第7話 M
買い忘れはないはず。
今日は肉じゃがをリクエストされている。
カフェラテでも……アナンのいるコンビニに向かう。
アナンと女の子が手を繋いで出てきた。
チクッ
胸が痛んだ。
ショックなんて受けて……そんな関係じゃないのに。
エミリ?
くせ毛がかったウェーブに、変わった模様のショルダーバッグ。
チクッ、チクッ
ああ。見られない。見ちゃだめだ。
早足で家に向かいながら、独り言が止まらない。
「そうだよね、フットサルコートにいたんだし」
「二人が知り合いだって、おかしくないよ」
「知り合いっていうか、恋人同士なんじゃない?」
「お似合いだよ。アナンにはエミリみたいな子が……」
「私みたいな……汚れた体で……いったい……何を期待して……」
涙腺が崩壊する寸前に部屋に辿り着いた。
あの男の匂いが充満しているこの空間が大嫌い。
なのにここにしか拠りどころがない自分が情けない。
◆
「みぃ、すごく美味しいよ」
ぼうっとして作ったから、どちらかというと失敗作。
「元気ないね。学校で何かあった?」
「いいえ」
「私に言えないことか?隠し事は駄目だぞ」
「そんなんじゃありません」
男が箸を置いて、私の横に来る。
「立って」
立ち上がる。
「こっちを見て」
目を見る。
「キスをして」
唇を付ける。
「なんだ。拗ねてただけか?」
手を引かれる。
「寂しい思いをさせてたかな?」
ベッドに押し倒される。
「お詫びに、たくさん愛してあげるよ」
何とでも言って。
勝手に勘違いしてれば。
私の心に干渉しないで。
◆
こんなの慣れっこなはず。
なのにアナンと知り合ってから、より辛く感じてる。
「今日は1限あるのか?」
「はい」
「じゃあ、車で送って行こう。下で待ってるよ」
工事の影響で長くは路駐できない。
急いで電気を消して、靴を履く。
アナンに会いたくない。
気付かれませんように。
エレベーターが開くと、自動ドアの正面に車が停まってた。
足元だけを見ながら、急いで助手席に乗り込んだ。
◆
「みいな!」
エミリは私を見つけるのが得意だ。
「さっき、彼氏に送ってもらってたでしょー、このこのぉ」
「ち、違う。彼氏じゃない。親戚の人」
「今更、そんな見え透いた嘘ついたって無駄だよー」
信じてもらえない。
「あのさぁ、ちょっと相談してもいい?」
「なに?」
「私の……知り合いの話なんだけどさぁ。いい感じになった人が、実は、うーん……なんて言うか、性生活が乱れてて?……なんだけどそれを隠して付き合おうとしてるの。みいなどう思う?それって気持ち悪くない?」
手が震える。
「私の知り合いは良い人だから、本当の事を言ってもきっと信じてもらえないし、そもそも傷付けたくないんだよね。その女、正体隠すのが上手くてさ、まじで最低なんだよね」
「た、大変だね」
「そうなの。上手く別れさせる方法ないかな?」
「ごめん。わ、分からない」
全身の震えが止まらない。
「あれ?みいな、寒い?この教室、空調効き過ぎだよねー、ちょっと外行って温まって来たら」
「うん。そうする。ちょっとごめんね」
バレてるはずない、バレてるはずない、バレてるはずない。
私のことじゃない、私のことじゃない、私のことじゃない。
呪文のように唱えながら廊下を歩く。
エミリが私とあの男の事を知ってるはずない。
ましてや、アナンへの気持ちだって……知るわけない。
だからこそ、友達への同情とか偏見のない、エミリの意見が胸に刺さった。
『私は気持ち悪くて、最低のことをしている女』
いくら美大に行くお金がなかったからって、こんなことするんじゃなかった。ちゃんと断わればよかった。
あの男は、私が嫌がれば無理強いはしない。
断わり辛い聞き方をされたのは確かだけど、お世話になってるんだしって、受け入れたのは私自身だもの。
もう遅い。こんなに汚れてしまってから、今更後悔しても遅いよね。
◆
『16時、迎えに行くから学校で待ってて』
あの男からメッセージが来ていた。
送ってもらったことはあったけど、迎えに来るのは初めてだ。
言われた通りにした。
「急な誘いで悪かったな」
「いいえ」
助手席に座る。
なんか変だ。
ネクタイを外してる。
この人の服装が乱れているところを初めて見た。
「どうしたんですか?」
思い切って聞いてみた。
「いやね、先日、会長の誘いに応じなかっただろう?」
この人はたぶん私の就職先を斡旋しようとしただけだ。
だけど危うく、私は会長に連れて帰られそうになった。
「断わったのがよほど気に入らなかったらしい。降格させられたよ」
私のせいで……
「それで腹を立てて抜け出してきたところ。大人気ないな」
「……」
「だから、みぃに慰めてもらいたいなって思って。たっぷりと頼むよ」
背筋が凍る。
「冗談だよ。そんな顔すんなって。気晴らしに付き合ってもらうだけだ、安心しろ」
それから海沿いをドライブして、初めて二人で映画館に行った。
ホラー映画だったからなのか、この人の言ったことが気になってか、私はずっとゾクゾクしっ放しだった。
「食事はどうする?食べて帰ってもいいし、帰って作ってもいい」
「どちらでも」
「じゃあ、右か左、選んで」
両方のグーの手を出される。
「こっち」
右を選んだ。
ひっくり返したパーにはなにも入ってなかった。
「よし、食べて帰ろう」
その後も、なにが食べたい?と聞かれ、『なんでもいい』と答えると、『どっちか選んで』と両手を出され、イタリアンになり、メニューを決める時も同じことを繰り返した。
「デザートはどうする?買って帰る?お店行く?」
まだやってる。
「買って帰ります」
「え?」
もう私の前にスタンバってたグーを引っ込めた。
繰り返すうちに分かった。
この人の質問は、先に言った方がやりたい事だ。
『どっちだ』と差し出した手は、結局どちらを選んでも同じだ。
「じゃあ、アイスクリームとケーキどっち……」
「アイスクリーム」
「お、気が合うねえ」
さすがに笑ってしまった。
「みぃの笑顔久しぶりに見たな」
真顔に戻る。
「もっと見たかったな」
「……」
アイスを買って、家に帰っても気が抜けない。
この人は今日もきっと体を要求してくる。
考えると暗い気持ちになってくる。
ところが、アイスを食べ終えた男は先に寝た。
「おやすみ、みぃ」
とだけ言って、キスすらしてこなかった。




