見られない。」
「どうして?」
「…恥ずかしいから。」
「それは理由にならないよ。シホ、お願いだから俺を見て。」
するとようやくシホは顔を上げてくれた。頬を染めて、黒い瞳を潤ませて。淡いサーモンピンクの寝間着。その白い首元のボタンはひとつ、外してあった。濡れた黒髪は片側の肩に纏めて流している。露わになった首筋と耳。
その頬を、その耳を赤く染めたのは、俺。今までに感じたことのない、満足感が俺を満たす。だが同時に、今までに感じたことのない飢餓感が俺を襲って苛んでいた。
「早くこの目の前の女を抱きたい…」と。
なのに…
「ロイセル、なんだか眠くなってきたわ…。」
「え?」
「私、昔からお酒を飲むとすぐ、眠くなるの…。」
「………。」
小さな欠伸を漏らすシホのグラスを見ると、半分も飲んでいない。弱いにもほどがある。
……もしや、シホの頬を染めていたのは俺ではなく、酒、か…?
「おやすみなさい、ロイセル。」
そう聞いて俺は愕然とする。
いやいやいやいやいや、今夜は婚姻して初めての「初夜」だ!俺はこの飢餓感を抱えて一人で寝るのか!?冗談じゃない!
慌てて暖炉の火を始末し、グラスはそのままに、シホの後を追いかける。薄暗い廊下で、少しふらつきながら歩くシホをつかまえた。
「シホ、どこへ行くんだ?」
「ん?…ベッド。」
…今夜はコトになるんだろうか。三年間まったくシホに酒を飲ませなかったことを、俺はひどく後悔した。
「そっちのベッドじゃないだろう?シホ、今夜は夫婦になって初めての夜、初夜だ…。」
後ろから抱きしめてシホの耳元でそう囁くと、彼女の肩が震えた。
「え…初…?」
「明日から三日間、休みを取ってる。もちろん、リルリルにも。何も心配することはない。…シホ、おいで。」
「え?え?ロイセル?」
きっと考えてもいなかったのだろう。シホの困惑は彼女の体から伝わる。だが、俺は遠慮する気はなかった。ほんの十日前、初めてシホを抱いた。なのに、この飢餓感はどうだ!?…きっとシホを知ってしまったからこそなのだろう。
後ろからシホの柔らかな二の腕を支えて、俺の寝室へ誘う。戸惑いつつも、素直に従うのが愛しい。
「シホ、愛してる……。」
ああ…これが幸せなんだ。愛しい女を腕に抱ける。柔らかな、しっとりとした肌が俺に寄り添う。
頬を、目元を、首筋を、肌を、ほんのり染めて、潤んだ黒い瞳が俺を見上げる。白く細い腕でシーツを握り締め、薄い背を反らし、白い喉を俺に差し出す。その豊かな胸は俺の動きに合わせて揺れ、その艶やかな黒髪もうねる。
啼かせても啼かせても、まだ足りない。
どのくらいきみを愛してると言えば、この想いが伝わるんだろう。
どのくらいきみの中に入れば、俺は満足することができるのだろう。
シホ、どうか俺を許してほしい。
きみに飢えている俺を。きみに飽きることのできない俺を…。
愛してるんだ、シホ…。
以上で一応、完結とさせて頂きます。
最後まで本当にありがとうございました。