参観日での出来事
「じゃあ、お団子を丸め終わった人から茹で始めて下さい」
「「「はーい!」」」
今日は初めての参観日。親子でヨモギ団子作りの真っ最中。いつもはいないはずのお母さん達が来ているせいか、子供達はいつにも増して元気だ。
そんなおおはしゃぎな園児たちの傍らには副担任である一太君がいて、子供たちの様子を見ながら声を掛けて回ってくれていた。
「ヨータ君、こうやって丸めてごらん。……? あっ、みーちゃん振り回したら危ないよ。って、ケンタ君! 床でお団子丸めちゃ汚いから!」
お世辞にも広いとは言えない保育室。それに加えて今日は保護者もいるもんだから、部屋の中はまさに芋洗い状態と化している。
そんな中、初めての参観日を楽しく過ごしてもらおうと、一太君は大きな身体を小さく丸めながら所狭しと動き回っていた。
――あなたが好きです
「……っ」
一太君を見ていると、あの日の事がふとした拍子に蘇って来る。告白されてから数週間が経とうとしているが、一太君の様子は特に変わったところはなく、どちらかと言うと自分の言ったことなどもう忘れてしまってるんじゃ? と思える程であった。
あの時、いついつまでに返事が欲しいとは特に言われなかったものの、こうも何もなかったかの様に振る舞われてしまうと、放置されているみたいでなんだか癪に障る。それに、これだけ間が空いてしまえば一体どのタイミングで返事をすればよいのかわからない。このままずっと何もなかったかのようにして過ごせばいいのだろうか。告白された方の私ですら何日も眠れない夜を過ごしたと言うのに、告白した方はと言うとケロッとした顔で毎日元気に園にやってきて、何事も無かったかのように帰宅する。どうにも私だけが損した気分。
一太君を見ていると、なんだか私ひとり悩んでいるみたいで馬鹿らしくなってきた。
「……。」
「なちゅせんせぇー、おかおあかいねー」
「え? あ、そ、そう!?」
はっと気づけばテーブルから顔半分を出すようにして、園児がじっと私の様子を見ていた。
やばいやばい、今は大事な参観日中。今はそんな事はさておき、ちゃんと集中しなければ。
両頬をパンパンと叩いて気を引き締めなおした。
「おーい、いったぁー。これゆでてくれよ」
その声に目を向けると、冬馬君が大小さまざまな形をしたお団子を乗せたお皿を一太君に差し出していた。
「こらっ! 冬馬! 先生に向かってなんて言い方するの!」
「あはは、大丈夫ですよ。ん、どれ? おお、たっくさんできたね」
呼び捨てにされていることを特に咎めることも無く、平謝りする保護者の横で一太君は冬馬君の頭を撫でていた。
彼は何も言わないけれど、いくら年少さんだからと言って先生を呼び捨てにするのはやはりよろしくない。ここは担任である私がちゃんと教えてあげなければ。
「冬馬君。“いった”じゃなくて“鬼頭先生”でしょ?」
やんわりと言い諭してみたものの、やはり素直に聞いてくれるはずもなく。
「だって、“おにがしらせんせい”なんて呼び難いし、それに山本先生も“いった”って呼んでるじゃん」
「それは……」
二人は同期だから名前で呼んでもいいんだよ、だなんて理由にならない。本来なら職場である幼稚園内では“○○先生”って呼ぶのが当然なのだから。
まさか、山本先生が園児達の前でもあだ名で呼んでいるとは知らず、なんて説明すればよいのか頭を悩ませていた。
「山本先生はいいけど、オレはダメなんてひいきだ!」
「ええー、ひいきって」
「もう、冬馬! いい加減にしなさい! す、すみません、櫻井先生、うちの子パパに似て口が悪くて」
「い、いえ! そんな」
山本先生のせいでペコペコと頭を下げるお母さんには勿論、冬馬君にも何も言えなくなってしまった。
◇◆◇
「手を合わせて下さい。いただきます」
「「「いただきますっ!」」」
親子で協力してやっと出来上がったヨモギ団子をみんなで頬張る。自分で作ったものを探しては、それをお母さんに食べてもらおうとしている子供たちの姿に成長を感じていた。
「なつせんせい、きな粉つけたらおいしいよ」
「どれどれー、……んー、ほんと! おいしいね」
みーちゃんが作ったお団子を頬張っていると、そこへ丁度一太君がやってきた。
「ねぇねぇ、いった先生にも食べさせてあげてー」
「そうだね。鬼頭先生、きな粉付き、おいしいですよ」
「はい? ――、……っ」
お団子を爪楊枝で差し、きな粉が零れてもいい様に手でお皿を作って一太君の前に差し出した。すると何故か一太君の顔がみるみる赤に染まっていく。
「どうぞ?」
キュッと口を真一文字に引き結びお団子を凝視する一太君を不思議に思いながらも、お団子をさらに顔の方へと近づける。すると一太君は目を硬くつぶりながら、『えいっ!』と言わんばかりに私の手から団子をパクリと口に含んだ。
「えっ」
「お、おいひぃです」
もぐもぐと食べながらもどんどん顔を赤くしていく。気付けば、私の周りだけではなく、他のテーブルの保護者や園児達からも注目を浴びてしまっていた。
てっきり爪楊枝を手に取ってくれると思って差し出したつもりだったが、まさかのお口にダイレクト。こ、これって、ちょっと……。
「いった先生、もうこーんなにおっきいのに『あーん』してたね」
シーンと静まっていた部屋の中。なんともいたたまれない雰囲気を掻き消すかのような言葉がみーちゃんの口から発せられた。
「っ! ぼ、僕ちょっとお茶取ってきます!」
「……え? お茶って、ここにありま――」
余程恥ずかしかったのか、私の呼びかけに振り返りもせず、一太君は保育室を飛び出していった。
◇◆◇
なんとか無事に参観日も終り子供達を見送る事ができた。保育室の後片づけをする為に部屋の扉を開けると、一太君が床に散らかっているゴミを箒で集めているところだった。
「鬼頭先生」
声をかけると私が入ってきたことに全く気付いていなかったのか、一太君の肩がビクッと大きく竦む。
「あ、ごめんなさい、驚かせちゃって」
「い、いえ」
顔をブンブンと左右に振ると一太君は再び床掃除を始め、私は机の上に置いてある道具類を片付けにかかった。
「あの、那都先生」
「ん?」
呼びかけられ視線を移すと、箒を両手でぎゅっと握り締めながら一太君は何だかもじもじしている。何か言いたそうにしているのを察した私は、片付ける手を止め姿勢を正した。
「どうしたの?」
「その、……さっきは変なことしてすみませんでした。自分でも何であんなことしたのか良くわからなくて」
「ああ。『あーん』ってしちゃったこと?」
「……!」
一太君の顔がまたカーッと赤く染まる。間が持たないとばかりに闇雲に床を掃きだしたのはいいが、動揺してしまっているのかせっかく集めたゴミの塊を再び散乱させている事にどうやら気付いていない様子だった。
こういう姿を見ると、子供の頃の彼を思い出す。内向的で恥ずかしがりや。けれど、歳の離れたまだ幼い妹の面倒を良く見るしっかり者。身体が大きくなった所以外はさほど変わったところはない。あの夜、無理矢理されたキスはきっとお酒のせいでどうにかなってしまっただけなんだ。
確信を得たかのように勝手に納得すると、小さな頃の一太君を思い浮かべ頬を緩ませていた。
「ぼ、僕もうダメなんです」
突然、もう堪えきれないとばかりに話し始めた。
「ん? 何が?」
「なんてゆーか、その……那都先生の事気にしちゃいけないって思っていつもグッと耐えてるんですけど、気付いたらいつも目で追ってしまってる自分がいて」
「え?」
「いや、でも見てなきゃ仕事にならないと思ってやっぱりみるんですけど。やっぱり僕、ナツさんの事が――好き、……なので、その、冷静に見れなくなってる節があると言いますか。――! べっ、別にいやらしい意味とかではなくってですね」
「……。」
「気付いたら……願望が勝手に出て来てしまったんです」
『本当にすみませんでした』彼はそう言って深々と頭を下げた。
言い訳染みてはいるものの、再び告げられた『好き』という言葉に、心臓がきゅうっと締め付けられるような感覚に陥る。と同時に、あのときの告白はやっぱり嘘だったんだとかその時のノリみたいなものとかではなかったのだと知り、ホッと安堵の息が漏れた。
「……。――?」
――ん? 何で私ホッとしてんだろ?
自分が感じたことの意味がわからず首を捻っていると、保育室のスピーカーから一太君を呼び出す園内放送が流れ出した。
「あ、じゃあちょっと行ってきていいですか?」
箒を置き、私の横を通り過ぎていく――はずだったが、私の横で一太君は何故かピタリと足を止めた。切れ長の目を大きく見開き、彼はある一点を見つめている。その視線の先を見てみると、まるで一太君がここから立ち去るのを阻むかのように、私の手が一太君の上着を握り締めていた。