◆第四章:魔との邂逅
第四章:魔との邂逅
酒場の騒動の帰り道、リアムは興奮冷めやらぬ様子で父に尋ねた。
「父上、先ほどのヴァルガス卿……。あの方こそ、真の騎士というものですね。部下の非を正し、礼を尽くす姿、感服いたしました」
だが、グラドゥスは静かに首を横に振った。
「リアム、あの男はそういうものではない。決して、目を信じるな」
その言葉の真意を、まだリアムは知る由もなかった。
***
グラドゥスの脳裏に、あの解放戦争の直後の記憶が蘇っていた。
王国から北の地フロストフォードを与えられ、領主となったアルベールは、部下たちの労をねぎらうため盛大な祝宴を開いたが、彼自身がその喧騒に長く身を置くことはなかった。祝杯もそこそこに、彼はすでに次の一手を思考していた。
(ここからがスタートだ)
彼はふと、討ち取ったノルドの民のリーダー格の男が叫んでいた言葉を思い出した。
(あの男、「レムリアンシードの搾取をやめろ」とか言っていたな。妙に気にかかる……)
アルベールはすぐさま部下に命じ、その言葉の真意を調べさせ始めた。領主となったからには民の信用を勝ち取り、部下の生活も支えねばならない。公爵の地位にふさわしい教養も必要だと、彼は貪欲に知識を求め始めていた。
数日後、大きな一報が二つ、ほぼ同時にもたらされた。
一つは、部下からの報告。王国の輸送部隊が、山間のドヴェルグの国アイアンハースと頻繁に行き来しており、そこの商人がレムリアンシードについて何か知っている可能性が高い、というものだった。
そしてもう一つは、アールヴの国、東のシルヴァリアより、休戦協定の申し出があったという知らせだった。
アールヴは、人間がこのアステリア大陸に到達する以前からの原住民であり、その後の戦で追いやられ、中には奴隷とされた者もいる。その恨みは計り知れない。
そのアールヴが提示してきた休戦協定の条件は、奇妙なものだった。東の森への不可侵、ドヴェルグとの武器売買輸送の禁止、そして、レムリアンシードの採掘の完全な禁止。
「ますます金の臭いがするな。運が向いてきたか?」
アルベールの瞳が、再び野望の光にぎらついた。
「グラドゥス、アイアンハースへ行くぞ。その商人と直接話がしたい。馬を出す準備をしろ」
ドヴェルグの国アイアンハースは、巨大な山の岩肌をくり抜いて建造された、壮大な山砦都市だった。その技術力には、グラドゥスも舌を巻いた。
約束通り、アイアンハース近くの鉱山で、二人はドヴェルグの商人と会った。
「公爵様、本日はお会いできて嬉しゅうございます」
「まあ、辺境の公爵だ、かしこまるな。普段通りでいい。それより、情報を聞かせてくれ」
アルベールが金貨の入った袋を渡すと、商人はにやりと笑った。
「話をするより、見て頂いた方がよろしいでしょう。こちらへ」
商人に案内され、二人は鉱山の奥深くへと進んだ。薄暗い坑道を三十分ほど歩くと、突如として巨大な空洞と、古代遺跡のような場所に辿り着いた。
高さ三メートルはあろうかという石の扉が開くと、その中には祭壇があり、巨大なクリスタルが宙に浮き、周囲の装置と共に淡い光を放っている。
「この石がレムリアンシードか?」
アルベールの問いに、商人は首を横に振った。
「いえ、これはアースキーパーと呼ばれるクリスタルです。この世界の磁場をコントロールしているものと言われており、我々の神、アースが建造なされたものです。お見せしたいのは、こちらでして」
商人が指し示した壁には、人が一人通れるほどの空洞が口を開けていた。
その秘密の通路を抜けると、さらに大きな空洞が広がっており、その中央に、美しい琥珀色の巨大な結晶が鎮座していた。
「これがレムリアンシードです」
アルベールはゴクリと喉を鳴らした。
「して、テオドール王がこの結晶に執着している理由は何なのだ?」
「これ自体は非常に硬く、アダマンタイト級の道具でなければ装飾としての加工もできませぬ。我々ドヴェルグ以外には、まともに扱えん代物です。ですが、それ以上の価値があります。この不思議な結晶には、精霊を封じ込める力があるのです」
商人はそこで言葉を切り、頭を下げた。
「今回、公爵様をご案内したのは、王様へお口添えを願いたかったからなのです。理由は分かりませぬが、今週に入って、王からの納品の注文が、全てキャンセルされてしまいましてな。何とかご説得いただけないかと……」
(王の策略が見えてきた……)
アルベールは内心で呟いた。
「分かった。王への口実は作っておく。ところで、実はこの国へは初めて来るんだ。しばらく見て回ってもいいか?」
「是非、ごゆるりと。私は別の商談がありますので、これで失礼いたします。帰りは一本道ゆえ、ご案内は不要でございますな?」
「ああ、問題ない」
商人が去った後、アルベールは不用心なものだと思ったが、レムリアンシードにそっと触れてみて、その言葉の意味を理解した。人の力では到底、砕くことも動かすこともできない、絶対的な存在感がそこにあった。
「……つまり、テオドール王はノルドの民との戦いに敗れた後、このシードの力を調べ、アールヴへの侵攻を考えて準備をしていたが、停戦協定でその当てが外れた、ということか」
アルベールが考え込みながら壁にもたれると、突然、足元の岩が崩れ、彼は闇の中へと落下してしまった。
「アルベール!」
暗闇から、アルベールの苦悶の声が聞こえる。
「グラドゥスか! 大丈夫だ、腰を打ったが心配ない! 何か上がれるものを持ってきてくれ!」
「分かった! しばらく待っていてくれ!」
グラドゥスはその場を離れ、ロープを探しに坑道を駆け戻った。
アルベールが落ちた部屋には光苔が生息しており、ぼんやりとした光が周囲を照らしていた。足場は濡れており、滑りやすい。壁に手をかけ、立ち上がろうとしたその時、岩の一部がぐっと押し込まれる感触があった。
直後、彼の目の前の壁が、音を立てて開いた。
暗い空洞の奥から、黒い影がゆっくりと立ち上がる。
「おや、人間ですか。めずらしい」
顔は髑髏、体は虫のようにも見える異形の存在が、そこに立っていた。
そのあまりに奇妙な姿に、アルベールの体は恐怖ですくんでしまう。
「どこへ行くのですか? 久しぶりの客人だというのに」